ロングインタビューも今回が最終回。セカンドキャリアなど近未来への展望を語るなかで、意外な一面も垣間見せた。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

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 2000年2月、香港カールスバーグカップで日本代表デビューを飾り、以降、10年と4か月に渡ってコンスタントにキャップを刻んだ。
 
 黄金世代の中では、遠藤保仁(12年4か月)に次ぐ息の長さ。82試合(5得点)出場は歴代13位タイだが、サッカーファンの脳裏に残したインパクトは計り知れなく大きい。
 
 そんな稲本潤一が代表キャリアの集大成として臨んだのが、2010年の南アフリカ・ワールドカップである。ちょうどその年の春に川崎フロンターレに移籍し、9年ぶりでJリーグに復帰。岡田武史代表監督の厚い信頼を得て、23名の登録メンバーに滑り込んだ。
 
 本大会ではグループリーグ初戦のカメルーン戦と、同最終戦のデンマーク戦で途中出場し、名クローザーぶりを発揮。数多の修羅場を潜り抜けてきた経験をフルに活かし、ワールドカップ初登場の選手が多かったチームを陰ながら支えた。
 
 穏やかな表情で、アフリカでの日々を振り返る。
 
「個人的に良い時(2002年)と悪い時(2006年)の大会を経験してたから、初戦で勝とうが負けようが、いいモチベーションをキープするのが大事やと感じながらやってた。(楢粼)正剛さんが第1キーパーじゃなくなったり、(中澤)佑二さんがキャプテンじゃなくなったりで大会前は目まぐるしかったけど、それを感じさせないチーム力、団結力があのチームにはあった。ベンチにいて楽しく感じられたのは、ワールドユースとあの南アだけかな」
 
 4年前、ドイツ・ワールドカップでの自身の姿がフラッシュバックする。
 
「年齢的なものもあるけど、南アでは試合に出れても出れなくても勝ちたいって気持ちがまずあって、それを実現させるために高いモチベーションで取り組んでた。ドイツの時は、正直そこまでやれてなかった気がする。多少は不平不満を言ってたと思うし、その程度のモチベーションでしかなかった。そういうのは伝染するもので、絶対にやっちゃいけないこと。(中村)俊輔さんも正剛さんも同じ考えでね。みんなが同じ方向を見てたからこそ、(ベスト)16に行けたんやないですかね」
 
 日本代表での話をひとしきり終えたところで、もう一度、ワールドユースでのシャビの話に立ち返った。稲本は「自分のタイミングで行ってボールを獲れなかったことはほとんどない」と前置きしたうえで、「それでもシャビには歯が立たなかった」と説明した。
 
 ほかにはいなかったのか? いた。やはり、いた。シャビをも凌駕する巨星が。
 
「もうね、忘れもしませんよ。2000年のサンドニ。そう、0-5のね。あん時の(ジネディーヌ)ジダンだけはホンマに強烈やった。ピッチは雨でびちゃびちゃなんやけど、フランス人にはまるで関係なかったみたい。なにをやっても軽くあしらわれて、間合いにさえ飛び込ませてもらえんかった。好き放題やられて、チームはずるずる失点を重ねて。ちょうど僕は海外のチームを探してる時でね。欧州の代理人がプレーを観に来てくれてたんですけど、あの内容やからねぇ……。総スカンでした」
 
 レ・ブルー(フランス代表の愛称)にこてんぱんに叩きのめされ、トルシエジャパンもファンも、日本サッカー界の誰もが衝撃を受けた「サンドニ・ショック」。わたしは試合後、パリ市内へ向かう電車の中で、フランス人のチビっ子に指で0対5と示された。あの屈辱と崩壊により一度リセットし、謙虚になれたからこそ、2002年の躍動があったといまでも信じている。
 
 稲本にとってもやはり、アンフォーゲッタブルな出来事だったのだ。

【稲本潤一PHOTO】語り継がれるべきキャリアを厳選フォトで 1995-2017
 稲本はいま、北海道コンサドーレ札幌で3シーズン目を過ごしている。長きに渡るリハビリを経て、7月下旬にようやく全体練習に復帰。公式戦出場に向け、最終チェックに余念がない。もうすぐ、僚友・小野伸二との共演も見られるだろう。
 
