片思いの恋は「彼との共通点」を見つけようとするほどうまくいかない

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よく言われるように、恋心は、相手との共通点があれば燃えやすいものです。


たとえば都内で出会ったふたりの地元がおなじだったとか、おなじ業界で働いているとか、そういうわかりやすい共通点があれば、比較的最短ルートで仲良くなりやすい。


でも共通点だけが、ふたりの仲をとりもってくれるわけではありません。

■■「じぶんと相手は、ちがう存在である」という認識からはじまる

共通点って、ふつうはそうすぐには見つからないので、たとえば恋愛上手な女子は、交際初期に「彼の趣味に合わせる」と言います。


彼がサッカー好きであれば、「わたしもサッカー好きになる(で、ルールはイマイチよくわからないけど、とりあえず彼と一緒に観戦する)」という具合に、とりあえず表面的に「おなじ」ことをやる。


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人って、じぶんと相手のおなじところを無意識のうちに探すクセを持っているのだそうです。


たとえば日本とは気候も風土もちがう韓国の女性アイドルグループが好きな女子は、「流行っているから好き」とか「流行る前だから一応おさえておく」という人もいますが、ようするになんらかの共感を、韓国アイドルに抱いているといえます。


気候風土も、おそらく育ちもちがう、一見なんの共通点もなさそうな海外のアイドルに、なぜ共感するのか?といえば、アイドルとじぶんに「おなじもの」を見出しているから、ということが言えます。


「じぶんとはまったくちがう雲の上の憧れの存在」だとわかったうえで、でも年恰好が似ているとか、じぶんもアイドルとおなじような服を着て、カラオケでおなじ歌を歌いたいとか、なにか「おなじもの」を、そこに見出している(見出したいと思っている)。共感って、こういうことです。


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あるいは、じぶんと100%まったく関係のない、想像もしたことがないことって、人はふつうスルーしますよね。たとえばあなたにとって、毎日天気図とにらめっこしている気象学者は、おそらく縁もゆかりもない人でしょう。


そういう人に、あなたは共感しないですよね?
でもそういう人がテレビに出て、親しみやすく話をしていたら、「じぶんとはまったくちがう人だけど、どこかしら興味が持てる人だ」と思えてくることもありますね。
「ちがう」存在と認めたうえで、「親しみやすい」という「多くの人に共通する価値」に触れたから、「じぶんとおなじところ」を探したいと思えてくるのです。


つまり、なんらかの共通点を相手に見つけようとする気持ちは、「じぶんと相手とは、ちがう存在である」という認識からはじまります。「ちがう」からこそ「おなじ」ところを探そうと、心が動き出すのです。

■■「共通点なんてない」と思った先に共通点はある

ということは、たとえば片思いの彼と仲良くなろうと思えば、じぶんと彼との「ちがい」を、心いっぱい認識することです。


「ちがい」すぎて、「彼はわたしに興味を持ってくれないかもしれない」と、少々絶望的なことを考えたその先に、「おなじもの」が見えてくる、ということです。ちがいを認識すればするほど、おなじところが見えてくるのです。


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恋愛もまったくおなじです。彼とじぶんの共通点を探そうと思えば思うほど、「共通点なんてない」と思えてくることもあるでしょう。でもまずは「ない」という認識を持たないと、話が始まりません。


たとえばプロのサッカー選手と、アナウンサーやモデルが結婚するでしょ? ふたりは育ちもちがえば、持っている能力もあきらかにちがう、なのになぜ結婚にいたるのか? 


「ちがう存在である」と、痛いほど認識したから、じぶんと「おなじもの」を相手の中に見つけることができた、ということです。「共通点なんてない」とあきらめつつも、「ない」という事実の先に「共通点が必ずある」と信じ、それを探したからです。


ちがいをちがいとして認める気持ちがあればこそ、人は人と仲良くなれます。「彼はわたしとはちがいすぎるからつきあってくれないだろう、以上、終わり」では、もったいないということです。(ひとみしょう/文筆家)


(ハウコレ編集部)