どれだけ知ってる?江戸幕府の歴代将軍の墓所ってどこにある?後編

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江戸幕府、歴代将軍の墓所は、栃木県の日光、久能山東照宮、高野山、東京都の芝増上寺、東京都上野寛永寺、谷中霊園の6か所とされており、前編では日光と増上寺についてご紹介しました。

後編では、上野寛永寺とそのほど近くにある谷中霊園をご紹介します。

寛永寺(東京都台東区上野桜木)

そもそも、寛永寺は徳川家の菩提寺ではありませんでした。菩提寺にする動きがあったのは3代将軍家光の頃だったようです。キーマンは天台宗のカリスマ僧侶・天海。家康が天海に心酔したことに始まり、2代将軍秀忠は天海に上野の土地を与え、3代将軍家光の治世には天海の望みどおりに上野寛永寺が建立されました。将軍3人揃って、カリスマ天海には甘々だったのです。家光は元々の徳川家の菩提寺・増上寺を無視して寛永寺で自分の葬儀を行わせるほど、天海に絶大な信頼を寄せていました。

こうしていつの間にか徳川家の2つ目の菩提寺になった寛永寺。初めて埋葬された将軍は、4代将軍家綱でした。その後5代将軍綱吉も寛永寺に埋葬されると、ついに元々の菩提寺である増上寺が反論します。なにしろ菩提寺であるにもかかわらず、増上寺には2代将軍秀忠しか埋葬されていなかったのです。話し合った結果、6代将軍家宣以降は増上寺と寛永寺1代ごとに交代で将軍を埋葬することになりました。

わずか7歳で亡くなった7代将軍家継は、例外的に父親の6代家宣と一緒に増上寺に埋葬されています。また、綱吉を崇拝していた8代将軍吉宗は自らの希望で寛永寺を選びました。その後、寛永寺には10代家治、11代家斉、13代家定とその御台所である天璋院(篤姫)が埋葬されました。様々なもめごとはありましたが、結果として半数近い歴代将軍様たちが今も寛永寺に眠っています。

寛永寺厳有院勅額門

東叡山 寛永寺 公式ホームページ

谷中霊園(東京都台東区谷中)

現在は都立霊園として、東京都台東区谷中の寺町の中にある谷中霊園。草木や花があふれ、歴史に名を残す著名人も多く眠る墓地です。

この地に眠っているのは、江戸幕府最後の15代将軍徳川慶喜です。慶喜は慶応3年(1867)10月14日に政権返上して、将軍ではなくなってしまったので、大正2年11月に77歳で亡くなった際も将軍として埋葬される事はありませんでした。遺言は「仏式ではなく神式で葬儀を行うように」。仏式は徳川家代々の葬儀方法、そして神式は天皇家や皇族と同じ葬儀の方法です。

元々は水戸藩出身で、尊皇思想の影響を色濃く受けて育った慶喜は、最後まで「徳川家より天皇家」の思想を持っていたのかもしれません。たった一度とはいえ、朝敵となってしまった事は彼の心を大変傷つけたようです。慶喜は遺言通り神式で弔われ、美賀子夫人と一緒に、円墳の墓に埋葬されました。

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