朝夕にひんやりした風が吹く頃となりましたね。3つに分けた秋の真ん中にある中秋(ちゅうしゅう)を、さらに2つに分けるもの…それが「秋分」です! 今日を境に、秋は後半へと進んでいくのですね。そんな本日9月23日は、世界で人気の浮世絵師・葛飾北斎の誕生日。伝わるエピソードは作品以上に前衛的!? 北斎が最晩年にお気に入りだった長野県小布施(おぶせ)では、名産の栗がたわわに実るころです。月の光や江戸の天才アーティストに思いを馳せながら、秋の恵みを楽しみませんか。

イガグリ、とんがってます


「あの世」と近くなり、月は美しく輝くころ

「中秋の名月」は年によって日にちが変わり、2017年は10月4日。十五夜といっても、実際は満月になる少し前のお月さまがあらわれます。「芋名月」とも呼ばれ、旬の里芋などをお供えして皆でいただいたりもします。ところで、秋にはもう一つ名月があり、どちらか片方ではなく両方見るのが縁起がよい、とされているのをご存じでしょうか。それは約ひと月後の、十三夜(じゅうさんや)。「栗名月」とも呼ばれ、2017年は11月1日。空気も澄んで、お月見にピッタリの時期とされています。すすきやお団子を飾り、実りの秋に感謝して皆で芋や栗をいただいたり、月を見ながらゆったりお食事やお酒を楽しまれてはいかがでしょう。
葛飾北斎が生まれたのは、1760年の9月23日。ときはお彼岸…なんと、あの世とこの世が最も通じやすい日ではありませんか。北斎は、数え90歳で亡くなるまで生涯現役どころか、老いてますます高みを目指して進化しつづけたアーティストでした。超絶技巧の売れっ子おじいさんなのに「絵が上手くなりてぇ」と泣いて悔しがり、死ぬ直前には「あと10年、いや5年生きられたら真の絵師になれるのに」と言い残したのです。もしかすると、現世にいながら天上の芸術が見えてしまい、それに向かって昇り続けずにはいられなかったのかもしれません。この世への執着は、絵を描くことのみ(キッパリ)。だから、毎日の暮らしに頓着するヒマなんてなかったようです。生涯に、93回ものお引っ越し。そのワケは…同居する娘(←優れた絵師)ともども掃除を全くしないため、家がゴミだらけで住みにくくなるたびに引っ越してリセットしていたのでした!

十五夜には15個、十三夜には13個のお団子が一般的?


森羅万象を描きたい!この世が面白すぎるから

「この1000年でもっとも偉大な業績を残した世界の100人」(アメリカ『ライフ』誌)に、ただひとり日本人として選ばれているのが葛飾北斎です。海外では、たとえその名は知らなくても、大きな青い波の絵( グレートウェーブこと『神奈川沖浪裏』)や雲のたなびく赤い山(赤富士こと『凱風快晴(がいふうかいせい)』)なら知ってるよ! すごくかっこいいよね!という人が多くいて、世界でもっとも有名な絵のひとつとなっています。日本を表現するモチーフとしてさまざまなシーンやグッズにも使われていますね。どちらも、日本各地から見えるいろんな富士山を描いた『富嶽三十六景』というシリーズの作品です。北斎の浮世絵は、ゴッホやモネ、セザンヌ、ドガなどの印象派をはじめ、ヨーロッパの画家たちに絶大な影響を与えました。
北斎作品は、ポップです。美術の知識がなかろうと、異文化圏の人だろうと、小さな子どもだろうと「富士山だ!」「カニだ!」「お化けだ!」「変な人だ!」と、誰もがそのまま楽しめます。風景、魚や動物、美人画、力士絵、幽霊画、春画…等々、森羅万象どんなジャンルも描けて、しかもどこか「とんがって」いる…北斎は、人の「面白い」という感覚にとっても敏感だったのではないでしょうか。描くばかりでなく、派手なライブパフォーマンス(120畳の大きさに描いたり米粒に描いたり、チャボの足に絵の具をつけて歩かせたり)もするし、予告チラシを自らデザインして宣伝活動もしました。アーティストの未来も応援(『北斎漫画』はお弟子さんたちの教科書といわれています)。こんなにわかりやすい絵なのに、何度繰り返し見ても不思議と飽きることがありません。自然界の山や生きものが、見るたび新しい発見をくれるみたいに。この世で見るもの全てがあまりに面白すぎたから、北斎は長生きして見ていたかったのかな…などとも思えてくるのです。

そうそう、この波!(イメージです)


北斎は80歳以降がもっともパワフルだった!!

80歳を過ぎてから初めて小布施を訪れた北斎。ここでは友人である高井鴻山の支援のもと、のびのびと肉筆画を制作しました。晩年の北斎は、毎朝日課として獅子の絵を描いていたそうです。アスリートのトレーニングメニューみたいですね(長寿祈願だったという噂も)。「北斎館」には、そんな肉筆画がたくさん残っています。北斎唯一の立体像景物『祭屋台』をよく見ると、外国の礼拝堂の天井画を思わせるキューピッドがさりげなく描かれていたりもします。絶筆とされる作品『富士越龍図』も…これは、空に帰っていく龍の絵です。不思議な静寂に包まれて、どこまでも昇ろうとする生きもの。北斎自身の姿が重なります。
新幹線もない時代に、高齢の身で4度も長い旅をして訪ねていくなんて。幕府の芸術への締め付けや、放蕩する孫の借金取り立てなど、江戸の煩わしさから逃げたいという思いもあったようです。下戸で甘党の人ですから、名産の美味しい栗でつくるお菓子も大好物だったことでしょう。生涯にペンネーム(画号)を30回以上変えた北斎の、この頃の名は「画狂老人卍(がきょうろうじん まんじ。グッときますね)」。北斎がもし現代に生きていたら、テレビの人気者になっている気がします。トークセンスもありそうですし…。それに新しもの好きなので、作品づくりにパソコンを使いこなしたりしていますね、たぶん。このみなぎるパワー、あやかりたいです!

長野県小布施『北斎館』

この秋は、 国立西洋美術館 、 あべのハルカス美術館 、 太田記念美術館 など、各地で北斎の展覧会が開催されます。月と栗と北斎と、深まる秋を楽しんでみてはいかがでしょうか?

<参考資料>
『葛飾北斎 人と作品』永田生慈(津和野 葛飾北斎美術館)
『北斎館』ホームページ