第四十六候「雷乃収声」(かみなりすなわちこえをおさむ)、字のごとく雷が鳴らなくなる時期になりました。夏の間おどろかされた雷鳴も秋の深まりとともに去って行くということですね。「暑さ寒さも彼岸まで」秋分を過ぎて夏が終わったことをしかと確かめる、そんな時期なのかもしれません。
さて、雷の声が収まるとはどういうことでしょうか? 昔の人は雷の音に何を感じていたのか、知りたいと思いませんか?


雷の前に「ピカ-ッ!」と光る稲妻に期待したのは、なに?

稲妻はもともと稲の夫(つま)という意味です。古くは夫も妻も連れ合いのことを「つま」といっていました。雷が稲の実をはらませると思われていたからだそうです。強烈な夏の日差しの後に恵みの雨を運んで来る雷をきっと喜んだのでしょう。稲妻の光に「アッ雷だ!」と身がまえ怖がるだけでなく、秋の稔りをそこに祈っていたのですね。お米に対する深い思いを感じます。雷の多い年は豊作だ、ともいわれています。空と大地に命の糧をゆだねている私たちは雷の季節が過ぎる今、あらためて天と地の営みに感謝をしていきたいですね。
俳句では「雷」は夏の季語、「稲妻」は秋の季語になっています。
「日雷(ひがみなり)田を這うて稲いたはれり」 茨木和生
「稲妻の百刃(ひゃくじん)稲田湿りもつ」 吉田銀葉
「日雷」とは晴天の時に雨をともなわない雷のことです。お米を作る悲喜こもごもが感じられます。


もう雷は鳴らないけれど……秋は雨の季節でもあります

日本は一年を通して雨が降りますから、雨のいい方が季節毎にたくさんのあるのをご存じだと思います。さて秋の雨はどんな雨でしょうか。
春の雨といえば静かに降る「春雨」が季節の明るい雰囲気を伝えています。秋の情景を表す雨といえば何でしょうか。秋の長雨といわれるように少し陰鬱に降り続く雨を連想しますね。「秋雨」もありますが「秋霖(しゅうりん)」はいかがでしょうか。音の響きからしとしとと止まない雨の寂しさを感じませんか?
「秋霖の濡れて文字なき手紙かな」 折笠美秋
秋も深まってくると降り続く雨から、降ったり止んだりという「時雨(しぐれ)」になります。
「鷺ぬれて隺(つる)に日のさすしぐれ哉」 与謝蕪村
それぞれに雨の特徴を詠み当てていますね。降る雨をじっと観察しているするどい目や、自然を素直に受けいれてことばに表していこうとする日本人の感性って、素敵じゃないですか。


春はゆっくりと、秋は足早に。どうもそんな感じがするのですが……

太陽の運行を基に一年を分けた二十四節気と七十二候を眺めながら気づいたことがありました。今回の第四十六候「雷乃収声」とよく似た候が春にあるのです。第十二候「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)」です。立春のあと初めて鳴る雷、春雷です。回りをみると前にある第七候「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」は、第四十七候「蟄虫坯戸(むしかくれてとをふさぐ)」に、後ろの第十三候「玄鳥至(つばめきたる)」は第四十五候「玄鳥去(つばめさる)」に対応しています。四季の巡りを感じずにはいられません。
春は第七候から十二、十三候と春分をはさんで七候かけてゆっくりと進みますが、秋は第四十五、四十六、四十七候と秋分をはさんで連続しています。待ち望む春の訪れにくらべて秋の深まりは足早だということでしょうか。七十二候にほどこされた並びの工夫はなかなか素敵です。
参考
『俳句歳時記 秋』角川学芸出版
『雨のことば辞典』倉島厚・原田稔 講談社学術文庫