昭和16(1941)年、ハワイの真珠湾攻撃に参加し、ニイハウ島で死亡した零戦搭乗員、西開地(にしかいち)重徳(しげのり)1飛曹の機内に残されていた5枚の名札がハワイから遺族に返還された。

 発艦した空母「飛龍」の乗組員のものとみられ、西開地1飛曹の弟、良忠さん(87)=愛媛県今治市=は「一刻も早く持ち主の元にお返ししたい」と話している。

 ◆「飛龍」乗組員か

 西開地一飛曹は昭和16年12月7日午前6時半、「飛龍」の第2次攻撃隊としてオアフ島カネオヘ基地を攻撃後、被弾しニイハウ島に不時着する。ニイハウ島は現在までもロビンソン家の私的所有で許可なく立ち入りができない。

 作戦の事前取り決めで飛行不能になった機は白人が居住していないとみられていたニイハウ島に不時着し、潜水艦による救助を待つことが決められていた。

 島民に発見された西開地1飛曹は暗号表などの書類や拳銃を奪われ拘束される。島で働いていた日系2世の原田義雄さんが西開地一飛曹を救助するため、島民に抵抗し逃亡。2人は奪われた書類と拳銃を奪い返そうとしていた。しかし13日朝、西開地1飛曹は島民に殺害され、匿っていた原田さんは散弾銃で自殺する。

 事件後、原田さんの妻、梅乃さんは「傷ついた者を救助するのは当然の行為」と主張するも、国家反逆罪で逮捕され、収監される。収容所を出たのは31カ月後だった。

 ◆「兄の戦友かも」

 現在、西開地機の残骸はハワイ真珠湾の「太平洋航空博物館」に展示されており、館長のケネフ・デホフ氏が6月22日、名札を返還するために今治の良忠さんを訪問した。

 名札は縦10センチ、横2センチで「松田龍雄」「金川炳浩」「美齊津●三」「岸本勇盛」「須藤松蔵」の5枚と「事務」「イ3483」の木札も残されていた。20年前に亡くなった西開地機を調査した米陸軍調査官が持ち帰り、遺族が「持ち主の元に返してほしい」と博物館に託していた。

 日本の命運を賭けた攻撃に出る際、出撃できない「飛龍」乗組員から「俺たちの分まで頼んだぞ」と西開地1飛曹が名札を手渡された可能性が高いが、詳細は分からない。

 デホフ館長は「75年もの間、日米両国は友好を深めてきた。名札返還は友情をさらに深める契機となる」と話した。

 良忠さんは「米国から戻ってきて兄も喜んでいると思う。名札の主は兄の戦友かもしれない。どういう思いで兄に手渡したか。早く持ち主の元にお返ししたい」と話している。(将口泰浩=作家)

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