trend_20170921162106.jpg

写真拡大

■「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」(帚木蓬生著、朝日選書)

ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)。あまり耳慣れない言葉だが、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指す。

世間では一般に、問題の解決を急ぐあまり、既存の理論や考えによって、すぐに答えを出そうとするが、そうした態度から一歩引いて、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味する。

本書の著者は、今年、古稀を迎える精神科医。数々の文学賞を受賞してきた作家でもある。

その著者が、今を遡ること30年以上前、精神科医となって6年目に、米国の専門誌に載っていた論文で初めて、このネガティブ・ケイパビリティという言葉を知った。以来、この言葉が、著者の人生を支え続けているという。難局に直面するたびに、この言葉を思い出すことによって、逃げ出さずにその場に居続けられたと語る。 

「私たちにとって、わけの分からないことや、手の下しようがない状況は、不快です。早々に解答を捻り出すか、幕をおろしたくなります。しかし、私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちています」「私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての創作行為も、随分楽になりました。いわば、ふんばる力がついたのです。それほどこの能力は底力を持っています」

本書は、医療、文学、教育など様々な分野で、このネガティブ・ケイパビリティが発揮されている事例を紹介することを通して、その持つ大きな力を教えてくれる。

文学上の概念として、19世紀初頭の詩人キーツが発見

このネガティブ・ケイパビリティという概念は、25歳で早逝したイギリスの詩人、ジョン・キーツが兄弟に宛てた手紙の中に書かれたものだという。

シェイクスピアに傾倒するキーツは、シェイクスピアには、心の中を空にし、他の人間がどう考えているのかを想像する卓越した能力があったがゆえに、彼の作品の登場人物の行動は、読者の心の中で現実性を増していると高く評価していた。

そして、こうした共感的な想像力が生まれるためには、作家や詩人には、ネガティブ・ケイパビリティが必要になる、すなわち、「真の才能は、個性を持たないで存在し、性急な到達を求めず、不確実さと懐疑とともに存在する」と主張した。

キーツによれば、作家や詩人は、ヒトを含めた自然と対峙したとき、今は理解できない事柄でも、不可思議さや神秘に対して拙速に解決策を見出すのではなく、興味を抱いてその宙吊りの状態を耐えるべきなのだ。

本書において、作家である著者は、ネガティブ・ケイパビリティを有する作家として、シェイクスピアと紫式部を取り上げる。「マクベス」、「リア王」、そして「源氏物語」において、登場人物達が繰り広げるドラマから、シェイクスピアらの内にあるネガティブ・ケイパビリティの存在を指摘する。

恥ずかしながら、これらの作品に疎い評者には、著者が意図するところを正確に理解できたかどうか心許ない点もあるが、少なくとも、これらに作品に登場する人物達が、読者の予想、筋書きを大きく逸脱し、振る舞うことを通じて、ストーリーを展開していく様子から、シェイクスピアや紫式部の底知れない能力というものを感じさせられた。

170年後に、精神科医ビオンが再発見し、脚光を浴びる

このネガティブ・ケイパビリティの考え方が広まったのは、キーツの死後170年経って、イギリスの精神科医ビオンが、精神科医も、患者との間で起こる現象、言葉に対して、同様の能力が求められると主張したことによる。

つまり、目の前の患者と接する際に、精神分析学の知識で患者を診たり、その理論をあてはめたりして患者を理解しようとするのではなく、不可思議さ、疑念を持ち続け、性急に答えを出さない態度が大切だと指摘したのだ。

学問は、通常、「記憶」と「理解」が基本をなし、こうしたいという「欲望」がその中に詰まっているが、これらを捨ててこそ、初めて辿り着ける、見えてくるという考えだ。

こうしたアプローチが求められるのが、死にゆく終末期の患者を前にしたときの対応だという。

一般に、精神科医は、人混みでのパニック発作など、死にゆく不安以外の不安には慣れている。しかし、死にゆく不安は、深刻ではあるが、ある意味で正常な不安であって、その対処については、教科書にも書かれていない。

したがって、こうした場面で、精神科医は、目の前の患者に対し、拙速に帳尻を合わせることなく、宙ぶらりんの解決できない状況を持ちこたえていく力が求められる。著者の言葉を借りれば、「生まれたばかりの手つかずの心、赤子の心で、死にゆく患者と対峙する」のである。そうすれば、「主治医と患者の間で交わされる言葉の一言片句が千鈞の重みを持ってくる」という。

著者によれば、誰でもひとりで苦しむのは耐えられないものであり、誰かその苦しみを分かってくれる、見てくれている人がいると、案外耐えられるという。

「あなたの苦しい姿は、主治医であるこの私がこの目でしかと見ています」「あなたの人生は必ずや遺されます、少なくとも主治医である私の胸には、私が死ぬまでしまっておきます」

といった医師の言葉は、死にゆく患者に対して処方できる最大の薬(著者の言葉を借りれば、医師が見ているという「目薬」)だという指摘はとても印象的だ。

身の上相談でも、大いに役立つ

ネガティブ・ケイパビリティは、終末期医療だけでなく、著者の日常診療でも役に立つという。

著者の場合、開業医ということもあって、身の上相談的なケースも多く、その中には即座に解決とはいかず、むしろ、ただ悩みを聞き続けるしかないという事例が相当数あるという。

本書で取り上げられているCさんの場合には、夫がうつ病で何度も休職、小学校の息子は不登校、上の娘は習い事が長続きしない飽き性の性格、と心配が絶えない。一人で家族を背負い、切り盛りするCさん自身は動悸と不眠に悩んでいる。主治医である著者は、夫のうつ病に関していささかの助言はできたものの、息子と娘への対処法については、「長い目で見ていくしかないでしょう」としか言いようがなく、長年、付き合ってきた。

8年経った現在、夫は時々抑うつで病休をとるものの、職場に復帰。娘は短大を卒業し社会人に。不登校だった息子はビリッケツ近くで高校を卒業後、何とか私立大学に合格、今は学業よりもパートのレジの仕事に夢中だという。8年前には全く答えが見えずにいたけれど、持ちこたえているうちに、何とかなったという事例である。まさに、ネガティブ・ケイパビリティが力を発揮したケースである。

著者曰く、

「ネガティブ・ケイパビリティを知っていなければ、とっくの昔に、こうした解決法が見当たらない患者から逃げ出していたでしょう」「どうにもならない問題なので、もう来てもらっても無駄ですと言って、追い払っていたかもしれません」

何もできそうもない所でも、何かをしていれば何とかなる。何もしなくても、持ちこたえていけば何とかなる。今すぐに解決できなくても、何とか持ちこたえていく、これがひとつの大きな能力なのだと受け止めることができるようになると、心が軽くなり、結果として、新しい展望が開けるときが来る。ネガティブ・ケイパビリティは、そんな可能性を持つ力のようだ。

JOJO(厚生労働省)