【書評】『富岡畦草・記録の目シリーズ 変貌する都市の記録』/富岡畦草 富岡三智子 鵜澤碧美・著/白揚社/2500円+税

【評者】川本三郎(評論家)

 東京は変化が激しい。町の姿が次々に変わる。そのために写真家は定点観測という方法を考える。銀座、日本橋、丸の内などひとつの場所を定め、何年にもわたって撮影し、町の変化をとらえる。

 今年、九十一歳になる富岡畦草(とみおかけいそう)とその娘の三智子、さらにその娘の鵜澤碧美(うざわたまみ)の三代によって、主として東京の変貌を追っている。手間のかかった労作。昭和二、三十年代から平成、そして現代へとつながっている。

 富岡畦草さんが撮った、戦後から高度成長期にかけての東京の写真がやはり懐しい。その後の変化があまりに激しいからだろう。丸の内にあったレンガの建物が並ぶ「一丁倫敦(いっちょうロンドン)」、銀座にあった森永製菓の地球儀型の広告塔、有楽町駅前の「すし屋横丁」、新宿西口にあった淀橋浄水場。どれもとうになくなった。

 ノスタルジーとは過去を懐しむと同時に、失った痛みを自覚することだ。東京の町は実に多くの建物を失いながら、新しく作り変え、発展していった。多くの痛みの上にいまの東京がある。

 富岡畦草さんは戦時中、兵隊に取られていた。戦争が終って東京駅へ戻った時、空襲で破壊された風景を見て「多くの犠牲戦友への弔いも合わせ」、東京の定点観測を考えたという。戦争を体験した戦中派の思いがこもっている。

 戦後復興の象徴となった東京タワーの鉄骨には、米軍のスクラップされた戦車が使われたという意外な事実は初めて知った。「戦後復興期の希望の象徴となった東京タワーは、敗戦の傷を乗り越えようと奮闘した国民の覚悟の象徴でもある」。戦争を生き抜いた戦中派ならではの言葉が重い。

 東京駅をはじめ、新橋駅、新宿駅、あるいは名古屋駅、大阪駅、札幌駅と駅の写真が多い。近代日本の町は鉄道の駅を中心に発展していったことが分かる。驚いた写真がある。昭和三十四年に撮影された東京駅。七番線のホームにSLが入線している。常磐線だという。東京駅からも常磐線が発車していたとは。

※週刊ポスト2017年9月29日号