日本を訪れる中国人が一様に驚くのは街の清潔さだが、日本はいつから清潔さを実現していたのだろうか。中国メディアの今日頭条は1950年当時の日本の写真を紹介しつつ、「日本の清潔さは1日にしてもたらされたものではない」とする記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

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 日本を訪れる中国人が一様に驚くのは街の清潔さだが、日本はいつから清潔さを実現していたのだろうか。中国メディアの今日頭条は1950年当時の日本の写真を紹介しつつ、「日本の清潔さは1日にしてもたらされたものではない」とする記事を掲載した。

 記事はまず現在の「日本のゴミ処理の最大の特色」として、ゴミ回収に細かな分別基準が定められていること、ゴミを捨てる場所や回収の時間が定められていること、日本人がゴミ捨てのルールを厳格に守っていることなどを挙げる一方、こうした社会のルールや意識は一日にしてもたらされたわけではないとした。

 続けて、1950年当時の東京、京都、神戸の街の様子を写した写真から読み取れる日本の姿があるとし、その1枚には街中の歩道に似つかわしくない木製の桶が並べられており、その間を人々が通行している風景が写っている。こうした状況を改善するために当時の進駐米軍が日本の衛生改善を促進するためのポスターを貼ったと説明した。そのなかには「不潔さと、不衛生は下等国民の象徴だ」という痛烈な言葉もあり、こうした広告によって日本人の意識は変わっていたのだと主張した。

 記事は1950年当時の写真を掲載しているが、記事が主張するように進駐米軍の広告によって日本人の意識が変わったという主張の信憑性は疑わしいものだ。写真から見ても、当時の街並みはまだ舗装されていない道路となっているが、それでもゴミは落ちておらず、少なくとも現在の中国より清潔であることが容易に見て取れる。

 記事はあくまでも「日本だって昔から完璧な清潔さを手にしていたわけではない」と言いたいのだろう。そして、中国人も意識を変化させれば日本のような清潔な国になることは可能なのだと主張したいのであろう。しかし、やはり社会や街の清潔さは「一日にしてもたらされない」という分析は的を射ているものであり、問題は意識の変化をどこまで徹底させられるかという点に尽きるだろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)