「あのマルセロを驚かせた男が感じたブンデスリーガの衝撃」

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さすらいのフットボーラー、能登正人(のとまさひと)が日本に帰ってきた。

帰ってきたと言っても、「束の間の休息」との表現が適切だろうか。

インドネシアのクラブ、ペルシバ・バリクパパンを退団し、痛めた腰痛の治療に専念するための帰国だからだ。

能登正人のQoly限定コラムはこちら!

彼は、セレッソ大阪ジュニアユースを経て、高校卒業後に単身で渡欧。スペイン、ドイツ、タイ、日本、ラオス、インドネシアと、これまで様々な国でプレーしてきた。

ある意味、今の日本代表メンバーですら経験できない世界を肌で感じてきた男だ。

現在27歳。

未来像も考え始めるこのタイミングで、ロングインタビューを敢行した。

前回は、現在抱えている怪我や引退のことを皮切りに、スペイン挑戦の話へと話題は移ったが、今回は欧州での戦いがメインテーマ。

「レアル・マドリーでの紅白戦」、「ハノーファー時代に衝撃を受けた選手」など、これまで明かされなかった秘話は一見の価値ありだ。


【次ページ】インタビュースタート


(前回の続きから…)

――その「レアル・マドリー挑戦」のエピソードを是非聞かせてください。

いつもカレンさんとは話してるので、既に話した気になっていたんですけど…わかりました(笑)

これはスペインに挑戦してすぐの話なんですが、ある日本人の方から紹介されて、レアル・マドリーのU-19チームの練習に参加したんです。

で、そこからトントン拍子で進んで、実は最終選考まで残ったんですよ。最終選考は、スペイン国から絞り込まれた選抜同士、11人対11人の紅白戦でした。

そして結果なんですが、実は4点も決めちゃったんです(笑)

――さらっとまとめてくれましたが、4点という結果はスルーできないです(笑)

そう、自分でもビックリ(笑)

で、この時の面白い話としては、レアルのトップチームの何選手かがクラブハウスから見ていたみたいで、「あいつは何者なんだ?」と彼らの中で話題になっていたそうです(笑)

まぁ、僕は前半から気づいていたんですけどね。「あ、マルセロ見てるなー」って(笑)

正直、僕は「ラウール好き」だったんで、ラウールに見て欲しかったんですけど…。

そして、試合後、その選手たちが下りてきてくれて握手しました。あ、そこではしっかりとラウールと握手できましたよ(笑)

ずっと試合を見てくれていたマルセロからは「ナイスゴール!」と言葉をかけてもらいました。

――それは大きな自信になったのでは?

はい、自信になりました!

たぶん、そのタイミングだと思いますね。

「あ、おれサッカーできるんや」って感覚になったのも。

――しかし、そこからが長かった…。

そう、長かった…。

その試合の後、レアルのコーチも連絡先を聞いてくるし、正直、「これ、決まったな!」と高を括ってたんですけどね。

気が早い僕は家族にもすぐ連絡。「お母さん、おれ、Yahoo!ニュース載るかもしらん」とも伝えました(笑)

――しかし…

結果としては、ぬか喜びに終わりました(笑)

それで、その練習を紹介してくれた日本の方とも相談して「どこのクラブに行ったらいいんだろうか」と。

ただ、おれは「プレー出来るならどこでもいい」って感じだったので、加入先は「てきとー」に決めちゃいました(笑)

――「てきとー」?(笑)

はい、「てきとー」(笑)

机の上にチーム名が書いた紙をクシャクシャにして置いたんですよ。

で、「ここにしよっ!」って手に取ったのが、イジェスカスというクラブでした(笑)

――自分の将来をそんな決め方するとは驚きました(笑)

まぁ、僕にとってはどこも一緒だったんです。やらないといけないことは決まってたから。とにかく、試合に出て点を取ることだけ。

――となると、当時はFWだったんですか?

