とめ、はねに迷うことはありませんか?(写真 : マハロ / PIXTA)

「木」の2画目はとめる?はねる?


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あなたは、手書きで「木」という字を書くとき、2画目はとめますか? それとも、はねますか?

ある70代男性に聞いた話です。男性の孫が小学1年生のとき、漢字テストで「木」の2画目をはねて書いてバツをもらいました。それを見た男性は「これはおかしい。自分が子どもの頃は確かに2画目をはねると教わった」と思いました。

それで、孫の国語の教科書を見てみると、2画目がとめてありました。男性は「今はこう教えるのか……」と思いましたが、納得がいかないので自分の書道の教本も見てみました。すると、2画目がはねてありました。これはいったいどういうことなのでしょうか?

話を続ける前に、次の漢字を“手書き”で書く場合、どちらが正しいかについて考えてみてください。

「糸」の4画目はとめる? はねる?
「牧」の3画目はとめる? はねる?
「切」の2画目は曲げてからとめる? 曲げてからはねる?
「改」の3画目は曲げてからとめる? 曲げてからはねる?
「奥」の最後ははらう? とめる?
「公」の2画目ははらう? とめる?
「角」の3画目ははらう? とめる?
「又」の1画目と2画目の書き始めははなす? つける?
「保」の6、7画目と8、9画目は「木」のようにつける? 「ホ」のようにはなす?
「戸」の1画目は横棒線? 「ヽ」のような点?
「令」の3画目は「ヽ」のような点? 横棒線?
「女」の2画目は3画目の横棒線の上に出る? 出ない?

正解を言うと、まず冒頭の「木」の2画目ですが、これは「どちらでもよい」のです。でも、子どものテストでは2画目をとめて書かないとバツをもらう可能性が高いです。同じように、ほかの12個の問題もすべて「どちらでもよい」のですが、テストでは1つ目の青文字のほうを書かないとバツになる可能性が高いです。

なぜ、このようなことが起こるのでしょうか? それにはけっこう複雑な事情があります。

漢字の使用については目安になるものがあり、それは「常用漢字表」と呼ばれるものです。そこに示されている目安はかなり緩やかです。「木」の2画目はとめてもはねてもよいと明記してありますし、ほかの問題についても「どちらでもよい」ことが明記してあります。

常用漢字表が緩やかな理由

なぜ、常用漢字表はこれほど緩やかなのでしょうか? それは、古代中国から始まった何千年にもわたる“書”の歴史の中でそれら複数の書き方が行われてきたからです。その長い歴史を無視して、現在の日本のお役所が勝手に「『木』の2画目はとめなければならない。はねてはいけない」と決めることはできないのです。

でも、学校教育を担当する文部科学省は考えました。学校で「どちらでもよい」と教えると、先生たちも教えにくいし子どもたちも混乱して負担が大きくなるのではないか? もっとはっきりした標準が必要ではないか? よし、標準を作ろう。というわけで、学習指導要領に載せる学年別漢字配当表に「教科書体」という字体を示して、それを「標準」として教えることにしたのです。

そこには、先ほどの問題で青文字で示した字体が出ています。標準が示されたことで、子どもたちが使う教科書はすべて字体が同じになりました。つまり、どの教科書でも「木」の2画目はとめてあり、「角」の3画目ははらってあります。

これによって先生と子どもの負担は減るはずでした。ところが、今度は先生たちが「木」の2画目は必ずとめなければならず、はねてあるのはバツだと思い込んでしまいました。なぜなら、教科書も漢字ドリルもすべてそうなっているからです。

先生たちがそう思い込んだもう1つの理由は、「本当はどちらでもよいのだが、負担を減らすために標準を示しただけ」という経緯と趣旨が、まったくと言ってよいほど周知されなかったからです。はっきり言いますが、学校も塾も含めて、ほとんどの先生たちがいまだにこのことを知りません。

その結果、漢字の細部について厳密な指導がなされるようになってしまいました。中には、はね、とめ、はらい、つける、はなす、などを細かく見て、ちょっとでも違っているとバツにするなど、重箱の隅をつつくような指導をする先生もいます。このように細かいところにこだわりすぎてしまうところは、いかにも日本人らしいとも言えますが……。

