パートやアルバイトというような非正規雇用が増え続けている現代。いわゆるフリーターと呼ばれているアルバイトやパート以外に、女性に多いのが派遣社員という働き方。「派遣社員」とは、派遣会社が雇用主となり、派遣先に就業に行く契約となり派遣先となる職種や業種もバラバラです。そのため、思ってもいないトラブルも起きがち。

自ら望んで正社員ではなく、非正規雇用を選んでいる場合もありますが、だいたいは正社員の職に就けなかったため仕方なくというケース。しかし、派遣社員のままずるずると30代、40代を迎えている女性も少なくありません。

出られるようで、出られない派遣スパイラル。派遣から正社員へとステップアップできずに、ずるずると職場を渡り歩いている「Tightrope walking(綱渡り)」ならぬ「Tightrope working」と言える派遣女子たち。「どうして正社員になれないのか」「派遣社員を選んでいるのか」を、彼女たちの証言から検証していこうと思います。

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今回は、都内で派遣社員として働いている宮田由梨さん(仮名・25歳)にお話を伺いました。由梨さんは耳にかける長さの黒髪ショートカット、一重の目元にはマスカラだけ、口元は透明のリップグロスを塗ったシンプルメイクで、素顔のような印象でした。グレーのスウェット素材のマキシ丈ワンピに、白いスニーカー、キャンバス地のトートバッグを合わせたファッションは、学生のように見えました。

「ぎりぎりまで頑張るっていうのに疲れたんです」

派遣で働く前は、マーケティングを行なう企業で働いていました。

「企業向けのマーケティングを提案するPR会社に就職していました。私の世代って、要領が良いとか、決断が速いって言われるのですが、それは活躍している一部の人だけなんですよね」

新卒で入社した企業では、常に“新しいこと”や“若い感性”を求められたと言います。

「いわゆる“ゆとり世代”って呼ばれている世代のせいか、競争が苦手なんです。父よりも上の世代から、“生まれたころから携帯があるんだろ”とか言われたり……ちょっと若い人を勘違いしているんですよ。みんながみんな目立ちたかったり、SNSもやっているわけじゃないのに」

彼女は群馬県高崎市出身。食品製造工場に勤務していた父と、鍼灸院の受付にパートとして勤務していた母の3人家族で育ちました。

「両親は元々、裕福な方ではなかったので、早い時期から子供は1人って考えていたみたいです。将来、私が大学に進学をしたいと行った時に困らないように、と普段から節約を意識した生活をしていましたね」

実家は、いわゆる貧困層ではないが、中流家庭のちょっと下くらいだと言います。

「実家はずっと公団で、いくら3人家族と言っても3DKだったので狭かったですね。あと住んでいた棟に、エレベーターがついていなかったんです。3階だったので、そこまで大変ではなかったのですが、疲れた部活帰りとかだとエレベーターのあるマンションに憧れましたね」

学生時代は、特に勉強ができるわけでもなく、運動も得意でもなかったそうです。

「うちは親が高卒と医療系の専門卒だったので、子供には大学に進学させたいっていうのがあったみたいです。でも、親が知っているような大学に入るには、かなり勉強ができないと無理だと言っても最初はなかなか分かってもらえなくて」

ごく当たり前に、中学では部活動に励んでいました。

「中学は、軟式テニス部に入って部活を頑張っていました。大会があると、部員と引率の先生と市外の体育館や学校まで行けるんですよ。うちはあまり父がどこかに連れて行ってくれなかったので、部活で遠征するのがちょっとした楽しみでしたね」

のんびりとした地元が好きなのに、彼氏を追って上京

まだ中学生の頃は、やりたい仕事や勉強してみたい分野などなかったため、とりあえず地元の普通科の高校へ進学をします。

「部活動で進学できるほど、テニスも強くなかったし、特に生徒会や委員もやっていなくて。成績もまあ普通くらいだったので、推薦ではなく一般受験で入れそうな高校を選びました。滑り止めが私立で、第一志望が県立で。ごく普通の高校でしたね。厳しくもなく、進学校でもなかったのでギスギスもしていなくて。居心地は良かったです」

大学進学は視野に入れていたものの、具体的に行きたい大学は特になかったと言います。

「受験の時期になって、県内にするか東京の大学を受けるか迷ったんですよ。まだ朝は母に起こしてもらったり、ご飯も全部作ってもらったりしていたので、家を出るのが不安だったので県内の大学に進学しました」

文学部に興味がなかったため、進路は迷いましたが、就職が良さそうな経営学部に進学します。

「大学も県内からの進学者が多かったので、高校の延長っぽかったんです。卒業後も県内の企業や、地銀に就職するのが目標だったり。いわゆる、ガツガツしたところがなかったので、自分と合っていましたね」

普段の生活も、ほとんど地元で済ませてしまうため、最初は上京したいという気持ちがなかったと言います。

「中学も、高校も地元で、大学はちょっと電車に乗って通学するくらいの変化で。そのせいか、あまり競争意識が芽生えなかったというか。結局、地元にいればなんとかなるっていう意識が強かったんです」

しかし、そんな彼女に異変が訪れます。

「大学の時からつきあっていた1歳年上の彼氏が、就職で上京してしまったんですよ。あれだけ“地元でいいや”って思っていたのに、遠距離になってしまって寂しくなり、私も東京の企業を受けました」

面倒なことが苦手だという由梨さんですが、就活は大学のサポートもあり要領よくこなします。

「東京の就職セミナーに行くバスが、大学から出ていたんです。それもあって、就活はしやすかったです」

東京で働いているOB訪問や、エントリーシートの書き方など、授業の合間をぬって研究し、見事東京にある企業から内定を貰います。

「最終的に、企業向けのマーケティングを提案するPR会社と、タウン誌などを編集している広告代理店から内定をもらいました。ただ、広告代理店の方は社員が10人程度の中小企業で、土曜出勤もあると言っていたので、PR会社の方に就職しました」

エントリーシートやSPI対策など、ゆっくり取り組めるものは得意だった。

就職先で、育ちについて指摘される!?同僚のキラキラ女子に完敗……その2に続きます。