今後の日韓両国のあり方とは(撮影:尾形文繁)

在韓35年。朝鮮半島情勢の報道では日本を代表するジャーナリストである産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏。『隣国への足跡』は、日韓の近現代史を掘り下げながら、今後の日韓両国のあり方を示している。

──1907年のハーグ密使事件から1987年の大韓航空機爆破事件まで、日本とかかわりの深い歴史を取り扱っています。

記者生活での体験や体験とゆかりのあるものを素材にした、体験的日韓関係史だ。

離れられない関係であることを日本人は知っておくべき

──韓国・北朝鮮の近現代史は、植民地支配が終わり南北分断後から今でも、日本とのかかわりの程度が強いままで変わらないように思えます。

この数年間、日本では嫌韓・反韓感情が強まり、「断絶してコリアと付き合うのはやめよ」といった国交断絶論をはじめ韓国を遠ざけようとする動きがある。それでも私が言いたいのは、朝鮮半島は日本にとって付き合わざるをえない国であり、同時に向こうからも押しかけてくる国で、離れられない関係であることを日本人は知っておくべきだということだ。

──本書には、李朝最後の皇太子だった李垠(イウン)殿下と結婚した皇族・李方子(まさこ)妃(梨本宮方子、1901〜1989年)はじめ、有名無名を問わず多くの日本人が紹介されています。

日韓の歴史を刻んだ日本人を紹介したのは、日韓関係史で彼らが示した「日本人としての気概」を紹介したかったためだ。その代表例こそ李方子妃。彼女の人生は、激動の日韓史そのものだ。結婚自体が「お国のため」、すなわち政略結婚だったが、1989年に亡くなられると韓国は「最後の王朝葬礼」といわれるほどの手厚い葬儀を行った。

このとき、多くの市民が「ウリ(われわれの)王妃だから」と葬列を見送った。中でも、正装をした老婆が路上で「クンジョル」という、地に頭を垂れる最大の敬意を示す礼を尽くしながら見送ったシーンは忘れられない。李朝を崩壊させた日本人の皇族出身ながらも、政略結婚という運命を身に引き受け、戦後は地道な障害児教育・支援を行われた姿を韓国民はよく見ていたのだ。

――同じ王族で、広島の原爆で亡くなった日本陸軍中佐の李ウ殿下についても紹介されています。

原爆投下の8月6日、李ウ殿下付き武官だった吉成弘中佐は出勤の際、体調が悪く殿下に付き添えなかった。これに責任を感じた彼は、殿下の通夜の翌日に自決している。

殿下の未亡人・朴賛珠(パクチャンジュ)さんは吉成中佐について「武人のかがみ、亡き主人(殿下)の供をしていただいた。地下で主人は寂しくないだろう」との手紙を書き残している。こうして日本の名誉を守った日本人もいるのだ。

──普通の日本人が示した気概も紹介されていますね。


黒田 勝弘(くろだ かつひろ)/1941年生まれ。京都大学経済学部卒業。共同通信社入社後、1978年に韓国・延世大学留学。共同通信ソウル支局長、産経新聞ソウル支局長兼論説委員などを経る。著書に『韓国 反日感情の正体』『韓国人の歴史観』『朝鮮半島 21世紀への深層』など。(撮影:尾形文繁)

韓国人の知り合いから聞いた話だ。彼は子どもの頃、北朝鮮北西部・平安北道定州(チョンジュ)に住んでおり、終戦時に満州から南下してきた日本人引き揚げ者の群れを定州駅で見た。食糧配給の際、薄汚れたボロをまとった彼らは、整然と列を作って静かに順番を待っていた。これを見て、とても驚いたというのだ。

食うや食わずの避難中でも先を争う者がいない。中には静かに本を読みながら食糧の配給を待っている日本人もいた。「いかに窮しても、いかにボロをまとっていても日本人はすごい」。今でも変わらない、彼の日本人観だ。東日本大震災の際にも、避難者の整然とした行動が世界的に称賛を浴びたが、こうした日本人の気概は、敗戦時の苦難の引き揚げ史にもあったということだ。

── 一方で、1895年に起きた「閔妃(ミンビ)暗殺」事件について、日本にとって「痛恨の歴史」としています。

日韓近現代史の中には、日本人として総括ができず、避けてしまっている苦い歴史がある。閔妃暗殺事件はその代表例だ。駐韓公使の三浦梧楼をトップに軍人や民間人も加わって王宮を襲撃した。事件後、帰国させられた彼らは、裁判で無罪となってしまった。

そのわずか4年前、訪日中のロシアのニコライ皇太子(後のニコライ2世)を警察官・津田三蔵が襲った「大津事件」での対応と正反対だ。ロシアからの圧力と報復を恐れた日本政府は皇太子にケガをさせた津田を死刑とするよう司法に圧力をかけた。ところが、裁判所は現行法では適用されないとして無期懲役とした。後に司法の独立を守ったと評価された判決だ。なぜこれと同じことが、閔妃暗殺ではできなかったのか。

あの無罪放免は、日本がその後の大陸進出の過程で「現地の独走」を許して国の方向性を誤った、その始まりだったと思う。

朝鮮半島は「引き込まれやすく、深入りしがちな相手」

──35年間の韓国滞在経験を踏まえたうえで、「朝鮮半島に深入りするな」と書いています。


最近、日本にとって朝鮮半島は「引き込まれやすく、深入りしがちな相手」ではないかと思い至った。古代史の白村江の戦いや中世の豊臣秀吉の侵略もそうだが、彼の地との関係は日本が深入りした歴史であり、同時に引き込まれた歴史ではないかと思う。

ちょうど今、北朝鮮によるミサイル発射と6回目の核実験で、日本は朝鮮半島情勢に巻き込まれている。日本は北朝鮮と戦争する気はないし、あちらに押しかける気もないのに、結果としてあたふたさせられている。

一方で、深入りは日清戦争(1894年)から日韓併合(1910年)が最たるものだ。結果的に植民地にしてしまい、一度関係を持つと日本人の心性をくすぐる、他国にはない魅力を感じてしまうのではないか。だが、その魅力は同時に危うさでもある。痛恨の歴史をつくってしまう伏線になってしまうのではないか。

1977〜1981年に韓国大使を務めた須之部量三・元外務事務次官から「この地に足は2本とも入れず、1本は外に出しておけ」と言われたことがある。2本とも入れておくと、いざというときに抜けなくなるからだという理由だった。

地理的・文化的に、また地政学的にも日本は朝鮮半島と向き合わざるをえない。だが、これまでの歴史を振り返って言えるのは、海峡を渡って北に向かうときは慎重にかつ十分に用心しろ──。足が抜けないほど深入りしてはいけない、ということだ。