「産科医療補償制度」を知っていますか?(写真 : りんりん / PIXTA)

赤ちゃんが、突然障害を負うことになってしまったら

奥井のぞみさんは7年前に長男の伊吹くんを出産したときのことを思い出すと、今でも心が張り裂けそうになる。

妊婦時代ののぞみさんは26歳で、特に何の問題もなく個人産院で出産を計画していた。しかし予定日の頃、お産が始まる前に羊水が流出する「前期破水」が起きたため、陣痛誘発剤を使って人工的に出産させるための処置が開始された。


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ところが、出産はなかなか進まない。理由は何だったのかわからないが、胎児心拍を記録するグラフが危険な波形を描き始めた。医師が、その日のクリニックの状況から「大きな病院に搬送するほうが早く緊急帝王切開ができる」と判断し、のぞみさんは急きょ救急車で移動することになった。

病院に到着後わずか12分という短さで伊吹くんは誕生したが、生まれてきた伊吹くんはぐったりとして、自力で呼吸できなかった。伊吹くんは今も、人工呼吸器をつけベッド上で生活している。

誕生を楽しみにしていた赤ちゃんが脳性麻痺となり、重度の障害を負う――そんなことが起きたら、誰でも「どうして、こんなことになったのか?」と思うに違いない。特に、元気に生まれるとばかり思っていた子どもが、突然そうなったとしたら……。

伊吹くんのように大変な分娩から始まる脳性麻痺は、胎児の様子が急におかしくなることが多い。そうなると現代の産科医療でも救うことが難しい。ただ、中には医療側に何らかの過失が存在するケースもある。そのため、脳性麻痺は医療訴訟になる可能性も高いが、今の日本には訴訟以外の解決・救済策もある。2009年に始まった「産科医療補償制度」が、それだ。

この制度では、新生児が分娩に関連して発症した重度の脳性麻痺であると判断されれば、医療側の過失の有無には関係なく、親へ補償金計3000万円が分割で支払われる。申請は分娩機関に依頼する必要があり、5歳の誕生日まで可能だ。伊吹くんもこの制度での補償対象となった。


奥井のぞみさんは、7歳になる伊吹くんを在宅医療でみている。夜中も吸引などのケアが必要なので、伊吹くんの傍らで眠る(撮影:河合 蘭)

制度の特徴は補償金が支払われるだけではない。出産施設で行われた医療が第三者の立場から詳しく分析される。その分娩で実施された医療の妥当性が評価されて、親と出産施設に報告書が送られてくるのだ。ただし、その目的は裁判のように医療者や施設の責任を追及することではない。ケースから学ぶこと、つまり「再発防止」である。

脳性麻痺の発生数は減少傾向にある

今、脳性マヒの発生数は実際に減少傾向にある。制度発足後3年間の発生を見ると、正期産もしくはそれに近いグループでは362件から23%も減少して280件となった。原因分析委員会委員長の岡井崇氏(愛育病院院長)によると、成熟して生まれる子の脳性麻痺が減少したという報告は、世界的に見ても前例がないらしい。上がってきたデータから改善点を取りまとめた報告集を出し、問題を繰り返した施設には別途に改善要望書を出すといった再発防止への努力が数値に表れているのだ。

この制度ができた頃には年間80件台だった産婦人科の訴訟件数も、最近は50〜60件台で推移している。産科医療補償制度の補償を受けても訴訟を起こせるが、そうしようとする家族が減ったということだ。産科は訴訟件数が他科よりずっと多いことが若手医師に敬遠される一因となっていたので、これは出産場所を安定的に確保する助けになるだろう。

ただ、この制度は医師の労働環境改善や医療の向上のためだけにあるわけではない。すでに重い脳障害を負った子どもと、その家族の生活を救済する制度でもある。

産科医療補償制度のサイトにあるデータによると、救済の対象となった子どもの9割近くが在宅で生活している。そして約2割の子は人工呼吸器をつけ、半数近くの子どもは胃ろうなど経口以外の方法で食事を取っている。

