THE TRIOとして無限の可能性を感じたと話す小曽根真 (c)Shino Yanagawa

 小曽根真 THE TRIOが去る8月2日に、オリジナルアルバム『DIMENSIONS』をリリースした。トリオとしては約10年振りの新作。ピアニストで作編曲家の小曽根真は1983年にバークリー音楽大学ジャズ作・編曲科を首席で卒業。ヴィブラフォン奏者のゲイリー・バートンや、ピアニストのチック・コリアなどトップアーティストともツアーをおこなっている。ジャズだけには留まらず、クラシック界でも活躍するなど、ジャンルの垣根を超えて精力的に活動している。今作はイベントで久々に出会ったクラレンス・ペン(Dr)とジェームス・ジーナス(Ba)と3人で意気投合し、約12年振りとなるオリジナルアルバムを制作。小曽根は「小曽根真の核心に近づいたアルバムになった」と本作品を語る。さらに「この2人だとどこまでも行ける。無限に近い可能性がある」と言うトリオの魅力や、音楽活動に対するスタンスなど多岐にわたり話を聞いた。

生きていくということは結局自分を知っていくプロセス

『DIMENSIONS』

――小曽根真 THE TRIOが10年ぶりに再始動して、オリジナルアルバムとしては12年ぶりとなる新作がiTunesで1位を獲得しましたね。

 びっくりしました。10年間やっていなくても、長らく覚えてくれているファンの方というのは本当にありがたいです。これは本当にファンの方々のおかげです。10年間インターバルがあっても飛びついてくれると、どれだけ僕らが愛されていたのだろうということを実感して感動しました。最初は「嘘でしょ!?」と思いましたから。

――小曽根さんのことは以前から存じ上げていますが、こうして改めて経歴を見ると凄いなと。

 そういう風に書くと凄いことになっているのですが、本人は結局好きなことをずっとやってきただけなのですよ。ほとんどの方がそうだと思います。音楽だけではなく、スポーツの世界でもそうだと思うのですが、「好きこそものの上手なれ」と言いますし。「好き」「こうしたい」というエネルギーというのは、何よりも強いと思います。

――幼少期から好きなことにのめり込むタイプだったのでしょうか?

 そうですね。親父によく「お前は競馬の馬みたいで前しか見ないで走る」と言われたのですが、それは凄く素敵なことだと思うのです。

――ひとつのことにまっしぐらということですものね。

 日本では、全てを平均化するでしょ? その結果、自分が見えなくなる部分があって。自分は何が得意で何が不得意なのか、全て自分で判断して長所、短所を把握していくと思います。生きていくということは、結局自分を知っていくプロセスだと思っています。生活があるからお金を稼がなければならないのですが、そちらが優先していく場合というのは、何か違う気がします。

――日本では飛び抜けている才能は、叩かれるという風潮がある気がします。

 そうそう。「出る杭は打たれる」と言うね。でも、僕は20代のときに「出過ぎるくらいの杭じゃないと面白みがないんだよ」と口答えしたことがありまして。人のために意見を変えたってそれは得にはならない、それはその場しのぎにしかならないと。といいつつも、僕なんかはまわりに流されてきた人間なのですが(笑)。ただ、「いい音楽でないといかん」という思いはもの凄くありました。いい音楽というのは、クオリティだと思っていて。それは技術だけではないし、そこには自分なりのこだわりがあります。

――小曽根真 THE TRIOが集まったのは10年ぶりですが、10年という歳月を経て集まろうとしたきっかけは?

 2014年にボブ・ジェームスさんが仕切っている『Music for Tomorrow』という福島のためのチャリティコンサートがあって、それをニューヨークでやったときに僕がたまたまそこにいて、「マコトも弾いてくれ」と言われてお手伝いさせて頂きました。

 そのときにクラレンス・ペン(Dr)とジェームス・ジーナス(Ba)がいて、「君らはトリオでやってたんだから1曲やったら?」と言われて、僕らの楽曲「Asian Dream」を演奏しました。寄せ集めのライブなので、けっこう賑やかで楽しい曲をみんなやっていたのですが、僕らはバンドなので、いきなりバンドの音になるわけですよ。みなさん賑やかな曲をやっていたので、バラードをやろうということで「Asian Dream」をやったら、水を打ったように静かになってしまって。

