シシーニョは城後寿にサインを入れてもらった自前のユニフォームを手に笑みを浮かべる【写真:舩木渉】

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ようやく叶った直接対決。運命に引き寄せられた2人

 Jリーグにおける外国籍選手といえば、ブラジル人や韓国人のイメージが強い。しかし、近年その傾向は弱まり、ヨーロッパからも多くの選手が日本でのプレーを選ぶようになった。彼らはどんな思いを胸にJリーグのピッチに立っているのだろうか。今回は第2回と番外編で焦点を当てたFC岐阜の元スペインU-21代表MFシシーニョと、アビスパ福岡の城後寿の交流のその後を追った(不定期連載です)。(取材・文:舩木渉)

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 ついにあの2人が同じピッチに立った。

 24日に行われた明治安田生命J2リーグ第34節の後半38分、アビスパ福岡の城後寿がジウシーニョとの交代で送り出された。スタメン出場していたFC岐阜のシシーニョとの直接対決が実現したのである。

 母国スペインで初めてJリーグを見たシシーニョにとって、日本への移籍を望むきっかけとなった選手が城後だった。いわば憧れだった存在と、初めてピッチの上で時間を共有した。試合後、元スペインU-21代表のマエストロは満面の笑みを浮かべ、「めっちゃ嬉しいです」と流暢な日本語で語った。

 岐阜と福岡の今季初対戦は前半戦最後の試合、7月1日の第21節だった。その時はシシーニョが交代でベンチへ退いた後に城後が投入されたため、同じピッチに立つことは叶わなかった。後半戦の第34節が、2人にとって一緒にプレーする今季最後のチャンスだったのである。

 アディショナルタイムを含めた約12分間はあまりにも短すぎた。しかし、2人はピッチの上で引き寄せられるように近づいていく。城後は交代出場した直後、右サイドMFのポジションに入った。シシーニョは中盤の中央にいたため、なかなかマッチアップの機会は訪れない。

 それでも運命のいたずらか、別の選手交代がシシーニョと城後を近づける。後半アディショナルタイムに入った直後、福岡は最後の交代カードを切って中村北斗を投入する。それに伴うポジション変更で中村が右サイドに、城後はベンチへ退いた仲川輝人のいた最前線中央の位置に移った。

 シシーニョと城後はそれから何度もピッチの上ですれ違う。互いに体をぶつけてボールを奪い合う場面もあった。2人とも短い時間でも待ち望んだ機会を心の底から楽しんでいたように見えた。

 城後は言う。

「試合前から同じピッチに立てたらなとは思っていたんですけど、そこまで余裕がない状況だったので。あまり意識していなかったけど、ボールを持ったら自分の近くにいたので、ちょっと奪ってやろうかなって思いました」

シシーニョが叶えたもう一つの夢

 試合が終わると、城後は近くにいたシシーニョのもとへ歩み寄り何か言葉をかけた。シシーニョもそれに笑顔で応じる。結果こそ明暗分かれたが、2人の間には幸せな時間が流れていた。

「たまたま近くにいたので。『お疲れ』って話をしたら、『元気?』って日本語で返ってきた。発音も良くなっていたので、さすがだなと思いました。国籍は違うんですけれども、僕はもう友達だと思っているので、そういう友達ができて嬉しいなと思います。お互いまた高いレベルのところでまたプレーできればいいですね」

 シシーニョも城後と同じピッチで相見えた12分間を感慨深げ振り返る。

「彼がサイドラインにたった時、『城後が入ってくるんだ』と気づいた。その時は勝つために試合に集中していたけど、城後とプレーできるんだって。ついに同じピッチに立てた」

「素晴らしい瞬間だったけど、負けてしまったからすごく幸せな気分ではないね」と、1-2で敗れた結果を悔しがりつつも、1人のサッカー少年に戻ったような笑顔は印象的だった。

 実はシシーニョ、今回の福岡戦でもうひとつ夢を叶えた。試合後の取材エリアで話を聞いている途中、城後が近づいてくると「ちょっと待ってて」と言い残して自分のバッグを取りに戻った。自分が持っているユニフォームにサインが欲しいとのことだった。

 それは以前にも話していた、福岡とSNSを通してコンタクトを取った際に自腹で購入した城後のユニフォームだった。2人で別室へ移動し、しっかりとサインを入れてもらいご満悦の様子。来日時から望んでいた、「城後のユニフォームにサインをもらう」という夢が実現した瞬間だった。