これにも面白い経緯があって、実はそのレアルの紅白戦がFWデビューです(笑)

――信じられないのですが…

いや、マジです(笑)

最初はDFとして登録してたんですが、練習に行ってみたら「お前、FWやれ!」と言われて…。

でも、それでゴールを奪っちゃったし、そこからはFWとしてプレーしてましたね。

――経験はあったんですか?

小学校ぐらいの時はFWやったりトップ下とかやってましたけど、大きくなってからはボランチ、右サイドバックがメインで。後はセンターバックですかね。

なので、まぁ、未経験です(笑)

ただ、スペインに行って、すぐになんとなく感じてましたね。

「ここでは、アシストとゴールが一番アピールできるな」、「海外で認めてもらうには結果しかないな」って。

――それでイジェスカスにもFWとして行ったんですね。

はい、9番です(笑)

誰に聞かれても、「おれ、ヌエーベ(9番)、デランテーロ(FW)だよ」って答えてました(笑)

まぁ、そこから徐々にポジションを下げていったんですけど(笑)

【次ページ】ハノーファー時代に経験した衝撃

――しかし、日本で未経験のポジションでいきなりスペインですよね。不安はなかったんですか?

まずは、気持ちで負けないようにしました(笑)

後は「前が空いたらシュート」。

フリーな選手がいたとしても「おれが絶対に打つ」ということは徹底してましたね。

当時をわかりやすく表現すると「全部、おれ」(笑)「PK、FKも絶対譲らん、CKはお前が蹴ってこい!」と(笑)

とにかく、サッカー選手として生き残るために必死でした。

――「FWは点を入れればOK」というスペインでの生き方ですね。

逆に言うと、日本のように「点以外で貢献する」ということが評価されないですね。

「自分はゴールを奪うためだけの選手じゃない」って言い訳が通じないんですよ。

――その後に移籍したドイツでも「FWに対する評価」は一緒でしたか?

全く違いましたね。

前線の選手でも「守備戦術は出来て当たり前」という文化なので、守備の重要度は100%。それが出来ない選手は起用されませんでした。

最低限の守備がベースにあった上で、「あなたは点が取れますか?周りを活かせますか?」という感覚ですね。

だから、僕が守備を勉強したのもドイツに行ってからでした。

――前での守備と後ろでの守備は違いますからね。

そうなんです。同じ守備でも別物。

僕はスペインでは攻撃のことしか考えていなかったので、ドイツでは頭打ちを食らいましたね。「こんなに違うのかよ」って。

――その中でも守備のタスクを免除されるタレントというのは…

本当に一握りですね。

「すごいパスが出せて、二人、三人かわして、シュートも打って…」という。

ただ、現代サッカーではそのクラスでも守備をきっちりするんですけどね。

――実際に見てきた中で「これは違うな」っていう選手はいましたか?

一番衝撃を受けたのは、ハノーファーで一緒にやっていたヤ・コナン(元コートジボワール代表FW)ですね。

「あいつ、あんなこともできるんかー!?」っていつも驚いてました(笑)

一見下手そうに見えるけど、リズムが人とは違うし、間合いの取り方も独特。

――サイドでも使われていた、セカンドストライカー的な選手でしたね。他には?

左サイドバックにいたクリスティアン・パンダーも記憶に残ってます。

とんでもないパワーで正確にボールを蹴るので、いつも「すげえなぁ〜」と思って見てました。

というか、当時の主力メンバーは全員すごかったですね。誰もが武器を持っていました。

――「ブンデスリーガでスタメンを取れる理由がそれぞれある」ってことですね。

そうです。

ポルトガル人のセルジオ・ピントだったら、「インステップのキック」、「視野の広さ」、「シュートセンス」が別格。

ラース・シュティンドルだったら、「間でボールを受ける動き」だったり、「周りの使い方」だったり、「ドリブル突破」だったり、「決定力」だったり…。

そういうチームでやれていた余計に、シーズン途中に怪我をしてしまったことは今でも悔やむところですね…。

監督に認められるようになり、トップチームの練習にも継続的に参加するようになって、トップチーム昇格も見えてきた矢先の怪我だったので。

それさえなければ、「酒井宏樹選手とも一緒にできたかなぁ」とか考えたりもします。その翌シーズンに移籍してきたので。

【次ページ】段違いだった「攻守の切り替え」

――その話を聞くだけで、毎日が刺激的だったことが感じ取れます。

本当に強烈な毎日でしたよ。「おまえ、マジかよー」の繰り返し(笑)

