宵越しの金は持たねえ!そんな江戸っ子の暮らし、実はレンタル店に支えられていた

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江戸時代、町人とくに江戸っ子達は『宵越しの金は持たねえ』主義で、余計な金品を持つことを好まない人が多くいました。それでも、家具や着替えなどは無くては困るので、江戸っ子は「損料屋」と呼ばれる、日用品を貸し出すお店を利用していたのです。

「東海道五十三次之内 日本橋」 歌川広重筆

そもそも、損料って何?

損料とは今で言う所の賃貸料、借り賃のことです。損耗に対する代償と言う意味で損料と言うのですが、その損料を受け取って様々な物を貸し出すのが損料屋の仕事でした。保証金に該当するシステムも発達しており、品物を返却した時にその残額は返って来ました。

その保証金は場合によっては賃料の2倍、もしくは3倍となることがありましたが、余程の事(大破するなど)が無ければ残金は返って来たので、比較的安価なレンタルショップだったとも言えます。

賃貸する期間もまちまちで、数年や数ヶ月になることはもちろん、日没から翌朝の日の出まで貸す『蝙蝠貸(こうもりがし)』や、反対に日中のみ貸し出す『烏貸(からすがし)』などスタイルも様々でした。

損料屋では何を貸していたの?

損料屋では様々な物がレンタルされており、鍋釜のような日用品から掛け軸などの調度品、羽織り、晴れ着など衣料品に至るまで貸し出されていました。

江戸時代は安価な布ならばまだしも、よそ行きの衣服などを作る上質な布は高価なモノでした。他の道具や調度品も今のような機械ではなく手作りだったので、結構な値段が付くことが多く、その日暮らしの町人にはこれらの物を私物として買うなど高嶺の花だったのです。

今でも貸衣装屋さんや、場合によっては写真館や結婚式場、セレモニーホールなどで晴れ着や喪服を借りる人は多いですが、こうしたシステムは江戸時代から続く合理的かつお手軽なレンタルから続いていたのかも知れませんね。

火事とモノ不足が損料屋を生んだ

このようにして、江戸時代の庶民は現代人から見ればモノ不足と言われてもおかしくない状況下を、損料屋を使ったレンタルを利用することで不便なく過ごしていました。不自由しにくくなった代わり、物に溢れてスマートに暮らしづらいと言われている現代人とは良くも悪くも真逆と言えます。

損料屋によるレンタル店が発展した背景には江戸に代表される大都市は火事になりやすいと言う問題がありました。大枚をはたいて買った衣服や道具類などが焼けてしまえば水の泡であり、そうなるくらいならば借りた方が安上がりになるのは当然の帰結でした。火事に見舞われやすく、手工業メインと言う環境が、損料屋の需要を喚起したのですね。