日本語で交わしたある約束。ジョークも日本語で

 シシーニョは城後にサインをもらうと同時に、ある約束も交わした。「城後さんにワインを送りたいです。住所を教えてください」と、日本語で申し出たのである。ユニフォームを交換した2ヶ月前のアウェイゲームと、今回のホームゲームの2度にわたり、城後の母親からお土産をもらったのでお礼がしたいとのことだった。取材中も大事そうに手に握っていた「ふくや」の紙袋が、そのお土産だった。

 サッカー選手として多彩な経験を積んできたシシーニョだが、実は意外な“副業”も持っているようだ。バレンシアの下部組織時代から親友ダビド・シルバとともに、地元スペインでワインの製造や販売に携わっているという。「お酒は大好き」という城後も、喜んで友人の申し出を受け入れた。

 今回の取材を通して実感したのは、シシーニョの日本語の上達ぶりである。岐阜のチームメイトであり、メキシコでのプレー経験から流暢なスペイン語を操る小野悠斗は以前、「シシは本当にすごい。遠征の時や試合の後、バスや新幹線の中でも日本語の勉強をしている」と、その熱心さについて話していた。

 テレビカメラの前でも日本語を披露したシシーニョに、あえてスペイン語や英語を使わず「日本語がうまくなっていますね」と尋ねると、間髪入れず「日本語は下手になります」とジョークで返してきた。

「(日本語を話そうと)努力しているよ。まだ僕の日本語は不十分だから、喋ろうとしているし、もっと学びたいし、チームメイトとも(日本語で)コミュニケーションをとりたい」

 来季が始まる頃には通訳が不要になっているのではないか。そんな期待を抱くほどに日本語が上達している。まだ来日して1年に満たないヨーロッパ出身の選手が、これほどまで日本に馴染んでいる姿はあまり記憶にない。

「SNSの日本語での投稿も自分でやっているよ。結構時間がかかるけど、自分でやってみようと思っているんだ」ともシシーニョは明かす。漢字はまだ難しいようだが、会話に支障はないだろう。

交換したユニフォームは今どこに? 2人の友情は永遠のものに

 ところで、7月に交換したお互いのユニフォームは今どうなっているのだろうか。2人にそれぞれ聞いてみた。

「(シシーニョの)ユニフォームは実家に飾ってます。自分の入団した年からのユニフォームを全部飾ってあるんですけど、国見の同級生のユニフォームだったり、そこにプラスして飾っています」

 こう語るのは城後だ。実はJリーグでユニフォームを交換するのは、シシーニョが2人目だったという。10年以上のプロキャリアを誇りながら「渡邉千真と交換したくらいしか記憶にない」と語る。渡邉は国見高校時代の同期だった。

 ではシシーニョは城後のユニフォームをどうしているのだろうか。こちらからも意外な答えが返ってきた。

「僕のスペインの家にある。シャビやイニエスタ、ダビド・シルバのユニフォームと一緒に置いてあるよ」

 さすが元スペインU-21代表と言うべきか。出てくる名前の格が違う。その彼らと城後が並んでいると知って、なんだか誇らしい。

 シシーニョと城後は特に連絡先などは交換しておらず、普段から連絡を取り合っているわけではない。あくまでピッチ上での対戦を楽しむ。不思議だが、どこか理想的な、少年のような友人関係だ。

「正直もっと長い時間プレーして、お互いの良さを間近で見れればよかったですね。僕はずっと、前半からベンチで見ていたんですけど、岐阜は最近すごくいいサッカーをしていて、シシーニョ自体もすごくいいプレーをしていたので、ベンチでみんなが『あいつうまいな』っていう話をしていた。『お前の友達だろ?』みたいな話もしていたので、自分のことをリスペクトしてくれている選手が、自分のチームメイトにもいい選手だなって言われて僕自身もすごく嬉しく思っていました。また機会があればどこかで(一緒に)プレーしたいと思います」(城後)

 2人が再会を望むのは、あくまでピッチの上である。来季以降、対戦する機会があるかはわからない。福岡か岐阜のどちらかがJ1昇格を果たせば、対戦できるチャンスはぐっと少なくなる。あるいはシシーニョか城後のどちらかが移籍するとなれば、日本で同じピッチに立つ機会は訪れないかもしれない。

 それでもいつか、たとえ戦う場所が変わったとしても、2人がまた同じピッチに立つ日は来るのではないか。そんな気がしてしまう。スペインと日本、遠く離れて交わることのないように見えた2人の距離は、運命だったかのように縮まり、そしてゼロになった。シシーニョと城後、2人の永遠のサッカー小僧が紡いだ、国籍という壁を越えた友情はこれからも続いていく。

(取材・文:舩木渉)

text by 舩木渉