伊吹くんもその一人だ。伊吹くんを出産した後、個人産院の医師は「赤ちゃんを守ってあげられなくてごめんなさい」と、のぞみさんに謝った。そんな医師を、のぞみさんは責めることができなかった。もやもやした気持ちが、まったくなかったわけではなかった。何かが違えば、結果も何か違ったのではないかという思いは、簡単に払拭できるものではない。でも誰を責めればいいのかというと、のぞみさんにはその対象が見つけられなかった。

そんな矢先に、伊吹くんの主治医から産科医療補償制度について知らされた。医師から「きっと認定されるケースだから」と勧められたので出産施設に申請を頼むと、医師はすぐに分娩記録を出してくれて、スムーズに事は運んだ。のぞみさんは、無事に補償金と分析報告書を受け取ることができた。

「これが報告書です」

筆者が報告書の感想をお聞きすると、のぞみさんは複雑な思いを話してくれた。


これがのぞみさんに送られてきた原因分析報告書。専門家による委員会が医療の適切さを判断している(撮影:河合 蘭)

「私はこの報告書を目にすると、出産時の状況が鮮明にフラッシュバックしてしまいます。だから、その苦痛に耐えながら医学的な文章を読むのは、とても大変なことでした」

原因分析報告書の文章は、「一般の人にもわかりやすく書く」ということになってはいるが、実際に拝見すると、かなり医学用語が多かった。報告書には医学用語の解説がついていたので理解はできたが、本当は誰かに会って、平明な言葉で解説してほしかったとのぞみさんは言う。

報告書では、医療行為は場面ごとに細かく評価される。のぞみさんの報告書には「一般的である」という表現が多かった。

「あいまいな表現ですよね」

のぞみさんが誰かに話を聞きたかったもう一つの理由は、医療が適切だったのか、そうではなかったのかについて、もう少し踏み込んだ言葉が欲しかったからだ。

調査をしてもらえたことはよかった

それでも、産科医療補償制度がないときは、親は、病院を訴えないかぎり、どんな医療を受けていたのか詳細を知る機会さえなかった。医療の評価には、あらかじめ決められた表現が使われている。たとえば、医療のレベルが高ければ「優れている」「的確である」などと書かれ、低ければ「医学的妥当性がない」「劣っている」「誤っている」などと記される。「一般的」は中間にあたる表現で、委員会は問題ありと判断したわけではなかった。

「裁判を起こさなくても、こういう調査をしてもらえたのはよかったと思います」

のぞみさんは、総体的には、産科医療補償制度があることに感謝していた。賠償金が支払われたことも、介護のためにそれまでのキャリアを断念し、収入もなくなったのぞみさんには大きな安心になった。

今年、のぞみさんは、「病児服」の製作・販売を行う「パレットイブ」という子供服メーカーを立ち上げた。新しい分野で、一歩を踏み出したのだ。

パレットイブの服は、体にチューブがついている子もらくに着替えさせることができ、柄もポップで楽しく、まさに母親が母親のために作った製品だ。このようにのぞみさんが気持ちを前に向けられた背景には、もしかしたら、産科医療補償制度を受けられた安心感もあるのかもしれない。

しかし、産科医療補償制度は、申請すればだ誰でも認定されるわけではない。

のぞみさんが立ち上げた病児服メーカー「パレットイブ」のウェブサイトを訪ねると、服の写真とともに、かわいいイラストがあふれている。でも、このイラストを描いている宮田敦子さんは、長女の麗衣奈(れいな)ちゃんについて産科医療補償制度の申請を行ったところ、対象外とされた。


宮田さん夫婦と、まだ病気だとわからなかった頃の麗衣奈ちゃん(写真提供:宮田敦子さん)

今8歳になる麗衣奈ちゃんは、開業医の産婦人科医であるおじいちゃんの手で取り上げられた。当時32歳だった敦子さんは、特に問題のない妊娠生活を過ごし、お産も安産だった。初めての子どもを迎えた夫婦は、海が好きで、麗衣奈ちゃんと一緒に海で遊ぶことを夢見ていたという。

