アモーレの反乱:「あなたは私のこと何も知らない」。結婚4年、夫が初めて見る妻の一面
港区在住。遊びつくした男が、40歳で結婚を決意。
妻には、15歳年下で、世間知らずな箱入り娘を選んだ。なにも知らない彼女を「一流の女性」に育てたい。そんな願望もあった。
誰もが羨むリッチで幸せな結婚生活を送り、夫婦関係もうまくいっていたはず…だったのに。
世間を知り尽くして結婚した男と、世間を知らずに結婚してしまった女。
これは港区で実際に起こった、「立場逆転離婚」の物語。
虎ノ門・アンダーズ東京の一室。
僕は、ツインルームのベッドの端に座り、スマホで情けない検索を続けていた。
検索ワードは「離婚理由 妻」。
ある統計によると「性格の不一致」がダントツの1位。その後「精神的苦痛」「生活費を入れない」「夫の浮気」「暴力」となんとも物騒な言葉が並ぶ。
正直、どれも心当たりが無いのだ。
サイドボードに置かれた、シングルモルトのグラス。
その氷が溶ける音が響き、時間の経過に気がつく。夕日が降り注ぐ部屋にチェックインしたはずが、いつの間にか真っ暗。
携帯の明かりだけが煌々と光り、僕の顔を照らしている。
部屋の電気もつけないままバカな検索に夢中になっていたことを、目の疲れとともに自覚し、自分に呆れる。
少し悩んだ後、LINE画面を開く。トークの一番上に表示された、妻のアイコン(彼女が活けたフラワーアレンジメントの写真)をタップし
「夕食は、食べた?」
考えては消し、打ち込み、を繰り返した挙句、そう送ってみた。
画面をしばらく見つめていたが、既読にならない。
自分のアイコンにしている妻との2ショットは、二人とも満面の笑み。それが尚更僕をむなしくさせる。
携帯をベッドに投げ、自分も靴のまま倒れこむ。仰向けになって目を閉じてみるが、昨夜も寝ていないというのに、眠気は一向に襲ってこない。
妻は、今…どこで、何をしているのだろうか。
15歳年下妻の思いもよらぬ離婚条件。翻弄される夫。
「離婚したいんです。もう、弁護士さんにも相談しています」
妻である利奈(りな)に、そう言って離婚を突き付けらたれたのは昨夜、行きつけの西麻布のレストランだった。
「利奈が本気なことは分かった。でも、きっと何か誤解がある。ゆっくり話し合おう。これ以上の話は、家に帰ってからにしないか?」
正直、情けないほど動揺していたが、穏やかに、子供を諭すような口調を心掛けた。
相手の心が読めない時こそ、こちらは冷静だと思わせなければ不利になる。それはビジネス上のやりとりでも、僕が気を付けていることだった。
その言葉に利奈が笑った。
場が和んだ気がして笑い返したが、彼女は目線をそらすとすぐに店員を呼んだ。
「お会計をお願いします」
「ご注文のパスタがまだ…」
「ごめんなさい、キャンセルできますか?」
店員が探るように僕の顔を見たが、気まずい雰囲気をさとられたくなくて「頼むよ」と笑顔で言った。
店員が席を離れ、会計を済ませる。
タクシーで自宅に戻るまで、妻はもう一言も発せず、僕を見ようともしなかった。
帰宅途中で花束を店に忘れた事に気がついたが、連絡する気にはならなかった。
「お帰りなさいませ」
元麻布のマンションの車寄せでタクシーから降りると、24時間駐在するコンシェルジュが完璧な笑顔でエレベーターまで誘導し、僕たちが住む最上階のボタンを押した。
「お休みなさいませ」
最敬礼で見送られ、利奈が笑顔で言葉を返す。
今でこそ自然にふるまう利奈だが、初めてこのマンションを下見したときは、不安気に僕の腕をずっと掴んでいた。
コンシェルジュが「奥様」と優しく丁寧に呼びかけるたびに彼女の手にはぐっと力が入り、緊張していることがよく分かった。
それがとても可愛くて、思わず笑ってしまった僕に、拗ねた彼女は「こんなに気が張るところには住めない」と言い出してしまった。
ジム、プール、温泉のようなスパ、ゲストルーム、そしてライブラリーと、僕にとって必要な施設が全て揃っているからと説得し、早4年。
今では彼女も、それらを「堂々と」使いこなしている。
最上階に住むのは2世帯だけ。
利奈が玄関にカードキーをかざす。この家のドアが開く電子音をこんなに沈んだ気持ちで聞いたことは無かった。
紺色スウェードのジミーチュウのピンヒールを脱ぐ姿を眺めながら、以前「ルブタンの靴は、真っ赤なソールが何だか怖くて苦手」と言っていたことを、ぼんやり思い出す。
「…コーヒー、入れようか?」
タクシーの中で散々、最初の言葉をどう切り出すかを考えていたはずなのに、何とも間抜けな言葉しか出なかった僕に、彼女が言った。
「3か月。3か月以内に、絶対に離婚してください」
妻が3か月以内で離婚したい理由とは!?
