長澤まさみ、“感情を失った”演技のすごみーー『散歩する侵略者』の衝撃的な輝き

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 正直な話、これまで黒沢清の映画を観てきても(とりわけ素晴らしい作品が多いのだけれど)、ずば抜けて女優を魅力的に撮る作家だという印象を持ったことはなかった。数年前の短編映画『Seventh Code』の前田敦子しかり、昨年フランスで制作された『ダゲレオタイプの女』のコンスタンス・ルソーしかり、いずれもその女優の持っている神秘的な魅力が表面的に切り取られてはいるものの、奥底から引き出してくるような圧倒的な力強さは感じられずにいた。

参考:黒沢清は“侵略”を描き続けてきたーー『散歩する侵略者』遅すぎた3人の宇宙人の物語

 ところが現在公開中の『散歩する侵略者』における長澤まさみは違う。もちろん、夫役の松田龍平をはじめ、長谷川博己と高杉真宙、恒松祐里ら、どのキャストも素晴らしい演技を披露している。その中で、とりわけ長澤の存在感が、衝撃的なほどに輝きを放っていたのだ。優れた女優を説明書通りに使っていたような監督が、突然女優の魅力を開放させた衝撃は、まるでヒッチコックの『めまい』でのキム・ノヴァクを観たときの衝撃にも似ている。

 長澤が演じた鳴海は、最初の登場シーンからこの映画全体を独り占めしていた。行方不明から帰ってきた夫の様子に異変を感じる彼女。その様子に苛立ちながら、夫の浮気を咎め、車に乗り込む。そんな前半のヒステリックなキャラクターから、自分は宇宙人だと語り始める夫の“ガイド”として、彼を守り続ける中で徐々に愛情を取り戻していく様は、本作が単なるSFではなく、“愛”とは何かを探求し続ける哲学的(フィロソフィカル)なラブストーリーであると証明しているのだ。

 「東宝シンデレラ」でグランプリを獲得し、2000年の映画『クロスファイア』でデビューした時には、まだあどけない少女だった長澤は、その後代表作となる『世界の中心で、愛を叫ぶ』で注目を集める存在になった。そして、一時の低迷期を乗り越えたここ数年で、その魅力を活かす術をようやく見つけたように思える。

 キャリア初期の頃は、前述した『世界の中心で、愛を叫ぶ』のように、明るく真面目なヒロイン像がよく似合っていた彼女。2005年に一世を風靡したドラマ『ドラゴン桜』で彼女が演じた役柄も、勉強はできないが真面目でしっかり者の女子高生役だった。しかし、その雰囲気を継承したまま、実年齢に合わせた役柄を演じていくと、“清楚で控えめなヒロイン”というキャラクター性を持て余し、いまひとつ凡庸なイメージになってしまったのである。

 そんな中、2010年に映画版『モテキ』で溌剌とした魅力と色気を前面に押し出して復活の兆しを見せると、少し間を開けて2014年の『WOOD JOB〜神去なあなあ日常〜』でその真価を見せた。村一番の美女として、染谷将太演じる主人公を林業の世界に引きずり込むきっかけとなりながら、実際は大型バイクを乗り回す、奔放で勝気なヒロインというギャップ。突然見せた、開き直ったようなキャラクターで、完全に長澤まさみという女優の方向性が定まった。

 続く『海街diary』で、その方向性が彼女にしか出せないものであることを証明。同世代の実力派女優を相手に、圧倒的にリードする存在感を見せつけたのだ。4姉妹の次女として、長女の綾瀬はるか、三女の夏帆とは正反対の自由すぎるキャラクターで、バランスを見事に取りながら、観客さえも圧倒する。恐ろしいほどに、長澤まさみという女優の凄さを目の当たりにした作品だった。

 そういった奔放で、限りなくコメディエンヌに近い演技で開花した彼女ではあるが、今回の『散歩する侵略者』では違った表情を見せる。くすりと笑えるようなセリフはありながらも、初期の頃のような真面目なキャラクターの面影を確かに残していた。もちろんそれだけでは、また定型的な長澤まさみに填めてきたのかと思ってしまうわけだが、決してそんなことはない。

 感情の喪失した松田龍平演じる夫との掛け合いのバランスを取るほどの感情的な芝居で進め、終盤で彼女は“愛の概念”を失うことで感情のすべてを失うという立場の逆転。表情のみで語り、余韻を的確に残すことで、数年前の彼女とはまったく違った余裕が窺えるのだ。すっかり彼女の演技は、見えない鎖から解き放たれたように思える。

■久保田和馬映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。