(*編注:ボブ・ジェームス:米・ミズーリ州生まれのピアニスト、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家。ジャズ・フュージョンおよびアダルト・コンテンポラリー界を代表するアーティストの一人)

――空気感が変わったわけですね。

 自分達の音楽が人を黙らせるというか、息を飲んで頂くというか。そういう音楽が僕は大好きなのですが、そのときは3人で凄く手応えがありました。僕らが結束した音楽の世界観を共有する強さがあると思ったのです。そのとき僕は彼らに一言「Shall we?」とだけ言いまして。2人は「Please!」と、それだけの会話がありました。

――それだけの会話だったのですか?

 そう。じゃあ、来年と再来年は忙しいけど2017年はプランが立てられるから、3年後にということだったのです。

――では、そこから曲を書き始めて。

 曲を書き始めたのは、レコーディングの1カ月前でした。2週間くらいで書きあげました。夏休みの宿題は8月27日までしないタイプだったんですよ、僕は(笑)。

――追いつめられて集中力を高めるタイプですね。

 そうそう。あと、気持ちを高めていきたいということがあったのです。最初はトリオのライブだけをするつもりでした。何故なら、「Asian Dream」を含め、その時代はいい曲がいっぱい生まれていました。自分達でもひとつのトリオの歴史のことを振り返ってみると、新しいアルバムが出る毎に前回のアルバムの曲はできないのです。それを10年続けてきました。やりたい曲はいっぱいあるのですが、なかなかそれができなかったので、今回のツアーは昔の曲を引っ張り出して“We come back”というツアーをやろうかというつもりでいました。

 ところが、やっぱり近づいてくると「このトリオでツアーをやって新曲が1曲もない」というのは、今まで僕らがやってきたことと正反対で。僕がレーベルの方に「やっぱり作ろう」と言ったことが去年の12月でして。それでスタジオを押さえてもらって。今回は2日しかリハーサルがないから、2日間で完成度の高くなる楽曲でないと、ただ演奏するだけで終わってしまって、このトリオの良さが出ないから、ということで曲を書き始めたのが1月の中旬です。それで出来た曲を順番に彼らに音源と譜面だけは送って聴いてもらって、という感じです。

――譜面はどのレベルまで書かれるのでしょうか?

 ほとんど一番基本の状態です。僕らが言うCメロ譜ですね。メロディとコードとキメのあるリズムをちょっと書いたものです。

――あとはお二人に委ねるという感じ?

 そうです。「ミラー・サークル」はクラレンスが、色んなパーカッションを後から入れていますが、僕は何にも指定していないです。彼が上から足していってくれて。

『DIMENSIONS』だと無限大になる

Makoto Ozone THE TRIO (c)Shino Yanagawa

――曲のタイトルはどのように決めていますか?

 僕は曲が出来て、それを聴いてからタイトルを決めていきます。その音楽から頂く世界観を言葉に変えていきます。あまり狭いところには行きたくないのです。説明になってしまうと、狭くなってしまう。例えば、このアルバムのタイトルもどうしようかと随分悩みました。最初は3人が10年間やっていなかったその時間を、今回のセッションと音楽の中で感じました。

 10年やっていなかったけど、それぞれが10年の人生の中で色々なことがあったよね、という歴史が入っていました。今回3人が会ったときに、そこが見えるというよりも、音楽の裏にそれがあって、音楽の重心が凄く低くなったということを感じたのです。3人の10年間が交錯するようなイメージのタイトルが、何かないかなと考えていまして。

 最初は、10年ぶりだから「Here we go again」みたいな、そういう感じだったのですが、このアルバムはそんなタイトルじゃない、音楽の方がもっと深くなっているから…ということで、「THREE DIMENSIONS」というのを考えていました。でも「『スリー』は要らないんじゃない?」という助言があって。数字を入れてしまうと、急に世界がキュッと小さくなってしまうから、見た人が「ああ、3人ね」という世界になってしまいますし。でも『DIMENSIONS』だと、無限大になるからそっちにしようと。

――6曲目の「M.C.J.」はみなさんの頭文字ですよね?

 そう。これだけは仮タイトルがそのままだったのです。これだけは、とにかく3人が一番遊べる曲にしました。この曲は正にジャムセッションですね。

――レコーディングはいつも1テイク、2テイクで録られるのでしょうか?