「いっつもシンジか僕のどっちかが怪我してますからね(苦笑)。そうやって楽しみにしてもらえてるのは嬉しいことやし、早くみなさんの期待に応えたい。いまは膝にまったく痛みがないんですよ。あとはゲーム感覚であったりリバウンドだったり。じっくり少しずつ上げているところなんで、焦らずにやります」
 
 9月18日で38歳になる。右も左も膝にはメスが何度か入り、怪我に泣かされてきた。いまも満身創痍だ。苦難を乗り越えさえ、イナを駆り立ててきた原動力とはなんなのか。そして近未来にやってくる引き際については、どう捉えているのだろうか──。
 
「引退かぁ。いやいや、イメージさえないですね。まず、引退試合とか絶対したくない。恥ずかしい(笑)。まあ怪我でどうしようもなくて、歩くのにも支障が出るようなものなら辞めることを考えるのかもしれんけど、必要としてくれるクラブがあるかぎりはプレーし続けたい。カテゴリーは問わずにね。
 
 いまの時代、いろいろほかのこともやりながら現役を続けてるひとは多いけど、僕にはできない。やっぱりね、カズ(三浦知良)さんより先には辞めたくないんですよ。ひと周りも年上のカズさんがやってて、しかも同い年にはまだバリバリでやってる選手がいる。張り合いになってますからね。こんな幸せなことはないですよ。引退とか、まだ絶対に考えられない」
 
 さすがに今回の離脱期間には、さまざまな想いが去来したようだ。
 
 昨年6月のジェフ千葉戦で右膝の前十字じん帯、および軟骨、内側側副じん帯の3か所を同時に傷め、全治8か月。春先のキャンプで一旦は復帰したが、今度は右膝の外側半月板と軟骨を損傷し、全治5か月と診断された。ここまでの離脱は、キャリアで最長だ。
 
「丸1年ですからね。ボールを蹴れない時期が長くて、あれこれ考えた。俺からサッカーがなくなったらなにもない。すごく無力に感じてた。だから、いままたボールを蹴れてることが素直に嬉しいし、感謝してる。サッカーを楽しみながらこれからも長くやっていきたい。いまは純粋に、その想いが強いかな」
 少々意外だったのは、他のJリーガーの大半と同じように、稲本も指導者ライスセンスの講習に通っているという事実だ。しかもC級を修了し、B級を受けようとかというタイミングらしい。その勉強のためなのか、以前はまるでしなかった海外サッカーのテレビ観戦も、いまでは日常になっているという。ひとは変われば、変わるものだ。
 
「監督目線というか、最近は練習しながらでも、若手のこととかをそういう風に見てたりしますね。僕自身、いろんな監督の下でいろんな考え方を学んで、いろんな練習メニューをこなしてきた。僕やったらどうするかなとか、よくイメージするようになりましたよ。海外の試合とか代表戦も分析しながら観るようになったし、そこに面白さを感じてる。
 
 ビッグクラブが強いのは当たり前やないですか。でも例えば、ドイツのホッフェンハイムとか、大した戦力でもないのにむっちゃいいサッカーしてて、結果も出してる。なんで勝てるんやろか。監督も若いのに。そういうのにすごく興味を持ちはじめてますね」
 
 現在は若くして海外に飛び出すJリーガーが少なくない。今夏もガンバ大阪から堂安律がフローニンゲンへ、浦和レッズから関根貴大がインゴルシュタットへ旅立った。中田英寿、小野伸二、中村俊輔らとともに欧州挑戦のパイオニアだった身として、志を持つ若武者たちにどんなメッセージを寄せるのか。
 
「すぐに帰ってきてほしくない、というのが正直な気持ちかな。行ってみたけど、1年でダメで帰ってくる。それもしょうがない。でも、あそこに行けるだけでもなかなかないチャンスなわけやから、もっとこだわってほしいんです。行けるなら若いうちから行ったほうがいいし、いまはA代表じゃなくてもいいとか、ルールがいろいろ改正されてて、かなり羨ましい(笑)。怖がらずにやり続けてほしいですね」
 
