本来ならば、ここに清元登子氏の笑顔があったのだが…(撮影:上山敬太)

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<日本女子オープンゴルフ選手権競技 事前情報◇27日◇我孫子ゴルフ倶楽部 (6,706ヤード・パー72)>
27日(木)、突然の訃報が女子ゴルフ界を襲った。不動裕理、大山志保、古閑美保と3人の賞金女王を育てた日本女子プロゴルフ協会顧問の清元登子氏が、誤嚥性肺炎のため横浜市内の病院で亡くなっていたことが分かった。
愛弟子・古閑美保と練習ラウンドを回る清元登子氏
「日本女子オープン」開幕前日の27日(水)。この日、恒例のチャンピオンズディナーが開かれ、歴代チャンプたちが会場を訪れたが、その中に1978年大会の覇者である清元の姿は無かった。
「一度ご病気で体調を崩されてから会っていませんが、こんなに早く亡くなるとは思いませんでした。残念としか言いようがありません」と話すのは樋口久子相談役。今も思いだすのは、清元がアマチュアとして女子ツアー史上初の優勝を果たした1973年の「トヨトミレディス」だ。
「一緒に最終組で回っていたんです。あの時、2グリーンで高麗の方を使っていたのですが、清元さんの球がベントに乗ったときにサンドウェッジでパチンと素晴らしい球を打ったのを覚えています。躊躇する素振りもなく、素晴らしい球でピタッと寄せていました。私も“アマチュアに優勝させてたまるか”と思ってやっていましたが、結局負けてしまって“やられたな”と思いましたね」。また、78年の「日本女子オープン」のプレーオフで敗れたことも覚えているという。
現在日本女子プロゴルフ協会の会長を務める小林浩美も「昨日聞きました。非常に驚いていますし、とても残念です。ご冥福をお祈りいたします」と哀悼の意を表した。「年代が違うので」と試合で戦った思い出はあまりないと話すが、記憶に残るのは清元が協会で尽力する姿だ。
「清元さんが会長だった時に、日米でプレーをしていた私に“日本でも飛距離のある強い選手を育てたい。日本とアメリカのコースを比較してどう?”と聞かれたことを覚えています。ティーチング制度を確立されたりと、力を込めて一生懸命やられているように感じましたね」。協会で一緒にやった期間はほとんどないが、小林が理事になった際「応援するよ」と声をかけてもらえたことも思い出の1つだという。
弟子の中で唯一日本女子オープンを制している不動裕理もチャンピオンズディナーに参加。「2日前くらいに古閑美保ちゃんから聞いてしりました。2年くらい会っていないので、ここまで悪いと知りませんでした。ビックリしました」と未だ驚き冷めやらぬ様子だった。
「清元先生はみなさんが思うような怖いところはありませんでした。私の思う先生とみなさんが想像する先生とは乖離(かいり)があるように思います。私の考える清元先生はまさに“先生”という感じの人でした」。5〜6年もの間、同じ屋根の下で暮らした2人。「一緒に住んでいた期間が長かったからか、思いだすのは夕食を一緒に食べたり、犬の散歩をしたりといった日常的なことが多いですね」。
「教えてもらったことを振り返ってみると当たり前のこと、基本的なことをしっかりと言われていました。“壁を作る”とか本当にゴルフの本に載っているようなことです。賞金女王を獲っても“良かったね〜”くらいですんなりと言った感じでした。あんまりお祝いとかは無かったですね。そういったかたちで家に住み込みで料理を作ってもらいながらゴルフを教えてくれた。協会の仕事と掛け持ちでやってくれました。とても感謝しています。何事も“やる”と決めたら毎日やる続けるという清元先生の教えを今後も大事にしていきたいと思います」としみじみと語った。
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