予期せぬことが起きたのは10年11月7日、古巣である広島との試合前だった。
 
 アウェーのゴール裏から、自分の名前が入ったチャント(応援歌)が聞こえてきたのだ。広島時代にチャントのなかった柏木にとって、初めてのチャントだった。
 
「あれは、すごく嬉しかった。ああ、少しは認めてもらえたのかなって」
 
 翌11年はさらに低迷したが、柏木が感じたのは、怖さなどではなかった。
 
「すごく心強かった。個人を罵るようなヤジはなくて、とにかくチームを鼓舞してくれた。ブーイングにも『下向いてんなよ』『行こうぜ、行こうぜ』っていう気持ちが感じられたし、1勝するごとに本当に喜んでくれて一体感があった」
 
 説明のつかない福岡戦のゴールについて、柏木は「いろんな想いが乗っかった」と表現した。あのシュートには柏木だけでなく、サポーターの強い想いも乗っていたのかもしれない。
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 浦和に加入したのが10年だから、今年で8年目。ユースからプロ4年目まで過ごした広島時代の7年を上回った。
 
「広島に移ったのが中3の3学期だったから、それを含めても7年3か月。浦和のほうが長い。最初に来た時、『レッズを助けてくれ』って言われて意気に感じたし、苦しい時期もあったけど、幸せな瞬間もたくさんあって、ホンマ、成長させてもらったと思ってる」
 
 人としても選手としても大人にしてもらった? そう訊ねると、柏木は「そうやね」と答えてすぐ「いや、人としてはまだ子どもかもしれへん」と苦笑した。
 
 柏木には後悔していることがある。
 
 先日、1-4で敗れた川崎戦の後、ゴール裏へ挨拶に向かった際に、サポーターを睨んでしまったのだ。
 
「負けてブーイングされるのは当然やと思っているし、厳しい目がチームを強くしてくれるのも分かってる。ただ、あの時は『今すぐ出て行け』って言われて、本当にショックで、悲しくて……。でも今思えば、そのサポーターも熱くなって、つい言ってしまったのかもしれないし、みんなの前でそういう態度を取ってしまったところが自分もまだまだ子どもだなって、反省してる」
 
 川崎戦の12日後、年々膨らむ浦和への愛を改めて確認できる場があった。ボランチとしてコンビを組んだ先輩の引退試合である。
 
「良い時も悪い時も(鈴木)啓太さんは浦和とともに歩んできた。自分もそういう選手でありたいなって。浦和を優勝させたいし、ずっと浦和にいて、たとえベンチに座ることになっても若手にアドバイスしたり、行動で示せる選手になっていたい。ヒラさんや啓太さんのようにね。それが浦和にできる恩返しかな、って思ってる。最終的に『お前がいてくれて良かったよ』って言われたら、嬉しいな」
 
 浦和は今季、もがいている。
 
 7月30日には、12年の就任後、浦和を再生させたミシャの解任が発表された。柏木は心に深い傷を負ったが、それでも立ち止まるわけにはいかない。
 
「嗚咽するぐらい泣いた。ミシャに出会っていなかったら、今の自分はない。ここからチームが上に行くことが、ミシャへの恩返しになると思っている」
 
 苦しむチームを俺が救う――。
 
 柏木はそう心に誓っている。起死回生の同点ゴールを決めた11年のように。
 
取材・文:飯尾篤史(スポーツライター)

※『サッカーダイジェスト』2017年8月24日号(同8月10日発売)「プロフットボーラーの肖像」より抜粋。