 そうですね。けっこう1テイクが多かったです。アドリブをやるので、1テイク目、実はすごくいいのです。曲想もあり2、3テイク、あるいは5テイク録って5つ目のこれがいいね、というのもありました。弾いていくうちに、曲を自分の才能に落ちつかせていくという作業をしました。

――1テイク目の初々しさが良いときもあれば、じっくりやったものが良いときもあるのですね。

 そうなんです。今回は今までのトリオの曲にくらべると、ちょっと重心が低いというか、物語の行く場所が深いということを感じました。アルバム全体を通しての爽快感というよりも、ちょっと考えさせられる感じのアルバムになった気がしています。

――ビックバンドNo Name Horsesなどでも活動されていますが、小曽根さんから見たトリオの魅力とは?

 自由さです。特にこの2人とやるときはどこへでも行ける。僕はとにかく自由を求めるので、僕の場合ビッグバンドでやりつつも譜面通りにやらないから、メンバーはけっこう大変なんです。ビッグバンドでは自分が弾くところでは、思い切り自由に弾いて「小曽根さん今どこ弾いてるの?」みたいなことをよくやるのですが、このトリオの場合は、僕がソロをやっているときにドラムが仕掛けてくる。それでそっちに行ってしまう。でも、ちゃんと帰ってきます。これはトリオというフォーマットの限界まで、と言ったらほとんど無限に近い可能性があります。

 ソロで弾くよりはトリオの方が自由になれます。一人だとベースとドラムのところも自分で弾かなければいけないし、曲の構成的な部分も考えなければいけない。でもトリオだと、僕が無音というチョイスもあります。無音を僕が演奏しているときに、彼らが僕の無音のメッセージを受けてそこで何かを発していきます。

――無音すらもメッセージなのですね。

 無音を演奏することなんですよ。だから「休符」という表現は間違っています。休んじゃ駄目なんですよ。休符があったときにオフになってしまったら、楽しくない。自分が次のフレーズを吹くのに、今のフレーズを聴いてないとできないはずです。役者で言うと、自分のセリフを言うのは相手からのセリフがあるから、それを返しますよね? 例えば自分のことが大好きな音楽家がいたとしたら、その人は自分がどう吹くかしか考えていないから、これはどんなに上手くても良くないのです。

――人の演奏を聴いていないとグルーヴも生まれない?

 絶対そうですよ。グルーヴというのは、例えば3人で話をしているときに勝手に話のテンポができるときってないですか? そういうときって、自分が言っていることじゃなくて、相手がどう出てくるかに対して興味を持って「こう思わない?」「いや、だったらこうでしょ」という会話のテンポがある。これがグルーヴなんですよね。

 ドラムがこう叩く、ベースがこう弾く、ピアノがこう和音を弾く、あるいは無音にする。無音でも緊張感は作れますから、ドラムやベースに対して僕がそうするということは、その緊張感を彼らが喜ぶだろうと思ってやるわけです。でも、それを奇をてらって頭でやると面白くない。

――そこはあまり考えても駄目なのでしょうか。

 考えずにもっと感じるんです。もちろん、どこかでは脳は動いているのでしょうけど、考えるということは「3コーラス目でこうしてやろう」ということです。でも演奏、音楽というのは生き物なので、基本的に3コーラス目でこうしようと思っていても、自分が即興で弾いていくと3コーラス目にきた時に「それを本当にやるべきかどうか」は体が判断するのです。ここまで凄く面白い物語になってきたけど、ここだけ昨日の夜段取りしたことが入ってくる、そうすると音楽が死でしまいます。

――おかしくなってしまうのですね。

 会話だったら、ありえないですよ。僕が3分30秒のところで、昨日買ったロールスロイスの話をすると段取りしていたとすると、最初は車の話がくる。それで何かの拍子で、おでんの話になってラーメン屋の話になって「そういえば銀座でさ!」というところで、3分30秒になって「ロールスロイス買ったんだよ」と言ったら「は?」という空気になりますよね。