ただ、麗衣奈ちゃんは泣いている時間がとても長く、夜中も宮田さん夫婦と祖父母が交代で抱き続けていた。病院へ行っても原因がわからず、そんな眠れない日々が2年以上も続いた。

今も麗衣奈ちゃんは脳の興奮状態が続き、それを十数種類の薬で鎮静させて昼夜のリズムを作っている。自分から動くことはほとんどなく、食事は胃ろうから取り、気管切開もしている。

制度の対象外だったのはなぜか

産科医療補償制度の対象と認められなかったことは、宮田さんにとって大きなショックだった。書面によると、麗衣奈ちゃんは、産科医療補償制度の定める脳性マヒの定義に該当しないということだった。脳のCT画像に萎縮の微妙な進行が見られ、それが制度が定める「病変は非進行性であること」という脳性麻痺の定義に合わなかったのだ。そのために宮田さんは、実際には補償対象となる家族とほとんど変わらない介護生活を送っているにもかかわらず、1円の補償金ももらえていない。もちろん、原因分析もない。


麗衣奈ちゃんの脳障害は、原因がわからない。産科医療補償制度に申請しても、脳性マヒの定義に合わないとされた(撮影:河合 蘭)

産科医療補償制度に申請しても補償の対象と認められなかったケースは、いったいどれくらいあるのか。

日本産婦人科医会記者懇談会配布資料によると、審査結果が確定した初年度から3年間分を見ると1586件の審査があり、そのうち補償の対象とされたのは1156件だった。審査されたケースのうち、4件に1件は、認められなかったことになる。

産科医療補償制度の趣旨は「親を経済的に救済するとともに、紛争の防止・早期解決を図り医療を向上させる」と説明される。ただし、救済されるのは「分娩に関連した重症脳性麻痺」、つまり、今までなら産科の医療紛争につながりやすかった事例だ。

先天的なもの、脳が未熟な時期に生まれてしまった特に早い時期の早産も対象から除外される。同じ重度の脳障害なのに、ある子を認定し、ある子を除外する――医療を支えるために作った救済制度のジレンマである。

柴有加さんは、典型的な「分娩にかかわる脳性マヒ」のケースで、救済の対象として認められた。長男の樂空(がく)くんは、出産中に理由がわからない急激な心拍数低下があり、緊急帝王切開で出産したが脳に重い障害が残った。

有加さんは、産科医療補償制度にはとても助けられたという。賠償金では、樂空くんをバギーごと乗せてリハビリなどに連れていける大きめの車を購入した。

報告書で問題のない医療だったと確認することができた

原因分析報告書でも、自分たちが受けた医療は第三者から見て問題のない医療だったと確認することができた。もともと有加さんは、出産した施設については「あの病院だったから、樂空は命を助けてもらえた」と感じていた。次の子どもをお腹に宿したとき、有加さんは、ためらうことなく、親切だった同じ病院で出産することを選んだ。


新生児治療室で頑張っていた頃の樂空くん(写真提供:柴有加さん)

その樂空くんは、今はいない。3歳でその短い生涯を閉じた樂空くんのことを話すと、有加さんは今も涙目になってしまう。でも樂空くんとの日々は「幸せ」だったと有加さんは言う。たくさんの人に支えられているという、温かさを感じ続けていたからだ。

「私は本当に恵まれていました」

樂空くんを亡くしているのに、インタビューの最中、有加さんは何度もそう言った。それは、納得できない思いを抱え込む人も多いことを知ったうえでの言葉だった。

子どもを持つということは、大変な決断だ。命には、何が起きるかまったくわからないからだ。でも、何かが起きてしまった家族の支え方は、社会が変えることができる。支援が約束されていることは、子どもを持つ勇気につながる。

産科医療補償制度という制度ができたことは本当によかった。特に効果的な再発防止策が打ち出せたことは快挙で、より積極的に進めていけば安全性の向上に大きな期待がかかる。だが、このよい制度の影で、重い脳障害を抱える子どもたちの間に支援の差ができてしまったのは皮肉なことだ。

同じように重い脳障害とともに生きている、すべての家族が救済される仕組みはできないものだろうか。親にとっては、予期せぬ事態の補償は、まだ道半ばである。