 その一方で、送り出すJクラブにはこんな注文をつけた。
 
「選手たちにはどんどん挑戦してほしい。ただ、Jリーグのクラブはクラブで、そう簡単に出すのはどうかと思うんですよ。けっこう簡単に手放すじゃないですか、大事な戦力を。ひとつのビジネスとして、もっと駆け引きしてほしい。欧州のクラブからお金をしっかりもらわんと。フリーで出ていくケースがあまりにも多い。大事な人的資源をタダであげてるようなもんですからね。移籍金を取るには複数年契約をしておくしかない。契約更新しない選手には強気に出るべきやし、そういう気概のあるクラブが増えれば、日本サッカーはもっと発展すると思う」
 
 柴崎岳がスペイン2部でチャレンジをスタートさせ、1部ヘタフェに入団した事実を「ホンマに頼もしい」と称え、ガンバ大阪ユースの後輩にあたる堂安の選択に対しても「オランダとかベルギーは何気に観てるひとは観てるから、いい選択。もがいてほしい」とエールを贈った。
 眼光は全盛時と同様に鋭く、背筋をピンと伸ばして話すあたりも昔のまま。少し難しい質問をした時に、「あー」と高めのトーンで一声を上げてから答えるのも、変わっていない。ただ若い頃より、だんぜん笑顔が増えただろうか。もともと人間味溢れるキャラの持ち主だが、より磨きがかかった印象を受ける。
 
 いま一度、黄金世代への想いを聞いておこう。
 
「やっぱりすごい刺激になってますよ。ライバルやね。37歳、38歳になっても現役がいっぱいいますからね。お互いに意識しているからやと思うし、絆みたいなのは間違いなくあるんやけど、負けたくないって気持ちを各々が持ってる。
 
 ヤット(遠藤保仁)とミツオ(小笠原満男)のふたりはすごい! 優勝争いをしているチームで、主力で出てるわけやから。もちろん長く同じチームでやってるからというのはあるにしても、やはりそこは彼らが培ってきた確固たるものが大前提にあるわけで。純粋に羨ましいし、同じ舞台に立ちたいなって思う。俺ももっとやらないとね」
 
 9月16日、J1リーグ第26節のヴィッセル神戸戦で、稲本は今季初のベンチ入りを果たした。出場すれば469日ぶりで、J1となると実に1015日ぶりだ。
 
 残念ながら出場はお預けとなったが、残留争いの渦中にあるコンサにとって、その本格復帰は大きな刺激となるはずだ。決して前がかりにならず、出しゃばりもしないが、そこにいるだけでチーム、さらにはサポーターをも奮い立たせる。小野伸二とはまた違うカリスマ性を持つ、稀有なフットボーラーなのである。
 
 中盤の底から颯爽と攻め上がる名ボランチの雄姿を、誰もが心待ちにしている。

<了>
 
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
 

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PROFILE
いなもと・じゅんいち/1979年9月18日生まれ、大阪府堺市出身。自宅近くの青英学園SCで5歳から本格的にサッカーを始め、小6までFWや攻撃的MFでプレー。地域選抜に選ばれるなど頭角を現わし、G大阪の誘いを受けて、ジュニアユースチームの第1期生となる。やがてボランチにコンバートされて才能が一気に開花。クラブユース界の横綱として全国にその名を轟かせ、高3でJデビューを飾るなど時代の寵児となる。2001年から活躍の場をプレミアリーグに移すと、アーセナル、フルアム、WBA(半年間はカーディフにレンタル移籍)でプレーし、その後はトルコ、ドイツ、フランスを渡り歩いた。2010年に川崎へ移籍し、日本に帰還。現在、札幌で3シーズン目を戦っている。世代別代表ではエリート街道を突き進んだ。U-17世界選手権、ワールドユース、シドニー五輪と3つの世界大会すべてにエントリーし、2000年2月には21歳でA代表に初招集。02年、06年、10年と3度のワールドカップを戦った。日本代表通算/82試合出場・5得点。Jリーグ通算/256試合・20得点(J1は217試合・19得点)。181臓77繊O型。データはすべて2017年9月18日現在。