「離婚が成立するまで、私は友人の家に泊めてもらいます。これ以上は、弁護士さんと話してください。これが弁護士さんの連絡先です」
クラッチバッグから名刺を取り出すと、二人で選んだガラスのテーブルの上に置いて立ち去ろうとした彼女の手を、思わず掴んだ。
「どこに行くんだ」
語気が強くなったのは分かったが、もう平静を装うことはできなかった。
「男ができたのか?他に男が」
自分が思わず発した言葉に驚いたが、言葉になるとそれがまるで真実のように思えた。
妻からの返事は返ってこないというのに、彼女の手首を握る手に力がこもる。4年間大切に慈しみ育てた妻を、だれかに奪われるなんて。
「手を…離してください」
おびえが混じった声にハっとし、あわてて手を放す。
「ごめん」
冷静にならなければ。
バカラのグラスに、ウォーターサーバーから水を注ぎ一気に飲み干す。
よく考えれば、弁護士事務所を捜し「法に訴える」という発想は、世間知らずな彼女が一人で動いたとは考えにくい。誰かサポートした人物がいるはずだ。
それが、男なら…男との約束なら「3か月」という期限を提示したことも納得がいく。
腹が立つ仮説だが、自分の中で辻褄が合うと、妻の気持ちを変える作戦を立てられる気がした。
「とりあえず、座ってくれ。座って話しをしよう。利奈がどうして離婚したいのか、しかも3か月でなんて…正直、検討もつかない。弁護士なんて、第三者を介入させる前に、君と僕できちんと話すべきだろ」
自分が先にソファーに座り彼女を促したが、利奈は立ち尽くしたまま。
まあ、いい。彼女の出方を見よう。焦る気持ちを抑え沈黙を守った。すると、
「あなたは、私のことを何も知らない」
感情を押し殺すような声。さらに、
「この4年間、私が何を考えていたのか、本当に知っていますか?」
「何を、考えていた…か?」
「喋りすぎました。…これ以上は本当に弁護士さんと、お願いします」
その後、何を言っても利奈は頑として僕の質問に答えることはなかった。
家を出て行こうとする彼女を止めたくて、彼女を説得した。
「僕がホテルに行くから、君はここに残っていてくれ。そうすれば、弁護士との話し合いには応じる」と。
離婚する気は絶対になかったが、なんとかこの場をしのぎたかった。
彼女をこのまま家から出せば、姿を消されてもわからない。
情けないが、彼女の「友達」と言われても誰のところなのか、見当もつかない。ましてや、男のところに行かれたなら…考えるだけでも、爆発しそうになる。
そして、僕はアンダーズに部屋をとった。
3年前、初めての結婚記念日に夫婦で泊まったのが、当時できたばかりだったこのホテルのスイート。
東京湾を一望できる部屋で、はしゃぐ彼女が可愛いかった。
今宿泊しているのはツインだが、思わずその時と同じ「ベイビュー」の部屋を指定してしまった自分の女々しさに笑えてくる。
利奈はしぶしぶ説得に折れ、離婚成立までどこにもいかないと約束してくれたが…。あの言葉が頭から離れない。
「あなたは、私のことを何も知らない」
この4年間、妻が何を考え、生活していたのか?
彼女が本当は、どんな人間なのか…僕は知らなかったのだろうか?
既読にならないLINE画面を見ながら、新たな不安が押し寄せていた。
▶NEXT:9月27日 水曜更新予定
妻・利奈から見た夫の、現在と過去が明らかに。