元「中盆」が選んだ名勝負は?

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 相撲好きな人ならば、誰しも必ず「忘れられない一番」があるはず。「中盆」として八百長相撲を仲介し、その実態を本誌で詳しく証言してきた元小結・板井(板井圭介氏)が選ぶ「心に残る一番」は、1988年夏場所初日の水戸泉対霧島戦だ。史上初の3度の物言いがついた名勝負について、板井氏が振り返る。

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 この一番を土俵下の控えで見ていたが、精根尽き果てるというのはこういうことだと思った。霧島の手が筋肉疲労から震えていたからね。長い大相撲の歴史の中でも幕内の取組で物言いが3度もついたのは史上初だったが、土俵下から審判と同じ目線で見ていても、確かに三番とも同体だったと思う。

 最初の一番は巨漢(194cm、164kg)の水戸泉が寄って、軽量(187cm、117kg)の霧島が土俵際でうっちゃった。行司は水戸泉に軍配を上げたが、同体で取り直し。これはよくあることだが、ここからが凄かった。

 2度目は逆で、霧島が寄り、水戸泉がうっちゃりで応酬した。軍配は霧島に上がったが、再び物言いがついて同体取り直しとなった。3度目は最初と同じく水戸泉が寄り、霧島がうっちゃり、今度は霧島に軍配。ところがこれにも物言いがつき、協議の結果、3度取り直しとなった。

 お客さんは大喜びだったが、水戸泉と霧島は土俵に上がるのも辛そうだった。4度目は水戸泉が寄りで攻勢をかけると、霧島が土俵際でまたまたうっちゃり。また物言いかと思ったが、軍配通り水戸泉の勝ち。最後は霧島が疲れていたのか腰から落ちていった。それでも勝った水戸泉が負けたと思って土俵を下りるほどの微妙な一番だった。当時の水戸泉はガチンコ相撲だったが、やはりガチンコは何が起こるかわからないので面白い。

 オレはスタミナがないから取り直しの相撲が大嫌いだった。微妙な一番で軍配が相手方に上がると、オレは審判の顔を見たものだ。師匠と手が合う(=角界の隠語で仲が良いことの意)親方が審判をしている時は物言いの手を挙げてくれたりした。

 逆に手が合わないと、オレの手が髷に触れただけで反則負けにされたこともある(北天佑戦。中立親方=元横綱・栃ノ海)。このように審判によって物言いの基準が全然違う。3度の取り直しをした時は、超真面目な鏡山審判部長(当時=元横綱・柏戸)だったというのも納得できる。

 ちなみに自分のベストは横綱・大乃国を電車道で土俵外に運んだ一番(1989年大阪場所13日目)。大乃国からは金星3つを稼いでおり、張り手一発で倒した一番もあったが、やはり正攻法で勝った相撲の方が印象に残っている。

※週刊ポスト2017年9月29日号