――そうですね、おかしいですね。

 音楽もそれと全く同じです。写真も同じだと思っています。時間の流れがずっとあって、相手のその瞬間を見ているから「ここだ!」というときにシャッターを押す指と、気持ちが動くのだと思います。あるいは「くるぞ」という予感があって、その瞬間を切り取っていくのだと思います。僕らもそうです。「くるぞ」という瞬間にヤマをかけていきます。そうすると、お互いにバンと合って「出会っちゃったね」という瞬間がある訳です。何が起こるかわからないので、ジャズは即興で楽しいのです。

成長させてくれるものが芸術

小曽根真(c)Yow_Kobayashi_Yamaha

――基本的に楽譜に忠実に演奏をするクラシックとは逆の印象もありますね。

 ただ、僕がクラシックにも何故こんなにのめり込んだかというと、譜面に書いてあるからといって同じにはならないからです。きちっとリハーサルをやって、そのリハーサルを機械が再生するかのように同じ段取りでやる方法は、僕は好きではなくて。

 クラシックに出会った結果、僕は色んなオーケストラと色んなコンダクター(指揮者)と一緒にやらせてもらったけど、彼らは絶対に一緒のことはしません。そこで「リハと同じことをやってもらえませんか」と言うミュージシャンも確かにいます。「そのためにリハーサルをやるんじゃないですか」と演奏者が言うと、指揮者は「いや、そうなんだけど、君、音楽家だろ? 前の音がグッと大きくなったら次の音はちょっと小さく弾いてみようとか、そういう流れにならない?」という感じで。

――小曽根さんからするとリハーサルという概念も他の方とは違いますよね?

 合わせることは、練習をすれば誰だってできます。できて当たり前のことを、わざわざ本番でやらなければいけないというのは、ちょっと違うと思っています。「できて当たり前、これは最低限のルールね」ということを僕らはリハーサルで決めるわけです。本番はそれより上に行きたいので。何故ならそこには、お客さんというエネルギー体があるのです。音楽家は絶対にそのエネルギー体から影響を受けています。だから興奮するし、テンポが速くなったりします。

――ライブでテンポが速くなるのは、そういった作用があるのですね。

 そう。逆に丁寧に弾こうとしてテンポが落ちることもあります。大事なのは「何故テンポが上がるの? 何故テンポが落ちるの?」というところが、生きている人間がやるコンサートの意味です。全て影響し合っていて、本当に音楽って生き物なんですよ。一旦始まると、自分の魂を持って動くので、僕らはそれを正確に表現していくだけです。

 3人で話をしているとき、僕が言葉を探すときに詰まってもいいから、時間をかけてもいいから「楽しかった」ではなくて、楽しい替わりに何か色んな複雑な気持ちがあって、それをどれだけ的確に相手に伝えるかということは、その人のボキャブラリーです。それが僕らが持っているメロディであり、リズムであり、ハーモニーのボキャブラリーなんです。だから勉強しなくてはいけません。いっぱい言葉を持っていなければ、会話できませんから。

 だけど、それをひけらかすとテクニックが先にくるような、「この人は難しい文章を書いているけど全然わかっていない」という風になってしまいます。でもそれはみんな一緒で、それは成長していくことで、成長させてくれるものが芸術なのです。

 自分が芸術を見たとき、聴いたとき、読んだときに感じたことが正解です。それは十人十色です。特にインストゥルメンタルの音楽というのは、聴いて頂いたらその人が感じたことが、その人にとっての正解だと思います。だから厳しい意見もあっていいと思います。

小曽根真の核心に近づいたアルバム

THE TRIOとして無限の可能性を感じたと話す小曽根真。

――賛否両論という言葉もありますが、小曽根さんにも厳しい意見はあるのでしょうか?

 あるある! 5月にやったボレロなんか「これはボレロを冒涜している」という言葉もあったし。僕にしてみたら「嫌だなと思った人ごめんね」と思ったけど、その逆もあって「こんな画期的なボレロは聴いたことがない」という人もいるし。“自分を表現したとき”には必ずそれが起こりますよ。

――伝統を守りたいという人もいたり、革新を求めている人もいたりと。

 そうそう。それはその人の普段の生き方と価値観があるから。それがあるから素晴らしいのです。賛否は無ければ駄目なんです。全員が「良かったんじゃない?」というのは危ないですね。

――小曽根さんはそうならないように、持っていっているという部分もありますよね?

