残業が重なるとつらいが、残業代が出ないのも困る(写真:foly / PIXTA)

いわゆる「働き方改革」関連法案に関連して、これまであるようでなかった試算を、大和総研のエコノミスト・小林俊介氏が最近公表し、大きな反響を呼んでいる。

「仮に罰則付きの残業上限が導入されれば、所定外給与(残業代)の削減を通じて、年間8.5兆円の雇用者報酬が下押しされるリスクがある」

8.5兆円は年間に日本人が受け取る給与など263兆円(雇用者報酬、2015年度)の約3%に相当する大きな金額だ。2%分を引き上げるのに四苦八苦している消費税率に換算すると、3%強分になる。

もちろん、残業時間の減少分をほかの雇用者が吸収する形で補ったり、所定内給与(きまって支給する給与のうち所定外以外のもの)やボーナスに振り替わる分が一定程度見込まれ、そのままストレートに減少することにはならない。しかし、家計は一定程度の所得減少を免れない。残業時間が減る分、労働投入量が減ることも避けられないので、経済成長にもマイナスのインパクトを与えかねない。

9月8日には厚生労働大臣の諮問機関である労働政策審議会が開かれ、時間外労働の上限を原則として月45時間、年360時間とする労働基準法改正案が提示され、自民党内の議論も始まった。2019年4月施行が目標だが、意見の対立もあり、今後の国会審議は難航が予想されそうだ。

1990年以来の労働投入量の削減

よく知られているように、日本は先進国の中でもとりわけ労働時間が長い。パートタイム労働者を含んだ年間総実労働時間は、年々減少しているが、これはパートタイム労働者の比率が上昇していることが一因だ。一般労働者についてみると、年間労働時間は20年前とほとんど変わっていない。


小林氏の試算は、月220時間以上働いている人の残業時間を産業別に積み上げた。時間数にすると1カ月当たり約4億時間に達し、それに単価と月数をかけて8.5兆円という金額を弾き出した。

小林氏は「人為的に労働投入量を削減する取り組みとしては、1990年前後に週休2日制が普及して以来の大きな出来事。長時間労働の是正は社会政策として正しい政策だと思うが、それに伴う経済コストをどのように賄うのかという議論をセットでやらないといけない」と指摘する。

厚生労働省労働基準局によると、1987年から1997年にかけて労働基準法が数次にわたって改正され、週当たりの労働時間は40時間(週休2日)に徐々に近づいていった。

当時はバブルのピークと崩壊の過程と重なり、労働時間の削減がその後の経済低迷の一因となった可能性がある。今回は、労働力人口が本格的に減少していく局面と重なるタイミングでの労働時間削減だ。経済成長の源泉は労働と資本、技術水準(生産の効率性)の3つだが、労働投入量(労働者数×労働時間)が減るのなら、その分、資本投入量か生産性を高めないと、経済成長はおぼつかないことになる。

残業代は企業の利益と連動している

厚労省の「毎月勤労統計調査」によると、残業代は景気(企業業績)の良し悪しによって大きく変動してきた。企業の経常利益の動向と比較して見ると、ボーナス(特別給与)よりも、残業代(所定外給与)のほうが、企業の利益との相関が高いことがわかる。


リーマンショック後、企業業績が落ち込むのに比例して所定外給与も減少した。その後、企業業績の回復に伴い、リーマンショック前のピークに近い水準まで所定外給与も増加している。

だが、「この2、3年は所定外給与が景気とあまり連動しなくなっている」(三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林真一郎主席研究員)という。確かに、2015年度と2016年度は企業業績が伸びているのに対し、所定外給与はむしろ前年比で減少している。

三菱UFJリサーチの小林氏は「無駄な仕事をできるだけ減らすなど、働き方改革を先取りするような動きや、育休や時短の制度を充実させる動きも強まっている。さらに、ここ数年は景気がよくなって企業が人手をきちんと確保するようになり、1人当たり労働時間が短くなっても何とかやっていけるようになっている」と分析する。

生産性を高めないと成長も報酬も望めない

15〜64歳の生産年齢人口は今後ますます減少ペースを加速していく。これまで不足する労働力を少しでも増やそうと、高齢者や女性の労働参加を促してきたが、これ以上増やすにしてもそろそろ天井が近づいている。

今回の働き方改革もあって、さらなる労働力の増加が期待できない以上、経済成長の源泉として生産性の向上への期待が高まる。

政府が今年3月に決めた「働き方改革実行計画」は、「賃金引き上げと労働生産性向上」を検討テーマの1つとしてうたっているが、その具体的な中身となると、「雇用関係助成金に生産性要件を設定」などと、とたんにスケールが小さくなる。

大和総研の小林氏も「生産性の議論になると、急に具体策が思いつかなくなる」と認め、エコノミストの間でも具体的な生産性向上策は難問のようだ。

安倍晋三政権発足後、金融緩和や法人税減税で企業の設備投資の背中を押し、女性や高齢者の労働参加を促してきた。日本経済停滞の源をタマネギの皮をむくように探っていくと、投資や労働の問題が仮に改善しても、結局は生産性の低迷という難問が残る。

皮肉なことに、これまでほとんど手つかずだった難問が、働き方改革によって光を当てられることになった。