能登正人が明かす、怪我、引退、スペイン挑戦、ぺペロンチーノ時代

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さすらいのフットボーラー、能登正人(のとまさひと)が日本に帰ってきた。

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帰ってきたと言っても、「束の間の休息」との表現が適切だろうか。

インドネシアのクラブ、ペルシバ・バリクパパンを退団し、痛めた腰痛の治療に専念するための帰国だからだ。

彼は、セレッソ大阪ジュニアユースを経て、高校卒業後に単身で渡欧。スペイン、ドイツ、タイ、日本、ラオス、インドネシアと、これまで様々な国でプレーしてきた。

ある意味、今の日本代表メンバーですら経験できない世界を肌で感じてきた男だ。

現在27歳。

未来像も考え始めるこのタイミングで、ロングインタビューを敢行した。



――――まずは、「お帰りなさい」ですかね。連絡は取り合っているので久しぶりな感じはしませんが(笑)

たしかに!

カレンさんと最後に会ったのは、去年の12月以来かな…そんな気がしないですね(笑)

――近況は聞いていましたが、今回の帰国は色々な要素が重なったようで…。

まずは、インドネシアでのプレー中に腰を蹴られてしまって、完全にやらかしました!(笑)

すぐに治るかと思ったんですが、なかなか痛みが引かず、ぎっくり腰に近い感じでしたね。

当然、満足にプレー出来るわけもなく、結果的にバリクパパンとの契約も解除です。

――チーム状態も良くなかったと話も。

そうですね…。

監督と選手が合わなかったり、色々と問題は起こっていました。選手同士は仲良かったんですけどね。

まぁ、最終的にはオーナーが僕を含めて人をどんどん切っていた感じです。

それ自体は、外国では珍しいことはないんですけどね(笑)

――今の状況は?

とにかく、腰を治すことに専念しています。後は、このタイミングを利用して、活動の範囲を広げています。

退団後に色々と声は掛けてもらったんですが、この体の状態では迷惑を掛けるだけなので、まずは動けるようにしたいなと。

その後は、アジアを中心に就職先を探します。

――Jリーグの選択肢はあるんでしょうか?

ジェフに在籍していたこともありますが、今の僕には「Jリーグはない」と思います。ないというか、キャラが日本に合わない気がするんですよね。

後は、移籍先を決めるための判断基準が変わってきたというのもあります。

今は「その移籍先のクラブだったり、地域だったりが、面白いかどうか」が自分の中で大きいですね。

――能登選手の場合、「面白い」というのはサッカー以外のことも指しますよね??

むしろ、サッカー以外のほうが大きいかな(笑)

こう言っちゃうのって、サッカー選手としてどうかと思われるかもしれませんが(笑)

ただ、それが事実です。

人だったり、場所だったり、「そこがこれからの自分にとって可能性を広げるフィールドであるか」っていうのは重視しています。

実際、そういう考えでアジアでもプレーしてきました。それが良い出会いを生んできたと思いますし、このスタンスは変わらないです。

――改めて聞いてみても面白い考え方ですね。

プロサッカー選手としてのキャリアって、本当に短いですから…。

なので、そこにプロサッカー選手としてのステータスに固執するのではなく、自分の可能性を広げることを大事にしたほうが、長い将来を考えてもプラスになると思っています。

――まだ27歳ですが、「引退」についても…

やっぱり、考えますね。

正直、この体の状況次第ですが、仮に治ったとしても残り2、3年かなと。体を酷使した状態でプレーするようなキャリアは嫌なので。

自分が思い描けるプレーが出来るまでが、プロサッカー選手としての人生と考えています。



――となると、腰痛次第では…

引退が早まる可能性はあると思います。

ただ、だとしても「プロサッカー選手としての人生が終わるだけ」の話ですよ。

サッカー教室だったり、何かのイベントだったり、サッカーと切れることはないと思います。

例えば、最近でも有名なアーティストの方から「身体がいけるならエキシビジョンマッチとか出てよ」みたいに声掛けてもらったりしています(笑)

「いや、この腰では無理っす!」と丁重にお断りましたが(笑)

――サッカーを純粋に楽しめる良い環境ですね。

まぁ、端から見たら「あいつ楽しそうだな」って思われるでしょう。

でも、「それもありかなー」と思ってます。見えないところで苦しい思いをしていたとしても、「自分が周りを楽しくさせれたらそれでいいな」って。

今、自分は服とかアクセサリーのデザインもしていますけど、それも一緒なんですよね。

「自分が作ったもので人を幸せに出来たらいいな」という思いだけです。

――発想がもはやアーティスト寄りです(笑)

そうですかね?(笑)

でも、サッカーも一緒だと思うんです。

自分のプレーで観客が喜ぶ、勝てばチームも喜ぶ、ゴールを決めたら自分も喜ぶ。で、それが報酬にも繋がる(笑)

どんな形でも「僕に関わる人たちがハッピーになればいいよね」というスタンスです。

――ちなみに、サッカー選手として最もハッピーを感じられたのは?

やっぱり、ドイツ時代かなぁ。

高校を卒業して、Jリーグのクラブから断られた身の人間が、あのブンデスリーガに触れられたわけですからね。

これはお金で買えない、自分にとっての大きな財産です。

――その他にはありますか?

人間的にハッピーだった時で言うと、スペイン時代ですね。

高校卒業したばかりで右も左もわからないやつが、英語すら話せない中で突撃したわけですが、あそこまでハングリーになれたのは本当に貴重な経験でした。

最後の三ヶ月は給与も未払い。食べる物もない中で、結果は残さないといけないという状況でしたからね。

ちなみに、自分はその期間を「三ヶ月ペペロンチーノ時代」と命名しています(笑)

――「三ヶ月ぺペロンチーノ時代」ですか(笑)

マジでペペロンチーノしか食えなくて、ガリガリでしたよ(笑)

でも、それでもゴールを奪って結果を残しました。

あの時の自分のメンタルは、改めて振り返ってみても「本当に凄かった」と思います。

――日本では経験できないことでしょうね。

できないでしょう。

生々しい表現ですが、あの時は「こいつを殺してでも生き残る!」という精神状態。「日本に帰れない!この地で死ぬんだ!」という覚悟でした。

実際、高校卒業後にスペインへ渡った時も、親に土下座した上で飛び出してますからね。

「半年で結果を出せなかったら諦めるからチャンスをくれ!」って。

母親は「あんたがしたいようにしたらいいやん」という感じでしたが、父親は「お前にはサッカー選手は無理だ」と反対。学校の先生も「とりあえず、大学には行きなさい」って感じで。

――でも、そこを押し切ったんですね。

自分の考えが固まっていたので。

「高校卒業してからの4年は本当に重要でこの4年は簡単に埋まらない」という考えでした。「大学行ったら貴重な4年を失うな」と。

「いや、埋まる」という人はいるのかもしれないけど、僕は「絶対埋まらない」と。

だから、少しでも早くサッカーの世界に飛び込みたかったんです。

ただ…

――ただ…?

「タイミングが遅かったなー」と今は思っています。

それこそ、バルサにいた久保建英くんのような年齢で行きたかったです。

まぁ、バルサではないですけど、実は僕もレアルの練習に参加してたんですけどね(笑)

――えっ!?それ、聞いたことがないです(笑)

あれ?言ってませんでした?(笑)

では、今からそれを話しますか!

(次回へ続く…)

ここから話題は、「スペイン挑戦」、そして、「ドイツのハノーファーでの激闘時代」へ。

さらに、自らの肌で感じた「世界と日本の差」についても語って頂きました。

その模様は近日中にお届けします。乞うご期待。

取材・構成:カレン