 そうです。だから僕は、今年からクラシックを弾くときもアプローチを変えました。「本当に僕が思うように弾かせてもらいます」と、僕が感じるように。ただ、それは「好き放題にやる」ということではなくて。恐らく、表から見える分には変わらないんです。だけど自分が感じたことは、後から色々言われるかもしれないけど、僕は一回やってみます。失敗かもしれないけど挑戦し続けないと駄目だということで。

 今まではジャズ界でそれをやってきたけれど、クラシック界に僕はお邪魔して、今はクラシック界の色んな方々から認めてもらったり、賛否両論あるにしてもそこに自分の居場所を作って頂いたので、じゃあジャズピアニストの小曽根真がモーツァルトを弾く意味、「300年経って僕がモーツァルトを弾くとどうなるか?」「僕は何をモーツァルトから感じるか?」ということを表現したときに初めて、モーツァルトを聴いたことがなかった人が、何かを感じることができれば正解なんです。僕なんか「クラシックは嫌い」と昔は言っていましたからね。

――クラシック嫌いだったとどこかでお聞きしました。

 クラシックの人に刺されてもおかしくないくらい、酷いことをいっぱい言っていました。それが今や、ですね。「手のひらを返すという言葉は、君のためにある言葉だ」と友達に言われて(笑)。もう好きになってしまったものは、しょうがないですよね。

――今また新たな発見があるのですね。

 僕は56歳ですから、現役のピアニストとしてあと何十年残っているかということを考えると、少しでも自分をきちんと表現して、それがみなさんに伝わっていく音楽というものを作ることができたら良いと思います。そういう意味では今回の『DIMENSIONS』というアルバムは最初、自分でも消化できなかった。ところが3、4カ月経って聴いてみたときに凄く気に入りました。

――出来たときはご自身の範疇(はんちゅう)を超えたものだった?

 今までのような「やった! ひとつ出来た!」という爽快感のある達成感がありませんでした。アルバムを作るという意味が、自分の音楽を発表しますという発表会から、自分の人生を出しますという、小曽根真の核心に近づいたアルバムになったのかなと思います。それがアルバムという形を通して自分が慣れていなかった。この10年クラシックをやってきたことが加味されて、今ここにいるのかなと思います。

人のために音楽を弾いて楽しんでもらえたら

――ツアーをともにしたゲイリー・バートンさんが引退されるとお聞きしました。ミュージシャンに引退というものがあるのでしょうか?
(*ゲイリー・バートン:アメリカのヴィブラフォン奏者)

 僕は、彼の場合はあると思います。彼はずっと最先端でいろんなパイオニアとして音楽を作ってきた人で、30年くらい前から教育のパイオニアでした。僕が行っていた頃のバークリー音楽大学は全校生徒が1500人くらいだったのですが、今は4500人くらいになっています。それは経営が上手かったというのもあるけど、学校のコンセプトをゲイリー・バートンが根本的にひっくり返したからです。

 まず、入学した生徒には全員MacBookが渡されます。まだコンピューターが高かった時代なのですが。そして、ミュージックプロダクション&エンジニアリングという、プロデューサーを育てる課を作りました。そこから、ジャズの学校から音楽の学校になって、ポップスを専門にやる学校になって広げたのです。彼はそこでバイスプレジデント(重役)にまでなって、そっちは引退してプレイをしていたのですが、自分の年齢とともに集中力がもたなくなってきたのです。

 楽しい曲をやっているぶんには大丈夫みたいです。あんなにヴィブラフォンを技術的に弾ける人は世の中にはいないし、テクニックも抜群です。だけど、彼が精神的にグイグイと自分をせめていける音楽をやるには、集中力がもうもたないみたいで。「コンサートで何度も集中が飛んでしまった」と言っていました。

 5月から6月におこなった『小曽根真&ゲイリー・バートン Tour 2017, Final』でやったように、よく知っている曲は楽しくできるし超絶技巧でもできるのですが、「これは僕の音楽ではない、僕がやりたい音楽をやるには集中力がついていかない」、だからやめるそうです。「やっていて楽しくない」とはっきり言いました。

――小曽根さんもそういった状態になったら、やめてしまう可能性もあるのでしょうか?

