限界まで力を引き出すために選手をいかに導いていくか。指導者にとっては永遠のテーマだろう。写真:佐藤 明(サッカーダイジェスト写真部)

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 必死にやれば『何か』が起こる。良い事も想像できるが、逆もある。
 
 相撲の世界で言えば、今場所は横綱、大関の休場や将来性のある力士の怪我などが相次いだ。最近の相撲は面白いなと感じていただけに残念に思う反面、それだけ一日一日、必死に相撲を取っているのだなと、ひしひしと感じたものだ。
 
 怪我による休場増加の原因として、力士の平均体重増や稽古の中味などいろいろ言われているが、相撲の質が変わり、どの相手でも全力で必死に相撲をとり、15日連続で年間に6場所も行なえば、考えられるリスクではあるかもしれない。
 
 ただ日本の国技でもある。その過酷なスポーツの発展を僕は応援したいし、相撲に携わる人たちも努力、精進を続け魅力ある相撲を見せてほしいと願っている。
 
 先日、知人との話の中で興味深い話があった。ある相撲部屋でのエピソードである。
 
 話のテーマは、「土俵際に追い込んでから、どうずればもうひと押しの力を出せるのか」、というものである。
 
 そのひと押しが出ない……。そのもうひと押しが出せる――。
その力の差は大きい。そこで番付や力士の位置、価値が変わる。
 
 最近の稽古でよく見られるのが、そのもうひと押しで『あ〜』と力が出ず萎えてしまう力士が多いことだという。
 
 昔はそのひと押しをどう出させたか。いや、毎回そうではないと思うのだが、出させる方法があったという。
 
 それが部屋に用意されていたという、木刀や竹刀だというのだ。
 
 あくまでも稽古での話。サッカーで言えば毎日のトレーニングだ。そこで『もう力が出ません……』と萎えそうになった瞬間。その竹刀か木刀でケツを引っ叩く。
 
 痛いと思った瞬間、力が出て押し出す。『出るじゃないか……(笑)』。とだ。
 
 今は部屋から木刀も竹刀も消え、置くことさえも許されなくなったという。相撲界にもいくつかの様々な問題が起こり、それを乗り越えていくためにも伝統ある相撲道を変えていかなくてはならないのであろう。
 
 そうしたご時世にあって、なんて酷い話……と思う向きもあるかもしれないが、僕はこれが成長していく瞬間であり、相撲が本人にとっても面白くなっていく瞬間なのでは、と思うのだ。
 しかしながら、どんなスポーツの指導者にでも、やはり“木刀と竹刀”は必要なのである。
 
 もちろん、それは選手のケツを叩くため(痛めつけるため)の“木刀、竹刀”という意味ではなく、選手の力を限界まで引き出すための方法論という意味だ。それがなければ、選手は成長しない。
 
 そして、多くのスポーツにおいて、その方法論とは間違いなく本当の“木刀や竹刀”ではないだろう。
 
 教え過ぎは成長しない、ただ教えなければずっと気づかない。最近はプロ選手でさえ『感じる』ということがなかなかできなくなっているようだ。
 
 僕らの少年時代はやはり、「竹刀で引っ叩かれて感じる」ということが多かったかもしれない。
 
 学校の先生に殴られて、なぜ殴られたか? どうすれば良いのか? もっと人を思いやらなければ……。自問自答して行ないを正せなければ、また殴られる。
 
 殴られたくないなら、自分がどう変わればいいのか? と感じるのである。それが人としての成長に繋がっていった側面がある。
 
 今は環境も変わり、なんでも手に入り、裕福になっていることもあるであろう。以前と同じ価値観、方法論で育成や指導を語ることはナンセンスになった。
 
 土俵際に追い込んでからのもうひと押しの力。追い込まれた時にひっくり返す力。苦しい状況、危機的状態になった時に力を発揮できる人間。そうした力をつけるために、指導者であれば何が必要か、を考えなければならない。
 
 大きな『テーマ』である。答えはひとつでもなく、誰もが同じでもない。知人が何気なく僕にしてくれた話からそんな事を感じた。
 
 選手を成長させるための『木刀と竹刀』に変わる武器が必要だと。
 
2017年9月26日
三浦泰年