前々回 世界の大学ランキングに触れたところ、大変多くの方から反響をいただきました。

 率直に言って、この20年ほどの間に日本の大学はシンガポールや中国、香港などアジアの大学によって次々と追い抜かされて行きました。私は東京大学内の様々な国際担当の役割を務めながら、その様子を目の当たりにしてきました。

 別段、指をくわえて見ていたわけではありません。蓮実重彦総長、佐々木毅総長時代の東大では、私自身一定の役割を果たした自覚があります。

 小宮山宏教授が東京大学総長に就任する頃から、私は東大全学の外交を担当しなくなりました。

 ちなみに小宮山さんは個人的にも親しい先輩で、現在も私の研究室では彼が総長就任に当たって研究室を整理した際に譲ってもらったお古の什器を使っています。別の理由で2006年から2014年まで、私は大学全体の外交事案にコミットしませんでした。

 2015年、五神眞さんが総長に就任してから、また全学レベルの学術外交に関わるようになりましたが、私が離れていた9年ほどの間に、もしかすると日本の大学は、取り返しのつかない遅れを取ってしまったのかもしれません。

 そこで「一流の大学」とは何か、という基本的なポイントから改めて考えなおして見たいと思います。

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なぜ東大・京大などは一流とされるのか?

 初めに素朴なクイズを出題してみます。

 日本では東京大学や京都大学が一流の大学、優れた最高学府だと考えられている。大きく言ってこれは外れないと思います。

 では、なぜ東大・京大は一流なのでしょうか?

 そんなの当たり前じゃないかとか言っていると、日本の大学が現在直面している万年二流化の危機に対処できません。

 「そこを卒業すると、いい就職ができるから」

 これは1つの答えになるかもしれません。でも、前々回に触れた「世界大学ランキング」の指標として「卒業生の就職先」という、なかなか数字で表しにくい話は、表に顔を出していません。

 大学の評価指標は「教育」「研究」「論文の被引用数」「教員と学生の人数比率」「学生の男女比」「学生の留学生割合」など、一応は「客観的」と見られる指標で計算されています。

 この原稿のアイデアをツイッターでブレインストームしていたら、「白人が作った大学の評価で、有色人種が下なのは当然」という、なかなか分かりやすい島国根性なコメントをもらったので引用させていただきます。

 いま問題にしているのは、同じ黄色人種の中で、日本の大学がシンガポールや中国、香港に追い抜かされ、韓国がほとんど同じレベルまで上昇しているところに論点があり、どうしたらそれを解決できるか、が問われているので、上のような話をしても実効的な意味はありません。

 そこで試みに「国際性」という言葉を150年遡って検討して見たいと思います。

誰のための大学か?

 かつて日本語の「国」という言葉は、日本国全体を指さず「陸奥の国」「武蔵の国」「駿河の国」「近江」「備前」「筑後」「薩摩」「長州」「土佐」「肥前」といった具合で、現在の<県>に相当する規模の地域単位を指して使われていました。

 この時代の「学校」の国際性を考えて見ましょう。各藩が持っていた「藩校」には、基本的にその藩の侍が学びますから、ローカル大学のような意味を持っていたと言えます。

 これに対して幕府の蕃書調所や種痘所、天文方、幕末に勝海舟たちが活躍した海軍学校、あるいはシーボルトの鳴滝塾、緒方洪庵の適々斎塾(適塾)、あるいは大分の日田にあった咸宜園などは、学生が集い、優れた先端の学術を身につけていきました。

 日本全国から、全「国」ですから、つまり国際的なわけです。

 これらに比べると、吉田松陰の「松下村塾」は「村塾」というだけあって、このような全国的な展開はなかった。でも、そこから明治維新を支える多くの人材が輩出している。

 必ずしもグローバル大学=良い大学というわけではなく、「優れた指導者が1人でもいれば、そして徹底した指導がなされれば人材は育つという反例もある」と押さえたうえで、本論に戻りましょう。

 中国地方、現在の岡山県にあった津山藩は、幕府の親藩でありながら江戸時代から洋学に力を入れ、幕末には「蕃書調所」その他に人材を供給、医学や海防その他、様々な分野で人士が出ました。

 維新後の明治6年、こうした旧幕臣系で国際派の人々が集まり「明六社」というグループが形成されます。ここにも津山から複数のメンバーが参加しています。

 でも、決して岡山ローカルではなく、それこそ「日本全」から洋学解明派の人々がアカデミックに連携した。

 明六社は明治10年以降の東京大学、あるいは慶応義塾など、のちの日本を支える学術の府に直結する画期的な原点となりました。

 それは津山ローカルといった規模ではなく、以前は国と国(藩と藩という意味ですが)に小さく分かれていた日本が「挙国一致して」世界に伍していこうという、知の大同団結があった。

