平野さんが設計した漬物製造機(筆者撮影)

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「がん」が進行し、病院で治療の術がないと告げられたときに、どんな選択肢が残されているのか。「緩和ケア」──その響きには、単に患者の痛みを和らげ、弱って死ぬのを待つだけというイメージがつきまとう。しかし、緩和ケアを選び、最後まで普段通りに仕事を続け、家族と価値ある時間を過ごせた人たちがいる。群馬・高崎の緩和ケア診療所で、3年越しで医師と患者に密着取材を続けているジャーナリスト・岩澤倫彦氏がその実像を描く。

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●2014年9月──

「がははは!」診察室から豪快な笑い声が響く。25年前、緩和ケアの草分けとして開設された緩和ケア診療所「いっぽ」(群馬・高崎市)を訪れるのは、命の危機にある進行がん患者と家族だ。それなのに、なぜ笑っているのだろう?

 こんな疑問から16回にわたる取材となったのが、笑い声の主・平野治行さんだった。気力みなぎる大きな目が印象的で、73歳にして現役の設計士。

「仕事があるから生かされている。もし仕事を辞めたら、寝たきり老人になるんじゃないかな」

 こう語る平野さんは、大腸がん・ステージ4。診察室で交わす会話の中身は、かなりシリアスだが、常に笑いを交えて話す。

「夜中に痛くて目が覚めるんだ。仕事をしている時は、痛くないんだけど、なぜか家だとね(笑)。仕事のピークが11月にくるから、それまで大丈夫かな(笑)」

「お好きにどうぞ!」

 主治医・萬田緑平医師も笑顔で応える(注)。

【注:萬田医師は2017年、いっぽから独立して緩和ケア萬田診療所(前橋市)を開設】

 翌日、高崎市内にある平野さんの仕事場(チャスコン社)を訪ねた。大型プラント施設やベルトコンベア、漬物製造機まで、幅広い分野の設計を手掛けている。

 図面は手書き。以前は“3H”など硬い芯の鉛筆を使っていたが、がんで握力が低下して“B”になった。ペットボトルのキャップを開けるのも苦労する。

「病院で検査したら、大きな大腸がんで腸閉塞を起こしていると分かって、緊急入院して即手術。肺と肝臓にも転移が見つかって、ステージ4だと。完治できないと言われましたよ」

 抗がん剤治療は選ばず、以来、緩和ケア診療所いっぽを毎月1回、受診する。取材中、平野さんはモルヒネのオプソを度々口にした。本当は、仕事中でも痛みは感じるらしい。

「うーん、不味いなぁ。水で流し込むんですよ。30分くらい経つと、すーっと効いてくるんです」

●2015年2月──

 この日、平野さんは妻の運転する車で仕事場に来た。もう自分で運転しないことにしたという。

「交差点の信号待ちで、5秒間くらい意識が途切れてしまったんだ。これはヤバイと思ったから、妻に送迎を頼みました。新しく決まった仕事が3つあるので、まだ死ねないね(笑)」

 平野さんの体重は、以前の64キロから50キロを割っていた。食欲が落ちて、4日間で食べたのは、ヨーグルト2つ。でも仕事に対する意欲は変わらず強い。

 がん患者が食事を摂れなくなると、病院では点滴などで栄養補給を行うのが一般的だが、萬田医師はこれに否定的だ。

「食べなきゃ死んじゃう、と思う人が多いですけど、がん患者の場合は無理に食べずに痩せたほうが元気ですし、最後まで歩けます。点滴などで最後まで栄養補給され、身悶えして苦しんで亡くなる患者をみてきました」

●2015年5月──

 平野さんが設計した漬物製造ユニットが完成、お披露目となった。彼の仕事としては小規模なサイズだが、ユニットの構造を説明する顔は、誇らしさに満ちている。主食はヨーグルトで、本人いわく「順調に“枯れている”」らしい。

●2015年6月──

『件名:ワァーイ7番目の孫の誕生だ

 生まれ変わりの誕生で心置きなく幽界へ 安心と落ち着き感をもたらしました』

 喜びにあふれたメールが平野さんから届いた。この頃、筋力と呼吸機能が低下して、仕事場の階段を、何度も休みながら昇っていた。「お尻の筋肉がないから、座っていても痛いんだよ」と笑い飛ばす。こんな状態でありながら、平野さんは後輩7人を集めて設計の講習会を開き、自分の知識と技術を伝えた。

「がんが進行してくると、モルヒネも効かなくなってくる。ああ、痛い痛い、ありがたい、なんて言いながら、痛みを楽しんでいるさ。モルヒネの副作用の便秘も、結構つらい。眠っても倦怠感はとれない病気だと分かったから、仕事のことを考えて朝を待つ。面白いことに、寝ないでも平気になったよ」

 抗がん剤治療をしなかったことを、平野さんは後悔していないのだろうか?

「全然、後悔はないね。仕事を続ける上で、正しい選択だと思っていますよ」

●2015年7月──

 初めて自宅を訪ねると、平野さんは居間のソファに横になっていた。妻の手を借りて上体を起こすと、設計の図面を私に見せた。

「会社に行けなくなって、家で書いているんだよ。図面は見たくない! となったら本当に最後だな」

 そして夫婦の間で交わされた言葉を教えてくれた。

「昨日の夜、妻から“いっぱい働いてくれて、ありがとう”って言われたのさ。涙出てきちゃうよ」

●2015年8月──

 明け方、平野さんは自宅で妻に見守られながら静かに息を引き取った。享年76。萬田医師が振り返る。

「平野さんは、気持ちの問題が大切なんだ、ということを改めて教えてくれた人でした。先月も亡くなる2日前まで会社に出勤した患者を看取りました。家族もその選択を支えてあげたので、穏やかな最期でした。死のつらさを緩和できるのは薬ではなく、本人の生き方、家族の考え方です」

※週刊ポスト2017年9月29日号