習近平体制になってからより一層強まった感のある中国の愛国主義。それに対して日本人の愛国心は中国人からすると「淡白」に映るようだ。しかし、中国メディアの捜狐はこのほど、日本人にも愛国心はあるが中国人とは表現方法が異なるとする記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

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 習近平体制になってからより一層強まった感のある中国の愛国主義。それに対して日本人の愛国心は中国人からすると「淡白」に映るようだ。しかし、中国メディアの捜狐はこのほど、日本人にも愛国心はあるが中国人とは表現方法が異なるとする記事を掲載した。

 記事はまず、日本のあるテレビ番組で「あなたは国のために死ねますか」と街頭インタビューした際の日本人の回答を紹介した。結果はほとんどの人が「できない」と回答。なかには、日本という国にそこまでの価値はない、または国のために死ねという国など滅びてしまえば良いという人まで現れたという。記事は、「ある国でこんな回答をテレビで放送したら局長はとっくにクビになっている」としたが、この「ある国」とは、おそらく中国のことを指しているのだろう。

 戦時中、「お国のためなら」栄誉の死も厭わなかったと言われる日本人。同じ国民とは思えない変化だが、記事は「日本人の愛国に対する考え方は1970年にはすでに変わっていた」と指摘し、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした三島事件に言及。三島由紀夫の演説に対して日本人は嘲笑でこたえていたことに対し、「日本の未来は末恐ろしい」と感想を述べた。

 では、その変化によって、日本人に愛国心はなくなったということだろうか。記事は、そうではなくて「表現方法が変わっただけ」と分析している。中国人は、「体操選手がメダルをとって礼を言う」という表面的な愛国心のあらわし方をするのに対し、日本人の場合は、選手は国ではなく迷わず家族に礼を言うが、そのかわり「多く稼いで多く税金を払う、日本製品を買う、食品の安全問題や政府の腐敗には厳しい態度で臨む」などの現実的な方法で愛国心を示していると考察し、日本人の愛国の方法を知ると恥ずかしくなると正直に感想を述べた。

 記事の著者が言うように、日本人がそこまで愛国を意識しながら生活しているかはさておき、形式だけの愛国よりも、日本人の表現方法のほうが、確実に国に貢献できるというのは間違いないだろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)