脱・重たい女?「どこまで彼に尽くしても大丈夫なの?」

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どこまで彼に尽くしたら(どこまで重たい女をやってしまうと)、ふたりの関係がダメになってしまうのか?を知ろうと思えば、ダメになるまで尽くすといいという考え方もできます。


ダメになったあと振り返ったときに、「あの時に尽くすのをやめておくべきだった」と反省してはじめて、「どこまで」というのがわかります。


が、そういう人体実験のようなことを、ふつうわたしたちはできないので(しないので)、「どこまで尽くすべきか・尽くさないでおくべきか」という基準はつねにあいまいです。

■■男から見た彼女の「尽くし」

彼氏に尽くす女性を「自己犠牲たっぷりの、ともすればかわいそうに見える女子」と捉えて書いてあるコラムはたくさんあるので、今回は別の視点から見ていこうと思います。


尽くすという言葉には絶えず自己犠牲的なニュアンスが含まれますが、じぶんが欲しいものを手にするまで、戦略的に彼に尽くしまくる女子もいますよね。


たとえば、彼となんとしても結婚したくて、彼に尽くしまくる女子。こういう女子の「尽くす」とは、ある意味では「彼にとって都合のいい女を戦略的にやる」ことです。彼にとって都合のいい女を演じ続けることで、彼をつなぎとめ、結婚というゴールにたどり着くと、尽くすのをやめるケースもありますね。


彼のほうもよくしたもので、「彼女はなにゆえにおれに尽くしてくれているのか」お見通しだったりします。


こういう尽くし方って、「どこまで尽くすと大丈夫か」答えは明白ですよね。じぶんが欲しいものをゲットするまで彼に尽くすといい、というだけのことです。
が、そこまで彼に尽くして、彼に嫌われないのか?という問題が当然でてきます。

■■彼の顔色をうかがっていると嫌われる?

どこまでも限りなく、彼の迷惑をかえりみることなく、じぶんがゲットしたいものを手にするまで尽くす。こういう態度をとっていると、彼に愛想を尽かされないのか?彼に嫌われるのではないか?という問題が出てきます。


彼の顔色をうかがいつつ、いわば中途半端に尽くすと、それをイヤがる男子が多い、ということは、傾向として言えることかもしれません。


勘のいい男子は、先に書いたように、「尽くす」という言葉には、自己犠牲的な甘美なニュアンスが含まれていると知っていますが、それ以上に、「結局のところ、彼女はじぶんが尽くしたいから尽くしている」とわかっています。


彼に尽くすじぶんが好き、とか、彼に尽くすことに女としての歓びを感じるとか、そういう、彼女が持つ女としての、ある種の本能を見抜いています。つまり彼はたとえば、「彼女はおれと結婚したいから、おれに尽くしてくれているんだ」とわかっているわけです。


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そういう時にもっともマズイのは、彼の顔色をうかがうことです。「彼はわたしと結婚してくれるのかな?してくれないのかな?」と、彼の気持ちを忖度(そんたく)しつつ尽くしたのでは、「うっとうしい女」になってしまいます。


覚悟を決めて、じぶんが欲しいものをゲットできるまで、とことん彼に尽くす。とことん彼にとって都合のいい女を演じてみせる。こうすることで、彼は「おっ!」と思うし、「そこまで彼女がやるのなら結婚しようなか」と思うわけです。


覚悟がある限り、どこまで彼に尽くしても大丈夫。彼女の「尽くし」が心底迷惑に思えば、彼は「迷惑だ」と、ちゃんと言ってくるから大丈夫です。ただし、その「尽くし」が実を結ぶかどうかは、また別の問題です。


それにしても「尽くす」の「尽」という漢字って、見れば見るほどヘンな字づらですよね。(ひとみしょう/文筆家)


(ハウコレ編集部)