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社名はラテン語

共にベアリング・メーカーであるSKF社出身のアッサール・ガブリエルソンとグスタフ・ラーソンによって設立された会社は、設立当初のボルボの財務的支援(Bankroll)を行った。ラテン語で「I Roll(転がす)」を意味するボルボの社名は、ここに由来する。

ボルボOV4 (1927)


1927年4月14日に、スウェーデン・イエーテボリのルンビュ工場から出荷された、ボルボ初の生産車である。リアアクスルが逆に取り付けられて反対向きに走り出すなど、波乱の幕開けとなった。28psを発生する1944ccのエンジンには、3速のマニュアル変速機が装着された。

ボルボPV651 (1929)


ボルボは軽量化とは無縁と思えるが、黎明期でもそれは変わらなかった。4気筒エンジンでは荷が重すぎた為、1929年には早くも初の6気筒エンジンを導入。PV651という洒落た車名を持つこのクルマは、55psを発生する3010ccの6気筒サイドバルブ・エンジンを搭載した。

ボルボPV36 (1935)


カリオカ(当時流行したダンス)のニックネームを持つPV36で、ボルボは大胆な戦略に出る。流線型を取り入れたデザインのクライスラー・エアフローが発表されるやいなや、そのトレンドを追ったのだ。しかしこのクルマの販売は、手本となったクルマと同様に散々だった。

ボルボPV444 (1947)


戦前、ボルボは大きくラグジュアリーなクルマにフォーカスしていたが、戦後は一転して、小さく実用的なクルマ造りへとシフトする。その方針転換をリードしたのがPV444であり、同時にこれは、1956年の春、アメリカ初上陸を果たしたクルマでもある。1958年に導入された改良型の、俗にいうPV544は、フロントウインドウをPV444の分離式に対して一体型としていた。

ボルボPV445 ドロップヘッド(1949)


多彩な個性を主張するコーチビルダー向けにシャシーのみで販売されていたPV444は、PV445として1949年より販売された。バルボやリングボーグといったコーチビルダーがドロップヘッドPV444を造ったが、極めて少数である。

ボルボ・デュエット(1953)


1950年代、ステーションワゴンという定義は存在しないに等しかった。コーチビルダーによってシューティングブレークは造られていたが、メーカーがまだサルーンにフォーカスしていた為、ボルボのエステート発表は大きな反響を呼んだ。PV445のプラットフォームを使ったデュエットは、1969年まで製造が続けられた。

ボルボP1900 (1954)


1953年にアッサール・ガブリエルソンがアメリカを訪れた時、ヨーロッパのスポーツカーがいかにポピュラーであるかを目の当たりにした。グラスファイバーを導入した新型コルベットを造るシボレーの工場を見学した彼は、プラスティックのボディを持ったスポーツカーの開発を決意する。しかし、高価で脆弱だったP1900は、僅か68台が出荷された後に、その生産が打ち切られる。

しかし、えもいえぬエレガントなスタイルと、風変わりな個性が、評価され、今日では$10万以上で取引されている。

ボルボ・アマゾン(1956)


アマゾンは、PV544の後継車として導入されたが、その後10年に渡って併売されることになった。ドイツの二輪車メーカーであるクライドラーが、ボルボの商標侵害を訴えたため、この車名は国内市場のみで使われ、他の市場では120シリーズ、又は220シリーズとして販売された。

ボルボP1800 (1961)


イギリスのTV番組、ザ・セイントで使用されたことでも知られるこのスタイリッシュなクーペは、初期モデルにのみ存在したP1800。インジェクションを採用した後期モデルは、1800S/1800Eと呼ばれた。モデルの終焉を飾ったのは、1800ESと呼ばれたシューティングブレークである。

ボルボ140シリーズ (1966)


このモデルが導入されるまで、ボルボのデザインは曲線を多用したものだったが、144サルーンと145エステートは、直線を基調としたデザインで登場した。クラッシャブルノーズ、多系統ブレーキ、クラッシャブルステアリングコラム、むち打ち防止ヘッドレスト、リアシートベルト、ラミネートウインドウなどが、他のメーカーに先駆けて搭載された。

ボルボVESC (1972)


ボルボのクルマは美しくないというだろうが、このコンセプトカーもまた、ボクシーであか抜けない。このクルマは、VESC(ボルボ・エクスペリメンタル・セーフティ・カー)と呼ばれ、アンチロックブレーキ、フロントとリアのエアバッグ、ポップアップ式の頭部保護機能、衝撃吸収式バンパーなど、先見の明を感じさせる数々の装備を持つ。

ボルボ66 (1975)


ボルボは1960年代後半に、オランダのDafに興味を示し、1975年に大株主になる。まずてこ入れしたのは、Daf55の発展型となる、サルーンとエステートのバリエーションを持つ66の導入だ。1.3ℓエンジンを搭載し、バリノマチックとして知られるDafのCVTを介して後輪を駆動した。

ボルボ343 (1976)


343は、1.3ℓの66(1974年に140からモデル・チェンジした)と2.1ℓの240シリーズの間に存在する隙間を埋めるのではなく、Dafデザインを基に誕生した。

当初は、1.4ℓのルノー製エンジンにCVTを装着。その後は、製造期間全般にわたり排気量の拡大と、変速機の改善を図った。変速機をリア側に搭載し重量配分がよかったことと、後輪駆動であった事が幸いして、このクルマは意外にもドライブの楽しいクルマだった。

ボルボLCPコンセプト(1976)


車名はライト・コンポーネント・プロジェクトの略。それが示唆するとおり、マグネシウムやプラスティック、アルミニウムといった、軽量素材の採用を試みたコンセプトカーである。2台が造られ、1台目には1.3ℓ直噴3気筒ターボディーゼルが搭載され、もう1台には通常の1.4ℓターボディーゼルが搭載された。

ボルボ262C (1977)


ベルトーネと共作した262Cは、しかし、ボルボの誇る名車には数えがたい。スウェーデンでデザインされ、トリノで生産されたこのクルマは、2.7ℓV6エンジンを搭載し、1977年から1981年の間に6622台が造られた。

後編では、1980年代以降のモデルをご紹介。乞うご期待!