 あるかもしれないですね。ただ僕はゲイリーのように最前線でやるということよりもピアノを弾くことが好きなので、新しいものを作っていく、自分をギリギリせめていくということは適当にやりつつも、やっぱり人のために音楽を弾いて楽しんでもらえたらいい、という部分があるので、彼のようなやめ方はしないと思います。

自分から関わっていくということを怖がるな

――小曽根さんは国立音楽大学教授ですが、そういった立場から見て今の若い人達の未来はどうでしょうか?

 個人個人を見ている限りは、何の問題もないと思います。むしろレベルは高いと思います。ひとつだけ、これは今の時代だからという訳ではないと思うし、僕もそういうところが無きにしもあらずなのですが、「自分がまだ十分ではないから」という、良く言えば謙虚に見えるのですが、それは僕からしたら傲慢だと思います。自分が準備できるまでやらないということは「失敗しないように」というのはわかるけど、今失敗しないでどうするの? と僕は言っています。

 「まだ技術が足りない」と言う人に、何が足りないのか具体的に聞くと、誰も言えないのです。じゃあ、弾けるじゃんと。「でも僕はまだ小曽根先生のように深い音楽ができません」と言うのですが、「僕は56歳で、君は21歳だろ?」と怒る訳ですよ。

 今21歳とか関係なく、今それがしたいの? と聞くと「したいです」と言うのです。「お客さんが入るかどうか…」と言いますが、それなら、自分で一人ずつ頭を下げて「来てください」とまわります。今でしたら、アンケートをとってメアドをもらって、500人くらいに送ります。それで来たお客さんが「良かった」と思ったら、そのお客さんが次のお客さんを連れてきてくれます。

 せめて50人くらいのジャズクラブに2000円くらいのチケットで来てもらって満席にする、その意識がないと絶対無理だよと。とにかくやらなきゃ駄目だと。やるには何をしたらいいか、ということを具体的に考えることなのです。

――その方法を逆算して考えて、自分でやらなければ駄目なのですね。

 そうそう。それこそジャズクラブで自分は弾かせてもらえますと言いながら、自分でお客さんを呼びませんからね。「それは違うんじゃない? クラブの人は慈善事業でやっている訳ではなくて、君が来て、お客さんが来て、その日のバイトの子のお金と、その一日分の家賃を稼がなきゃ駄目なんだよ?」と。それで初めていくらかの自分のシェアがあって、その場所があって自分の音楽をやる訳だろうと。

――確かにそうですね。それをきちんと理解した上での積極性ですね。

 素晴らしい、その一言です。音楽と自分から関わっていくということを怖がるなと。「僕を見てみな? 43歳でクラシックを初めているんだよ。10歳で始めるのも遅いと言われているクラシックを43歳ですよ。どう思う?」と言うと「先生は特別だから」と。それはズルいですよね。「43歳のおっさんに君たちが負けたら駄目だろ。エネルギーも時間もいっぱいあるんだから、有効に使いなさい」というと、みんなドンドンやりますからね。

――小曽根さんが言うと説得力がありますからね。

 国立に凄く感謝しています。僕はずっと現役でやらせてもらえるということは「あんなこと言っているけど、先生全然やってないじゃん」とはなりません。「先生を見てみ! 外でいっぱい恥かいてるんだよ。このTweet、ボロクソ書いてあるだろと(笑)。

――そういうものも見せるのですね。

 世の中の人がどう言っているか、見せますよ。でもいいんです、僕は幸せだから。自分の幸せは、自分でとりに行かなければいけないと。その変わる瞬間を目の当たりにすると感動して泣けます。音楽がガラっと変わって、全然別人の音楽になるのです。「その音や!」って言うと、本人も感動して泣いてしまいます。「僕、できると思っていませんでした…」と。「自分の可能性を自分で潰そうとするとバチが当るよ。頑張れ!」と言います。結局ミュージシャンにならない子もいますが、それでも活き活きと生きています。

――人生において、他にも同じことが言えるのかもしれませんね。

 音楽であっても写真であっても、全部自分から関わって失敗したら「何が悪かったのか」と考えるから、答えがきたときに身に付くのですが、「こう弾いてごらん」と言われたことを、そのまま上手に弾けるようになっても、それは自分で見つけていないから忘れちゃうし、応用が効かないです。自信を持たせてあげないといけないと思います。それには自分から積極的にスタートしてもらわないと。

【取材=村上順一】