森下勝博さんと和子さん

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「がん」が進行し、病院で治療の術がないと告げられたときに、どんな選択肢が残されているのか。「緩和ケア」──その響きには、単に患者の痛みを和らげ、弱って死ぬのを待つだけというイメージがつきまとう。しかし、緩和ケアを選び、最後まで普段通りに仕事を続け、家族と価値ある時間を過ごせた人たちがいる。群馬・高崎の緩和ケア診療所「いっぽ」で、3年越しで医師と患者に密着取材を続けているジャーナリスト・岩澤倫彦氏がその実像を描く。

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「友達を連れてこられる家に住みたい、と娘に言われてね。よし、大きい家を建てようと、毎日4時間しか眠らないで働いたのさ。2人の娘はしっかり育ったし、母ちゃん優しいし、満足しているよ」

 家族のために生きた男の最後の選択とは──。2011年10月、群馬県伊勢崎市に住む、森下勝博さん(当時62歳)は、大腸がんが見つかり、長女・文恵さんが勤務する市民病院で左半結腸を切除した。

 この時、リンパ節転移が確認され、抗がん剤治療が始まる。その副作用が勝博さんを一変させた。

「抗がん剤を打つと興奮状態になって、まともな会話ができない。夜も眠れない。指の爪は全て割れて、血が滲んでいました。コップさえ持てないし、運転もできない。常に吐き気がする。うつ状態になって、死が頭から離れませんでした」(勝博さん)

 運送の仕事を辞め、自分の部屋に引きこもった。勝博さんは抗がん剤治療に耐え続けたが、2年後に今度は肝臓に転移が見つかる。もう限界だった。

 主治医・保田尚邦氏(伊勢崎市民病院・診療部長)は、勝博さんに「いっぽ」の受診を勧めた。「いっぽ」は、25年前、群馬・高崎市で緩和ケアの草分けとして開設された緩和ケア診療所だ。

「最終段階のがんは、完全に治すことはできない。でも本来、医療の役割は痛みや苦しみを取ることです。患者にとって大切なのは、命が延びることだけではなく、その人が楽しく、自分らしく生きることです。緩和ケアは諦めじゃない。“攻めの医療”です」(保田氏)

 2014年6月、勝博さんは妻と2人の娘と一緒に、「いっぽ」を訪れ、緩和ケアを受けることを決めた。

 自宅の庭で、梨や梅、キウイなどの手入れができるようになった。念願だった孫とのキャッチボールも実現して、働きづめだった勝博さんに家族との安息の日々が訪れた。

◆また歩けるようになった

 2015年1月、「いっぽ」のロビーで勝博さんが吐血。痙攣の発作が起きて意識不明となった。一緒にいた妻・和子さんは、自宅に連れて帰る決断をした。

 勝博さんは自宅でも2度吐血、苦しみから「眠らせてくれ」と訴えた。そのため、セデーション(鎮静処置)を実施、勝博さんは深い眠りについた。看護師の長女・文恵さんが、仕事を休んで寄り添う。

「仕事で亡くなる患者さんと接しているので、手足が真っ白になった父を見て、これで終わりかもしれないと覚悟を決めました」

 永遠の眠りにつくと思われた7時間後、勝博さんが目覚めた。

「なんだこりゃ?」

 あの世に行ったはずが、自宅の天井が目に入ってきたからだという。この言葉を聞いて、妻や娘たちは涙を流しながら笑った。その後、勝博さんは点滴などの治療は一切せずに、ひたすら安静を続ける。

「お父さんのベッドの脇に布団を敷いて、昔みたいに家族4人になったねと言ったら、嬉しそうにしていましたね」(次女・博子さん)

 2015年3月、桜が咲き始めた自宅近くを歩く、勝博さんの姿があった。両手にストックを握り、カメラが追いつけないほど速いペースだ。

「歩けるようになるなんて、夢のようだね。倒れた時も頭は冴えていて、俺は自由なんだって思ったら、回復しちゃったんだよ。治療は一切していません」

 リハビリも兼ねて、独学で覚えた“手作り籠”が「いっぽ」の看護師や知人に好評で、100個以上を作った。

「主人が頑張ってきて今の家族があるんだから、今度は私が恩返しする番だなと。本当の自分を取り戻せる場所が、家だと思います」(妻・和子さん)

◆穏やかな旅立ち

 2015年5月、明け方に勝博さんが吐血した。午前7時30分、萬田緑平医師(注)が森下宅を緊急訪問して診察。勝博さんは、脈が極めて弱くなっていたが、意識はあると確認する。

【注:萬田緑平医師は2017年、いっぽから独立して緩和ケア萬田診療所(前橋市)を開設】

 午後2時15分、「いっぽ」の福田元子看護師長が到着。血中酸素濃度を測定し、勝博さんと言葉を交わす。

「98%です、ちゃんと血液に酸素が運ばれてますよ」

 勝博さんは目を閉じたまま、頷いて応えた。

「うん、頑張ってるね」

 午後2時30分過ぎ、勝博さんが大量に吐血。福田師長と家族が連携して対応する中、勝博さんが「痛い、痛い」と訴える。

 午後3時2分、竹田果南医師の判断でセデーション(鎮静処置)実施。これによって、勝博さんの表情は穏やかになる。
 
 午後3時43分、妻・和子さんに手を握られながら、勝博さんは眠るように息を引き取った。

──翌年春、次女・博子さんが長男を出産。笑顔の中に勝博さんの面影が宿る。長女・文恵さんは、勤務先の病院でがん患者の退院支援の職に就いた。

「まだ病院の医師や看護師は緩和ケアを知りません。現場から意識を変えていきたいと思っています」

※週刊ポスト2017年9月29日号