松野さんは2000キロの旅で自分流を貫いた(筆者撮影)

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「がん」が進行し、病院で治療の術がないと告げられたときに、どんな選択肢が残されているのか。「緩和ケア」──その響きには、単に患者の痛みを和らげ、弱って死ぬのを待つだけというイメージがつきまとう。しかし、緩和ケアを選び、最後まで普段通りに仕事を続け、家族と価値ある時間を過ごせた人たちがいる。群馬・高崎のある診療所で、3年越しで医師と患者に密着取材を続けているジャーナリスト・岩澤倫彦氏がその実像を描く。

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 午前2時、澄み切った夜空が広がる、群馬県高崎市。銀色のセダンが広島に向かって出発した。トランクには10本あまりの酸素ボンベが積まれ、がんの疼痛を和らげるモルヒネも用意してある。

 愛車の助手席に身を埋めた松野徹也は、高速道路の先を黙って見つめていた。

「夢のようだ、こうやって旅に出るなんて」

 途中で自分の命が尽きるかもしれない、と松野は覚悟していた。肺に水が溜まり、酸素ボンベで呼吸を維持していたし、腰の骨にも転移がある。満身創痍の身体に、往復2000キロの旅は無謀だった。

 それでも、命懸けで広島に行く理由がある。後継者の次男を関係者に紹介しなければならないのだ──。

 松野は昭和21年生まれ、30歳の時に機械設計会社を裸一貫で立ち上げ、業界で信頼される地位を築いた。

 7年前、健康診断で胸腺腫(注1)が発見され、群馬大学附属病院で手術。3年後、肺に転移が見つかり、抗がん剤治療と重粒子線治療(注2)で、がんの進行を抑え込んだ。だが、副作用のしびれがあまりに強く、身体が思うように動かない。不安が募る中、テレビで免疫細胞療法(注3)を知り、東京のクリニックに毎月通って、治療を受けたが、全く効果はなかった。

【注1:胸腺腫/成人になって退化した、胸腺の細胞から発生するがん。人口10万人あたり0.44〜0.68人と、希少がんの一つ】

【注2:重粒子線治療/がん病巣に集中して、照射が可能な放射線治療の一種。限局したがん、周りに重要な臓器や放射線に弱い組織がある場合に適している。群馬大学附属病院では、先進医療として、年間314万円かかる。2016年から一部疾患に保険適用】

【注3:がん免疫細胞療法/臨床試験で有効性が立証されているものは一つも存在しない。高額な費用や、安全性、倫理性に強い疑念が出ている】

 八方塞がりになった時、緩和ケア診療所「いっぽ」の存在を知った。

「ご自分がやりたいと思う事を、ぜひやって下さい。私たちが全員で支えます」

 物静かな竹田果南医師の言葉が、無謀な旅を後押ししてくれた。

◆仕事の合間にモルヒネを──

「あれっ、呼吸してる?」

 次男・敏和が、ハンドルを握りながら、何度も助手席を見る。酸素ボンベの吸入音が、時々弱くなるからだ。その度、松野は目をギロリと光らせて平静を装った。会社を設立した当時の自分と、敏和は同じ年齢だ。立派にやれるだろう。

 後部座席の妻・泰子は、夫らしい“終活”に寄り添うことを決めていた。敏和と泰子が交代でハンドルを握り、午後1時前には広島に到着した。

「息子の敏和が社長になりますので、今後もお引き立てをお願いします」

 業界団体の会合会場で、松野は酸素ボンベを引きずり、取引先や仕事仲間に、片っ端から敏和を紹介した。物腰の柔らかさ、キメ細やかな気配り、面倒見の良さ。経営者として生きてきた男の姿があった。家では絶対君主のように振る舞う父とは別の顔を敏和は知った。

 会場の片隅で、松野は小さなスティックを開けて、吸い込んだ。モルヒネのオプソ(注4)である。がん特有の“身の置き場がない痛み”をオプソで鎮めると、松野はまた人の輪に戻っていった。

【注4:オプソ/モルヒネがゼリー状になったもので、スティックタイプの包装。がん疼痛に30分程度で効果が出る】

◆最後まで「いつもの生活」

 旅から帰って1週間後の朝、松野の自宅に酸素状態の異常を知らせるアラーム音が響く。松野が昏睡状態になっていた。泰子と敏和、長女の3人が、ベッドを囲む。延命措置はしない、と本人が希望していたので、穏やかな表情をただ見つめていた。

 小さな呼吸音だけが聞こえる、静かな昼下がり──何の前触れもなく、大きな目が突然開いた。驚く3人を見つめた松野は、両手で一人ずつそっと優しくハグをし、小さな声でささやいた。

「ありがとうな」

 これだけ言うと、すぐに松野は昏睡状態に戻った。そして夜9時過ぎ、呼吸を止めた。

 前日まで、家族揃って食事し、トイレも自分の足で行き、シャワーも浴びた。ベッドに入るのは、夜眠る時だけ。松野は、いつもの生活を最後まで続けた。本人にとっても、家族にとっても、緩和ケアを選択して良かったと泰子は話す。

 敏和は、父が使用していた机と椅子に座り、2代目社長として陣頭指揮をとっている。

◆「体も心も」支えるケア

 25年前、緩和ケアの草分けとして開設された、緩和ケア診療所「いっぽ」(群馬・高崎市)。現在は2人の医師と9人の看護師が、24時間態勢で、進行がんの患者の在宅生活を支えている。

 緩和ケアについては、医療従事者の中にも誤解が多い。次に挙げる5項目は、代表的な“誤解”だ。

【誤解1】緩和ケアは看取りの医療=痛みをとるだけ
【誤解2】がんの疼痛コントロールには薬のみが有効
【誤解3】医療麻薬のモルヒネは中毒になる
【誤解4】抗がん剤治療を続けることが、長生きする唯一の方法
【誤解5】セデーション(鎮静処置)は安楽死と同じ

 松野さんのような病状の場合、車で往復2000キロの旅を許可する病院はまずない。容体の急変するリスクがあり、管理責任を問われかねないからだ。

 だが、松野さんにとって、仕事の関係先に後継者である息子を紹介することは重要だった。本人が望む生き方を医療面と精神面で支えることが“いっぽ流の緩和ケア”といえる。

 がん特有の身の置き所がないほどの“疼痛”は、モルヒネだけでなく、精神面を支えることで改善することも多い。

●文中一部敬称略

※週刊ポスト2017年9月29日号