自分にされたことがあまりに酷くて、相手の行いを許すのがとても難しいことがあります。でも、いつまでも対立状態にいるのも心が疲れてしまう。

そんなとき、どのようにすれば「相手を許す」心の余裕が生まれるのでしょう。例えば、この動画(「The School of Life」)に登場するアドバイス、なかなかに考えさせられるものでして。

「同情する」ことと
「反省する」こと

Image by The School of Life
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まず第一に、「相手がどうしてそんな態度を取ってしまったのだろう」と考える必要があります。人が苛立つようなことをする背景には、その人の人生が反映されているからです。

彼らは、自分が選ぶべきだった言葉や行動を選べないという欠陥を抱えてここまで生きてきました。そうなってしまった背景には、私たちには見えないトラブルがあったのかもしれません。

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例えば相手の傲慢さが許せないと思うとき、そういうふうに振る舞うしかなくなってしまったのは何故だろうと考えてみてください。穏やかであることが妥当であるとされる環境下で、それができないのは何故だろう、と。

その人は個人の人格を形成するにあたって、穏やかに振る舞うためのヒントを得られずに生きてきました。

自分を大きく見せなければ、周りに認めてもらえなかったから傲慢な主張をしてしまうのかもしれないし、そうしなければ自分に価値はないという不安に苛まれているのかもしれません。だからこそ、刺激が強い攻撃的な態度を取っているという可能性もあります。

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相手の間違った振る舞いの背景には、その人をそうさせてしまった、本来とるべき言動を誰からも教えてくれなかった、という決定的な傷が。それに怒りを覚えたところで、何が悪いのか彼らにはわからないのです。

つまり、それを許すということは、その人が抱える傷を理解するひとつの方法にもなるのです。

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第二に、自分自身も誰かにとっては許せない行為をしている可能性があるということを考えなければなりません。もちろんこの場でもなければ、あなたの価値観が通用しないような遠い場所においてでもありません。

ただ場所によっては、あなたは場違いな存在になってしまう可能性があります。あなたが故意に誰かを傷つけようとしなくても、誰かにとっては些細なひと言が刃物になるかもしれないし、あなたが傷つけるのを恐れて沈黙したことで、かえって人の傷に塩を揉み込んでしまうかもしれない。さらに言えば、あなたが優しさゆえに行ったことが、誰かにとっては迷惑になってしまうということもあるかもしれません。

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しかし、そのことについて思い悩むことはありません。なぜなら、それはあまりにキリのないことだから。でも、だからこそ、人はお互いを許し合う必要があります。

かつて、私たちは神様に懺悔して救いを求めました。でも今必要なのは神からの許しではなく、“そばにいる人の許し”です。

「ごめんなさい」と誰かが反省してあなたに告げたとき「許すよ」と答えること。そのことで相手はきっと救われ、あなたの想像力もきっと伸びることでしょう。

Licensed material used with permission by The School of Life