その昔、確かエンスヘデで行われたオランダ戦(2009年9月)だったと記憶するが、試合後の会見で、岡田武史監督(当時)は、同じポジションの何人かの候補の中から長谷部誠を選ぶ理由について「密集でのボール操作が一番うまいから」と述べた。プレッシャーを受けてもボール操作が乱れにくい選手だ、と。

 それが、先のオーストラリア戦では、一番危なっかしい選手に見えた。長谷部の技量が衰えたという話ではない。一度身につけた技術はそう簡単には失われない。先に衰えるのは体力だ。それがサッカーである。

 8年前によく見えたものが、いまはよく見えない。理由は周囲のレベルが上がったからである。いつかも述べたが、サッカーは足でボールを操るスポーツだ。手で操るスポーツに比べ、上達の余地がある、伸びシロがある。選手のボール操作能力は、半永久的に右肩上がりを示す。選手はどんどん巧くなる仕組みにある。中盤選手のボール操作はとりわけだ。中盤が密集する傾向は強まるばかりである。

 劇的な変化が起きたのは、90年代前半だった。アリーゴ・サッキが提唱したプレッシングサッカーの流行がきっかけだった。

 その波が一段落すると、イタリアではその反動から、後ろで守るカテナチオが復活した。当時、プレッシング系のサッカーに別れを告げた理由を、現地でいくつか聞く中で、サッカーが面白くなくなったという声も多かった。後ろで守るサッカーの方が面白くないでしょと、いまならそう切り返すことができるが、その時は、なるほどと妙に納得してしまった記憶がある。

 両チームが高い位置でつぶし合うと、ボールが繋がらない。サッカーが汚くなる。プレッシングはサッカーを壊す道具だという声さえ耳にした。実際、激しいプレッシャーに襲われると、選手たちはコントロールミスをした。直ぐに相手ボールになった。かと思えば、相手もコントロールミスをする。中盤ではミスの応酬が相次いだ。

 それが年々、そうではなくなっていった。90年代の末頃、ふと思い出したのだ。「そういえば、当時、『プレッシングはサッカーを壊す道具だ』と言ってた人がいたな」と。その5、6年前に聞いた台詞を懐かしんだ記憶がある。

 ボールは遙かに繋がるようになっていた。サッカーは汚くなるどころか、ますます面白くなっていた。選手の技量がアップしていることに、ふと気付いたのである。プレッシングはサッカーを壊す道具ではないこともハッキリした。むしろその逆。選手の技量はプレッシングによって向上した。プレッシングが、サッカーの進歩に大きく貢献していることに気づかされた瞬間だった。

 トータルフットボールと並ぶサッカー史における2大発明といわれる所以だ。プレッシングがなかったら、サッカーの右肩上がりは、きわめて緩やかだったと思われる。プレーが厳しい設定の中で行われることで、選手のボール操作術は大幅にアップ。プレッシングが攻撃的サッカーに欠かせない道具であること。むしろ娯楽性のアップに大貢献したことを再認識させられる。

 というわけでいま、非プレッシング的なサッカーを目にすると、とても残念な気持ちになる。腹立たしささえ覚える。サッカーの歴史を振り返れば、それはできない行為であるハズだ。後ろで守るサッカー。具体的には5バックで守るサッカーだ。

 目の前の成績のみを気にする、自己中心的サッカーだと言いたい。サッカーという競技の進歩、発展に貢献しようとしない、非サッカー的で後ろ向きな姿勢であることが明白であるにも関わらず、そちらに走ろうとする。

 中には、後ろで守るサッカーであることが明白であるにもかかわらず、プレスが掛からなかったと嘆く監督がいる。狡いと言わざるを得ない。自らの弱気を、選手の責任にするなと、腹立たしい気持ちになる。