実は、かく言う私も若い頃そうでした。それが子どものためだと思い込んでいたのです。ところが、こちらが熱心に指導すればするほど、子どもたちの漢字に対する苦手意識が強くなり、漢字が嫌いになる子が増えるという現象を目の当たりにしました。それはそうですよね。子どもたちにしてみれば、いくら頑張ってもよい点数がとれないのですから。

文部科学省が出している学習指導要領を解説する本の中にも、「教科書体の字を標準として指導するが、これ以外を誤りとするものではない」という趣旨のことが書かれています。つまり、こだわりすぎないでほしいと文部科学省も言っているわけですが、このことも広く周知されていません。

書き順についても同じことが起きた

ここまで字体について書いてきましたが、書き順についても同じことが起きました。

たとえば、「上」や「点」という字の1画2画は、学校では「縦・横」の順番で教えていて、教科書も漢字ドリルもすべてそうなっています。でも、長い書の歴史では「横・縦」の書き順も広く行われてきましたし、特に行書体ではこちらのほうが普通なのです。

でも、子どもたちの負担を減らすためということで、文部科学省が「学校では『縦・横』と教える」と示しているのです。ところが、ここでもまたその経緯と趣旨が周知されていません。字体と同じように、子どもたちの負担を減らすためということで書き順の教え方の標準を示しただけなのに、今度は先生たちがそれにこだわりすぎて、子どもたちの負担を増やしてしまっているのです。

私は、字体や書き順について、「どちらでもよい」ものは「どちらでもよい」と教えたほうがよいのではないかと思います。そのほうが、先生と子どもの負担が少なくなるのではないでしょうか? それに、そもそもそれが真実なのですから、真実を教える必要があります。

あるいは、初学のうちは今のように標準をもとに教えるにしても、義務教育の最後である中学卒業までには、上記の経緯と趣旨を子どもたちに説明して、本当は「どちらでもよい」漢字がたくさんあるということを教えるべきです。

とにかく、今のままでは子どもの漢字嫌いが増えますし、豊かな漢字や書の歴史を正しく理解し継承することもできません。

私は自分の本名を手書きで書くとき、杉山の「杉」の2画目をはねて書きます。そのほうが字のバランスが整って美しくなると思うからです。でも、それを見てある子どもが「先生、間違えてる」と言いました。それで私は理由を説明しましたが、ほとんどの子は「杉という字の2画ははねてもよいし、そのほうが美しいかもしれない」ということを知らないまま大人になっていくのです。これは漢字文化をゆがめてしまうということではないでしょうか? ついでに言えば、私は「保」という字も、6、7、8、9画目を「木」にするより「ホ」にしたほうが美しいと思います。

しかも、今や文章は手書きで「書く」よりも、「打つ」や「入力する」ことがほとんどの時代ですし、この傾向はますます顕著になっていくはずです。そのような時代に生きていく子どもたちに、細部の違いにこだわり過ぎた指導は合理的でしょうか?

それよりも、同音異義語・同訓異字語の使い分けが的確にできるようにしたり、使える語彙を豊かにしたりすることに時間をかけたほうがはるかに有意義です。子どもの貴重な時間は有限ですから、コスパを考えることが大切です。

行きすぎた指導は必要ない

もちろん、私は、とめ・はね・はらいなどの違いや書き順の指導がまったく必要ないと言うつもりはありません。「角」の3画目をはねてはいけませんし、「点」の書き順にしても「口」の部分から書くようなことではいけないのです。これらは書の歴史にない書き方であり、明らかに間違いです。これらを許したら書の文化が崩壊します。ですから、私が言いたいのは行きすぎた指導は必要ないということです。

ところで、2016年2月29日に文化審議会漢字小委員会が「常用漢字で『とめ』『はね』などに細かい違いがあっても誤りではなく、さまざまな字形が認められる」ということを解説した指針案を国語分科会に報告しました。その後、それについて詳しく解説した『常用漢字表の字体・字形に関する指針 文化審議会国語分科会報告(平成28年2月29日)』という書籍も三省堂から出版されました。また、これと同じ内容を文化庁のサイトでも見ることができます。(PDFはこちら)

ようやく改善の動きが見え始めたというところですが、やはりまだ周知不足の感は否めません。より広く周知徹底していってほしいと思います。