 そういう経緯に注意を払いたいと思うのです(津山の例を挙げたのは、別段津山に悪意があるわけではなく、私の母方の郷里で事情を少し聞いているので言及しました)。

 2017年時点の、東京大学あるいは京都大学の新入生を、その出身県別に調査した統計、というものがあるのか、そもそもそんなものが取れるのか、よく分かりません。

 しかし、出身高校の所在する県の分布であれば、それなりに公開情報からでも類推することができるでしょう。

 どうでしょう。東京大学の入学者は東京に偏っているでしょうか。京大生がやや西日本に重心のある分布になる可能性はあると思います。

 あるいは北海道大学や九州大学が、各々北や南に重心のある学生出身地分布になる可能性もあるでしょう。

 でも、概して古くから存在する国立大学は、日本全国各地から、その門を目指して受験勉強し、厳密な入試をクリアして合格してきている、つまりオール・ジャパン的な広がりを持っているはずです。

 大学時代、東大で学んだ人が、故郷に帰って就職するケースもあるでしょう。

 最近は減っているかもしれませんが、そういう地元のエリートが年齢を重ねると、中央省庁にも同期や同級生がいるので、そのネットワークを通じて地方と中央のパイプを形成することができたりする。

 ごくごく当たり前の話ですが、そんな人的ネットワークが社会に根を下ろしていく。

 東大や京大が「一流」とされる、一大背景は全国区の大学で、日本中から各地のトップ学生が志望し受験し続けてくれているから、なんですね。

 東大の中では「学生一流、建物二流、教員三流」なんて言葉がありますが、実際、学生が本来持っている質は十分高いと思います。

 さて、では世界の中で、日本の大学はどんな「藩校」ぶりを示しているかを見てみましょう。

必要な国際化を怠ってきた日本の大学

 いま、世界各地の高校生のトップで、日本の東京大学に進学して学部を卒業しよう、と思う人がどれくらいいるか?

 この質問に答えるうえで、東大1年生全学必修文理共通の授業を持っていた時期は楽でした。

 2000年から2006年で少し古い話ですが、自分1人でも300〜400人ほど担当しており(ざっと1学年の1割前後)、その中に留学生はせいぜい3人程度。3000人いて30人、1%いるか、いないかというのが、当時必修「情報処理」を教えていた頃の私の手ごたえでした。

 これがダイレクトに分かるのは2003年とか2004年とかの時点で、今日のユーチューブのような状況を念頭に 多言語プレゼンテーション(母国語と共通言語)として課題を出していたからです。

 韓国の留学生、ペルーからは日系人の学生、ブルガリア語が母国語の人もいた、「インターネット多言語主義」を地でいきながら、オーディオビジュアルコンテンツ国際発信をカリキュラムにして白眼視などもされました。

 早すぎたと思いますが、当時履修した人は、10年経って少し得をしましたね。

 で、こういう国際的に通用する人材を本当に育てる独自カリキュラムなんか、全く歓迎されなかったわけです。当事の東京大学では・・・。

 国際的に即戦力を育てる教育がそんなに難しいわけではありません。でも、そういう施策の大半は、日本国内では、ローカルな同調化圧力によって潰される傾向があります。

 「村には村の流儀があるんじゃ。よそのことはよそでやってくれ」。そういう本音がいまもって随所で聞こえます。

 日本の国立大学のいくつかは、指定国立大学法人としていよいよ国際化の最後通牒を突きつけられつつあります。私自身のラボの経費も削られ、たまらんと思いつつ

 「太平の眠りを覚ますジョーキセン(蒸気船)」

 黒船効果としては、兵糧攻めが一番効くと思うので、これも悪いこととは思いません。

 世界各国の優秀な若者が目指す大学として、例えば日本の大学は、この20年ほど、何人海外のノーベル賞受賞者を、専任教授として日本国内に招聘したでしょうか?

 ほっとんど、ないでしょう。これがすべてを物語っています。ローカルエリートであればいい、それ以上かき回すようなことはしないでくれ。

 これが、明治から20世紀末まで続いた、日本の「お山の大将」型大学の現実的な姿です。これ自体は向こう20〜30年間、たぶん変わることはないでしょう。

 そんな中でも、何かできることはあるはず、という一縷の望みを、まだ私は捨て切れないので、こんな原稿も出先のイタリアから出稿しています。

(つづく)

筆者:伊東 乾