国宝・興福寺の阿修羅像(東洋美術特輯「日本美術史」第4冊より)

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 こんにちは。微表情研究者の清水建二です。

 本日は、清水建二の微表情学第30回のテーマに引き続き、奈良県興福寺にある国宝阿修羅像の3つの表情から阿修羅の心を推測してみたいと思います。

 表情分析の手法は、表情のコード化、感情のラベル付け、感情の理由の推測という3つのプロセスを経て、様々な意思決定に役立てます。仏像も銅像も絵画も、そこに表情があれば全て同じという信念のもと、同様のプロセスから阿修羅の心の読み解きに挑戦したいと思います。

 まず阿修羅の3つの表情を記述したいと思います。表情分析のルールに則って、分析対象にとっての右左(私たちからの視点ではありません)という観点から観ます。

 阿修羅の右の顔について表情のコード化と感情をラベル付けします。

「眉が中央に引き寄せらる+まぶたに力が入れられる+下唇が上の歯で噛まれる」という表情をしています。「眉が中央に引き寄せらる+まぶたに力が入れられる」表情は怒り(あるいは熟考)を意味し、「下唇が上の歯で噛まれる」表情は、感情抑制を意味します。まとめると、怒りを抑制している表情だと解釈できます。

 次に左の顔です。

「眉の内側が引き上げられる+眉が中央に引き寄せられる+まぶたの力が抜ける+うつむく」という表情をしています。「眉の内側が引き上げられる+眉が中央に引き寄せられる」表情は苦悩を意味し、「まぶたの力が抜ける」表情は悲しみ・憂鬱・退屈を意味し、「うつむく」は内省、つまり感情が自分に向けられていることを意味します。まとめると、内面に苦悩を抱えている表情だと解釈できます。

 最後に正面の顔です。

「眉が引き上げられる+眉が中央に引き寄せられる+まぶたに力が入れられる+右の口角が引き上げられる」という表情をしています。「眉が引き上げられる+眉が中央に引き寄せられる」表情は不安を意味し、「まぶたに力が入れられる」表情は熟考・決意を意味し、「右の口角が引き上げられる」表情は軽蔑を意味します。まとめると、熟考・決意しながら不安を抱きつつ、優越感を生じさせている表情だと解釈できます。

◆表情・感情イコール心ではない

「表情の専門家だと人の本心がわかってしまって大変でしょう。」とよく言われますが、ここまでの阿修羅像の表情分析からお察しの通り、表情を読んだだけでは直接的に心まではわかりません(状況によって瞬時にわかることもありますが)。

 そう、表情・感情=心ではないのです。心、すなわち表情・感情がなぜ生じているかは、言葉との整合性や状況、対峙している関係性、その他のあらゆる情報と重ね合わせて推測する必要があるのです。阿修羅の心とはいかに?

 様々な知見と資料とを照らし合わせながら推測します。

 右の顔、左の顔、正面の顔を平行に並べると目の位置が上がっていることがわかります。大人になるにつれ顔の下半分が成長することにより、このような現象が生じることがわかっています。つまり、右は子どもの顔、左は青年の顔、そして正面が大人の顔ということです。このことから阿修羅の感情の変化が時間の変化とともに生じていることが推測されます。

 もともと阿修羅は、古代インドの英雄神である帝釈天に幾度となく戦いを挑む鬼神として知られていました。しかし、あるとき釈迦の説法を聞いたことを境に、自らのこれまでの態度を悔い改め、仏に帰依することになったと伝えられています。

 この荒くれる鬼神としての時代を右の顔の怒り表情に、自らを省みている瞬間を左の顔の苦悩表情に、仏に帰依する決意が正面の不安表情に表れているのかも知れません。

 ただ実際に、阿修羅が子ども時代に鬼神として振る舞い、青年期に釈迦の説法を聞き、大人になって帰依したという厳密な時期があったわけではないため、内面の感情が時をかけて変化していく様子を顔の変化を手段に、仏師が体現しようとしたのではないかと私は考えます。