表参道からのトンネルを抜けて渋谷駅に向かう銀座線。今なら右側は「渋谷ヒカリエ」だ(筆者撮影)

今の様子からは想像できない人も多いかもしれないが、1980年代まで、渋谷駅南口の周辺には原宿や代官山にあった同潤会アパートのような、しゃれたレトロ建築のアパートが数軒存在していた。南口から国道246号を越えた通りには魚屋や八百屋が並び、駅前食堂のオヤジの威勢のいい声が響いていた。

東京の街でも、近年大きく姿を変えつつあるのが渋谷だ。私は1975(昭和50)年から渋谷駅南口の桜丘町に住み、のちに京王井の頭線で渋谷から1駅の神泉に転居してからも、2014年まで約40年の間、渋谷とその付近でこの街の変化を見続けてきた。懐かしの渋谷の様子を振り返ってみよう。

バブルで風景が一変


かつて渋谷駅南口近くにあった「日本会館」。映画にも登場した(筆者撮影)

かつての、レトロなアパートが立っていた当時の渋谷を見られる映画がある。クレージーキャッツの結成10周年記念映画『大冒険』(1965年東宝)の前半は、渋谷駅南口桜丘町一帯を舞台にアクションシーンが繰り広げられる。

冒頭の空撮からのタイトルバックは、当時まだ完成直後だった代々木体育館から山手線に沿って渋谷に至り、渋谷駅南口のとあるアパートにズームアップする。そこが植木等演じる主人公の住むハイカラなアパートである。「日本会館」というアパートで、昭和初期の建物だった。こういったアパートが1980年代までは存在していた。

そのような居住地の風景が一変したのは1980年代後半のバブル全盛時代だった。大金を得て居住者は渋谷を去り、わが子が育った幼稚園や小学校も廃校に追い込まれた。

映画からの古い渋谷の話題といえば、山手線をまたいでビルの屋上を結んだゴンドラが登場する作品がある。

1952(昭和27)年の『東京のえくぼ』は戦後の東京を生き生きと描いた作品だが、その一場面で主人公の上原謙(加山雄三の父)と丹阿弥谷津子が渋谷のデパートの屋上遊技場でデートして、ゴンドラに乗り込むシーンがある。「ひばり号」と名付けられたこのゴンドラは1951(昭和26)年8月に開通し、7階建ての東横デパートの屋上と、山手線を挟んで4階建ての玉電ビル(現在の東急百貨店東横店西館)の屋上とを結んでいた。

オレンジ色のゴンドラは、山手線を眼下に眺めての空中散歩とあって、たちまち子どもや買い物客たちの話題になった。しかし、翌年百貨店が増築工事を始めたために「ひばり号」はわずか1年余で姿を消してしまった。当時の記録は少なく、渋谷の住民でさえも記憶はおぼろげになっている。

地下鉄の上の舞台「電車停めて!」


デパートの3階から顔を出す銀座線(筆者撮影)

「渋谷」という土地の由来には諸説あるが、なかでも興味深いのは「昔から、ジュクジュクした湿地の渋い谷だった」という説だ。筆者はかつて、当時の国鉄東京西鉄道管理局から渋谷駅の鉄道百年記念誌を編集するにあたって写真撮影の依頼を受けたが、取材をしているうちに、明治時代には南口の国道246号ガード付近に水車があり、渋谷の各地から流れる豊富な湧き水が集まる場所だったということを聞いた。今も豪雨のときなど、ガード下が時々冠水するのはその名残だろうか。


車庫から渋谷駅へ向かう運転台の様子(筆者撮影)

そんな谷底の渋谷駅に地下鉄銀座線が乗り入れたのは1938(昭和13)年のこと。地下鉄は表参道から青山トンネルを抜け、地上に現れると一気に高架橋で渋谷駅に至る形となり、駅は東横百貨店(現・東急百貨店東横店)の3階に設けられた。百貨店を通過すると地上に広大な車庫があり、ここは今もビルの中に入ったものの機能している。

かつて百貨店の9階にはいわゆる「デパ食」の「東急お好み食堂」があり、その階上には東横劇場があった。

この劇場には私もよく舞台写真の撮影に行ったが、これはそのときモギリのお姉さんに聞いた話。劇団文学座の公演で、杉村春子が舞台で熱演中のときのこと、床下から何やらゴトゴトという音が響いて聞こえる。すると突然芝居が止まり、杉村春子の絶叫「誰かあの電車停めてチョーダイ!!」……。地下鉄の通過音の響きがこの劇場の床にまで達し、耐えきれなくてキレたのだった。ちなみに演目は杉村春子十八番の『欲望という名の電車』だったという。

その銀座線が車庫へと向かう線路の横には、昭和40年代前半まで路面電車の東急玉川線(通称玉電)が走っていた。同線は渋谷駅を出ると道玄坂上から国道246号の路上を経て二子玉川園(現・二子玉川)までを結んでいたが、1969(昭和44)年に現在の世田谷線を残して廃止された。現在の渋谷マークシティの道玄坂上に至る通路がほぼ、かつての玉電の路線跡である。

玉電のルートを引き継いで建設されたのが東急新玉川線(現・田園都市線渋谷―二子玉川間)で、渋谷の地下を走る「地下鉄」は1977(昭和52)年に同線の渋谷駅が開業したのが最初だ。翌年の8月には地下鉄半蔵門線が青山一丁目まで開業して直通運転を開始し、その後路線が延伸されて現在に至っている。

想像できなかった東横線の変化


東横線を走る5000系(1977年・筆者撮影)

ゴンドラのあった時代から玉電の廃止、新玉川線の開業などさまざまな変化を経てきた渋谷駅だが、近年の変化の中心はなんといっても東急東横線だろう。かつての東横線では「アオガエル」といわれた名車の5000系、日本初のオールステンレス車7000系の急行などが発着していた時代が思い出多い。5000系は現在ハチ公前広場に車体が展示されているので、現役時を知らない人もおなじみだろう。

東横線の変化は21世紀に入って活発化し、2001(平成13)年3月28日には東急初の特急である「東横特急」が設定された。これはJR東日本の「湘南新宿ライン」運転開始を前に、渋谷―横浜間の競争に備えたものだった。さらに、2004(平成16)年2月1日に開業した「みなとみらい線」によって東横線は横浜側も大きく変貌した。


2001年3月28日、運転初日の「東横特急」(筆者撮影)

そして、2013(平成25)年3月16日の東京メトロ副都心線との直通運転開始とともに、それまでの地上駅が一気に地下5階に移動した。

地下化された東横線渋谷駅の利便性には賛否両論があるが、私が渋谷に居住していた頃、地元のお年寄りたちにはおおむね不評だった。乗り換えの時間が地上時代の倍以上かかること、中間駅となってしまったため座席の確保が難しいこと、ホームが狭いことなど、お年寄りには使いにくくなったのも事実だろう。

渋谷の人の流れは、交通体系とともに大きく変わってきた。西武や東武の電車が渋谷駅に乗り入れるとは、40年前の私にはまったく想像できなかった。長くこの街に住み続けた者として、渋谷が利用しやすい駅に変化していくか、今後も再開発の行方を見届けたいと思っている。