僕、一人だけ疲れていて、皆、普通っていう…ね。

「おまえら、切り替えどんだけ早いねん!」って、よく一人でつっこんでました(笑)

――「攻守の切り替えの早さ」はドイツの代名詞ですしね。

本当に早いんです!

感覚としては、ボールを奪われることを前提に皆が動いているんですよ。そして、それが一人残らず意思統一されている。

何から何まで僕には足りないことばかりでした。

そのリズムに慣れるだけでも相当時間が掛かりましたね。

――比較的、「Jリーグは攻守の切り替えが早いリーグ」と言われているような気がしますが…

そのレベルじゃないですね。もっと早いです。そして、厳しい。

日本では「寄せている」と言われているものが、あっちでは「いてるだけ!」という感覚。

「相手を殴りにいける距離」を取らないと、相手も「寄せている」と感じてくれない世界なんです。

――しかし、その意識を修正することって難しくなかったですか?例えば、間合いの取り方にしても、その距離感って体に染み付いていたものがありますよね。

そうですね…。やっぱり、環境で培われているものがありますからね。

まぁ、自分の場合は、空手をやってたので助かったんだと思います(笑)

――空手経験が思わぬところで活きたんですね(笑)

はい(笑)「殴りにいける距離」を普通の人よりはわかっていましたから(笑)

――間合いの話で言うと、攻撃でもそうですよね。「ボールを隠せた」と思っても、実はそうでなかったり。

ですね。こっちが「大丈夫だ」と思っていても、足が伸びてきます。

だから、その動きを把握した上で「次どうするか」を何通りも考える。これを常にやってないといけないんです。

――それを「ずっと」となれば、体にもこたえそうですね。

体もそうですが、頭が疲れましたね。もう心身共にバテバテ…

周りからは「こいつ、テンパってるなー」と思われていたはずです(笑)

――試合中はどうでしたか?

試合になると、相手がもっと激しくなるので「当たり」のレベルも変わりましたね。

しかも、カテゴリーが下がっていくにつれて、その激しさが増すんですよ。技術をフィジカルでカバーしようとするので。

だから、タックルを一つ取っても、本当に深かった。

ただ、自分はトップチームで練習していたので、スピード面ではハノーファーのセカンドチームの試合(ドイツ4部)は楽に感じましたね。

――しかし、その反面、激しさは増すと。

「これファールやろ!?」というのがファールにならないですからね。ある意味、その違いは面白かったです。

だけど、とにかく痛かった…(笑)

「どうやってモロに受けないか」を日々勉強してましたね。

――この話は「日本人はファールをもらうのが下手だ」という説にも繋がりそうですね。

世界はこのレベルで小さい時からやってますから。感覚的に、相手が来るタイミングと距離感がわかるんですよ。 

だから、世界では、例えば、バルセロナのスアレスのように「ファールをもらうのが上手い選手」が出てくるんだと思います。

(次回へ続く…)

レアル・マドリーの選手たちとのエピソード、そして、ブンデスリーガのファンであれば、きっと懐かしむであろうプレーヤーとの話はいかがだっただろうか。

外からでは体験することができない逸話の数々は、いずれも魅力に溢れていた。

そして、テーマはここから「日本サッカー界の育成」についてへ。

自身が体験してきたこと、また、指導者として子供たちと触れ合う立場だからこそ感じる、独自の「分析」は是非一読して頂きたい。

乞うご期待。

取材・構成:カレン