寿退社したものの:夫を狙うライバル出現?仕事復帰した専業主婦に、心休まるヒマはない
結婚したら、寿退社♡
一昔前まで、それは女性の人生における最初の小さなゴールだった。
家庭に入り、料理の腕を磨き、夫の帰りを待つ。
だが、2017年の東京で「専業主婦」は、本当に憧れるべき存在だろうか?
結婚したら、母親と同じように専業主婦になることに疑いを持っていなかった志穂。だが、家事・育児をまったく手伝わない夫・康介に不満を募らせていた。
自立しようと仕事復帰を試み、ついに復職。夫との仲も修復しかけたように見えた。
順調な日々
仕事を始めて1ヶ月。
志穂は、育児と仕事の両立のコツが掴めるようになってきた。
仕事のない日に、まとめて日持ちのする常備菜をいくつも作っておく。冷凍のハンバーグや下味をつけた鶏肉など、康介やひなの好物をストックするのだ。
こうしておけば、仕事のある日にバタバタせずに、家族にきちんとした食事を食べさせることができる。
ママ友の何人かは「家事くらい、ご主人に手伝って貰えばいいじゃない」と言っていた。
しかし、激務で知られる広告代理店勤務の夫に、家事の負担を真っ向から訴えるというのも、志穂はなんだか違う気がしてしまうのだ。
聖羅に核心を突かれて以来、志穂は自分の選択に文句や泣き言を言うのをやめた。
激務の夫を選んだのも、自分。
寿退社をしたのも、自分の選択だ。
「なぜもっとこうしてくれないのか」と相手を責め、自分の置かれた状況を責めているだけの状態では、あまりにも自分が情けない気がする。何より、娘のひなに顔向けできない。
少しずつでもいいから、人生の舵取りは自分でするのだ。
そんな風に心を決めた志穂の毎日は、少しずつ好転していったのである。
そんな志穂を見て、夫の康介も変わりはじめ…?
束の間の夫婦円満
「え…?」
「いや、だからさ。志穂も最近すごく頑張ってるし、たまには二人でランチでもしようよ。」
突然の康介の申し出に、志穂は戸惑いを隠せなかった。
何しろひなが生まれて以来、夫婦二人でゆっくり食事をしたことなど、数える程度しかない。
それに、妊娠以来、夫婦仲は好調とはいえなかった。しかしだからこそ、突然の「夫とのデート」というシチュエーションに、志穂は浮き足立つ。
事務や雑用とはいえ、華やかなベンチャー企業のオフィスで働くようになり、志穂は自分でも外見に一層気を使うようになったと自負している。
オフィスで働く同僚たちは、皆こぞって「ママには見えない」と志穂をおだててくれるため、彼らの目を意識してファッションセンスも洗練されてきた。
きっと康介も、そんな自分を見直してくれたのかもしれない。
志穂は、康介から指定された『レストラン ラ フィネス』で一人、そんな風に思いを馳せる。
康介とランチデートをすると告げると、母はひなの面倒を見ることを快諾してくれた。
「夫婦円満が何より!」と、今日もデパートのおもちゃ売り場で撮ったひなの写真を何枚もLINEで送ってくれる。
仕事にも慣れ、夫婦関係も良好。志穂の心は、この上なく満たされていた。
今日は久しぶりにヒールのある靴を履き、おろしたてのワンピースを着る。リップグロスをたっぷりと塗り、志穂は康介を待った。
だがー。
康介が、来ない。
待ち合わせの時間から、10分はとうに過ぎている。仕事だろうか、携帯にかけても繋がらない。
こうして待たされている時間は、専業主婦として子育てと家事しかせず、家でただただ康介の帰りを待っていた日々のことを志穂に思い出させる。
少しして、申し訳なさそうな声で「あと15分くらいかかりそう」という康介からの電話があった。
昔だったら、仕事がどんなに忙しくても、待ち合わせ時間よりも15分以上もたって連絡をよこしてきたことなどない。
やはり自分は、軽んじられているのだろうか。
そんな風に余計な考えを巡らせていると、やっと康介が現れた。
しかし、彼が席に着くなり発した言葉に、志穂は憤りを隠すことが出来なかったのである。
康介の発した言葉とは?
まるでマーキング。他の女からの宣戦布告?
「ごめんごめん、ちょっと同僚の仕事のミスをカバーしててさ。」
申し訳なさそうに謝る康介を、これ以上責めようとは思えない。が、次に康介が発した言葉で、志穂の感情は一気にぐらついてしまう。
「同僚の杉本なんだけど。これから志穂とランチする、って言ったら奥さんにこれあげといて、って言ってくれたよ。はい。」
康介から渡された紙袋には、何やらブランド物らしい香水が入っていた。意味がわからない。
「ほら、この間のLINE、送ってきた同僚だよ。あれを見られて大喧嘩になったって飲み会で言ったら、あいつ責任感じたみたいで。お詫びのしるしなんじゃないの?」
頭にカッと血が昇るのを、志穂は感じた。
耳が熱くなり、心臓の鼓動が早くなる。
どこの世に、あんな無神経なLINEを見られた上でのうのうとお詫びの品を渡そうと思う女がいるだろうか。
これは、明らかに自分に対する宣戦布告だろう。
この間見てしまった康介とのLINEのやり取りや今日の様子を見る限り、康介はその同僚の女に対してその気は無さそうだ。
だが、女の方は違う。
明らかに、自分の夫に必要以上の好意を持ち、そして妻の自分に対してこうしてふざけたメッセージを送ってきている。結婚してから初めて感じるこの手の脅威に、志穂は戸惑いを隠せない。
だが、そのことで目の前の康介を責めることは出来なかった。
なぜなら、康介が浮気をしたわけではない。
と同時に、妙な意図を持って夫に近づいているらしいその同僚の女を止める術が、志穂にはないのだ。
いくら「この女怪しい」と訴えたところで、また自分の被害妄想だと思われてしまうのがオチだろう。器の小さい女だと思われるのもごめんだった。
志穂はこんな時、自分が完璧な専業主婦でなくて改めて良かったと思う。
自分が少しでも働いて、外の世界と接点を持ち始めたからこそ、少しだけ冷静に今の状況を客観視することができるからだ。
康介も、今はこの女に興味はないかもしれないが、いつ何時何が起こるか分からない。
男が一歩外に出れば7人の敵がいると言われているが、今まで完全に家の中に閉じこもり母子の世界に浸っていた志穂にも、思わぬ敵が出来た。
仕事を始めた途端批判してくるママ友や、保育園に入れようとすれば反対する母、そして得体の知れないママ起業家に、夫を狙う同僚の女…。
仕事復帰したばかりの志穂に、心の休まる暇はない。
志穂は、目の前で呑気にメニューを選んでいる康介のことが、急に憎たらしく思えてきたのだった。
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今度は志穂の浮気の危機?