一見、真剣に授業に取り組んでいるように見える学生たちに本当に必要な力とは?(本文と写真中のモデルは関係ありません。写真:【Tig.】Tokyo image groups / PIXTA)

従順で主体性に欠けた学生が抱える問題とは?

学生が主体的に考え、動ける力を育成するため、大学で「アクティブラーニング」が導入する動きが盛んになっている。実践する大学も増えてきているが、教員が教育内容にさまざまな工夫を凝らし、活発な活動を引き出そうとしても、その流れに乗れない学生は少なくない。特に、どのような学力の学生も受け入れる「教育困難大学」では顕著だ。彼らは、授業の場には必ずいるのだが、アイデアを出したり、人の意見を理解して、そこから新しい考えを生み出したりすることができない。

このタイプの学生たちは、どんな形態の授業でも、一応まじめに参加する。座席が指定されていない場合には、目立たないと考える後方の席を取ろうとする学生たちとは異なり、比較的前のほうの座席に座る。授業中に居眠りをしたり、スマホをいじることもなく、真剣に授業に取り組んでいるように見える。

しかし、試験を行うと、まじめな彼らは意外にも点数が取れないことが明らかになる。また、2000字程度のレポートを課しても問題だらけだ。教員がレポートの大枠を提示し、その中で興味を持った事柄について調べて深掘りして書くように、という指示を出したにもかかわらず、提示した大枠そのもの、たとえば「日本の戦後政治」や「戦国大名について」といった題で書こうとする。当然、どこかのサイトをコピペした、総花的でとても内容の薄いものになる。

原因は、その学生の生来の性格や、能力にあることも否定できない。だが、大学進学までの学校生活で、そのような態度に仕込まれてしまったという面も多分にある。そして、これまで、「教育困難校」から「教育困難大学」へ進学した者の大半が、残念ながら、授業にはまじめに参加するが、主体的な学び方が身に付いていない生徒たちなのだ。

経済協力開発機構(OECD)による学習到達度調査、いわゆるPISA(Programme for International Student Assessment)に対応できるような学力の必要性が叫ばれ、小・中学校では、主体的、対話的、問題解決型の学力の育成が以前から図られている。その具体的な教育方法として、問題解決を集団で考え、その結果をパワーポイントなどの発表ソフトを使ってプレゼンテーションするといった授業が行われている。

教員が多くの時間や労力を割いて取り組み、また、全員参加を心掛けている。しかし、その集団の中ではリーダーやサブリーダーなどメインメンバーとして活動する子どもと、その指示に従う、あるいは見ているだけの子どもに分かれてしまうことが現実だ。そして、やはりメインメンバーになれず、フォロワーにならざるをえなかった子どもたちが、高校進学の段階で「教育困難校」に集まってくる。

他人の指示に従うことに迷いがない生徒たち

「教育困難校」では授業の成立そのものが難しいことは、筆者は過去の連載記事でこれまで何度も言及してきた。ましてや、主体的、対話的な学習を取り入れた授業ができる高校はごくごく少数だろう。また、不登校生徒や学力に自信のない生徒の受け皿として近年増えつつある、多部制の定時制高校や通信制高校では、学習の遅れを取り戻すための個別指導が中心となるため、主体的な問題解決型の学習はなかなか難しい。

加えて、「教育困難校」や定時制高校から大学進学した生徒は、そもそも、自身が主体的に大学に行きたいと強く願っていない場合が多い。入学当初、生徒の進路目標は漠然としている。家庭の経済状況が厳しいこともあり、多くの保護者は「高卒で就職してくれたら」と本音では思っている。中には、保護者自身が仕事の場で「学歴差別を受けた」と感じており、子どもには大学進学をさせたいと願っている人もいるが、その高校に入った段階で大学進学は難しいだろうとあきらめている場合もある。

成績が平均以上の生徒には、教員も「大学に行ってみたら」と何度も勧める。しかし、「教育困難校」での成績は、本人の能力よりも学校生活の中でどれだけ教員の指示に従えるか、つまり教員や制度に従順であるかという点と大きな相関がある。他人の指示に従うことに迷いがないため、裏を返せば自主的に考えて行動することが非常に苦手な生徒も多い。

こうした生徒は、主体的な思考が求められる高等教育での学びには苦労することが予測される。しかし、進路実績を上げたいがため、生徒の特性や適性をまったく考慮せず、とにかく進学を勧める高校教員もいる。

当初は、大学進学に半信半疑な生徒と親も、教員に度々勧められることでしだいにその気になる。その段階になると、指定校推薦が来ている大学の中から、その生徒の性格や能力、さらに高校と大学の信頼関係などを考慮して、2〜3の大学を具体的に勧める。並行して、かかる費用を何とか工面するように保護者にさまざまな情報を提供する。奨学金や教育ローンの説明も懇切丁寧に行い、場合によれば必要な書類も一緒に書く。

近年は、指定校推薦受験者や高校の成績が一定以上の受験者に入学金や授業料一部免除など費用面の特典をつける大学が多く、これは志望校決定の大きな決め手となっている。表向きは受験生の金銭的負担を軽減するためという理由になっているが、実は、学生募集に苦労する大学にとってもありがたい方法なのだろう。

高校側は、高校3年時の夏休みのオープンキャンパス参加を大いに勧め、実際に最終的な志望校決定につながる。前回の記事「『教育困難大学』がPR活動に躍起になる事情」に書いたとおり、その際、生徒や保護者へのアピール度が最も高いのが、大学教職員・学生の雰囲気だ。

志望校が決まれば、次に出願書類記入と入試の際の面接の指導が始まる。これも、大学側が想像している以上に、高校教員によってこまやかに行われている。生徒との会話の中で何かしら生徒の希望や考えを引き出し、それを針小棒大に広げて指導していくのならまだいいほうだ。中には、志望動機を徹頭徹尾教員が創作し、生徒はそれを書類に丸写しするだけという場合さえある。面接に関しても、想定質問に対する回答を、志望動機同様に教員主導で用意しておく。

生活の中で培われた「従順さ」があだとなる

「教育困難大学」で入試の面接を担当したことがある大学教員であれば、面接の際に空をにらんで指導されたとおりの文言を必死に思い出しながら質問に答えようとする受験生に接したことがあるだろう。このような生徒は、「君が今言ったことは志望理由書に書いてあったよね。それ以外に大学に入りたい理由を話してみて」などと面接担当者が質問を変えると、何も答えられなくなってしまう。

もともと、コミュニケーション能力に自信がない者も多く、高校で指導された内容、提出された書類の内容から話が一歩も出られない。困惑している受験生を助けたいと思い、「今日は、どんな気持ちでこの会場に来た?」などといった質問をしてもかえって黙りこくってしまう。

これは、単に受験の緊張からではない。そもそも、何事にも主体的に取り組む経験と意識に乏しく、自分の進路でさえも、主体的に決めたものではなく、熱い思いなどないからだ。彼らは、一応「まじめな大学生」にはなれる。しかし、長い学校生活の中で培われた従順さから脱し、自分で考え、決め、動ける主体的な人間になるのは相当難しいことだと思う。このような学生が多く存在する「教育困難大学」では、まず、彼らが学ぶ活動の中心に「自分」を据える意識改革が必要だろう。