鹿児島県出身で修士号を持つ川崎広人さんは、河南省原陽県の農場で働き始めて4年目になる。川崎さんは、堆肥を利用し、健康で、安全、しかもおいしい農産物作りに力を入れている。写真は川崎さん(左)と小劉固村の農場のオーナー李さん(右)。

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鹿児島県出身で修士号を持つ川崎広人さん(71)は、河南省原陽県の農場で働き始めて4年目になる。川崎さんは、堆肥を利用し、健康で、安全、しかもおいしい農産物作りに力を入れている。川崎さんは中国メディアでも何度も紹介されている有名人だ。南方都市報が伝えた。

川崎さんは頑固に一つの事を忍耐強く行うドンキホーテのような献身的な精神を持っているというのがほとんどの人の評価。それでも川崎さんがどうして中国の辺鄙な農場で、熱心に農業をするのか、不思議に感じている人も多い。

「農場のオーナーは従業員と一緒に住み、食べ、働くべき」

2014年の春節(旧正月)前、川崎さんは小劉固村の農場に来て、1カ月そこに住み、養豚場や堆肥、ビニールハウスなどを見て回り、最後に李衛さんに絵を描いて、小麦にどのように液体肥料を散布するか伝えて帰国した。

実は、川崎さんはそれまでにも中国各地を訪れており、川崎さんのノウハウに耳を傾ける人は少なくなかったが、実践する人はほとんどいなかった。しかし、李さんからは帰国後すぐに手紙を受けとり、李さんが川崎さんのアドバイスを取り入れ農場を改良したことが綴られていた。こうして何度も壁にぶつかっていた川崎さんにもわずかながら希望が見えたので、小劉固村にしばらく滞在することを決めたのだという。

川崎さんが同村にやって来た当初、李さんは中国の農場オーナーらしい生活を送っていた。つまり農場に来るのは朝9時で、茶を飲み、昼になれば外で食事し、午後にもう一度農場をざっと見てから帰宅するという生活だ。

しかし、川崎さんはそのような生活にメスを入れた。農場のオーナーは、従業員と一緒に食事し、一緒に寝て、一緒に働かなければならないというのが川崎さんの考えだ。川崎さんは時間を見つけては、李さんと農場経営について話し合った。14年9月、川崎さんは、友人である日本の種苗会社の専門家や堆肥の専門家などを上海に招いた。そこで、1日中、夜中まで意見を聞き、飛行機代や食事代なども全て川崎さんが負担した。川崎さんのこうした仕事に対する真摯な態度が李さんの心を少しずつ動かし、上海から農場に戻ってしばらくすると、李さんは従業員と一緒に食事をし、一緒に寝て、一緒に働く努力をするため、村に移り住んだ。

特別な精神的な柱・李さんの父親

李さんの理解と協力以外に、李さんの父親・李敬齋さんの存在も、川崎さんにとって「精神的柱」となっている。李敬齋さんは、小劉固村出身で、河南省農業庁を退職した後、田舎に戻って養殖場を立ち上げた。これが小劉固農場の前身だ。父親が亡くなり、李さんが田舎に戻り、父親の意志を継いだ。李敬齋さんの墓は、農場の近くにあり、碑文には農業や蚕の養殖に対するその生前の思いが綴られている。

川崎さんは初めて農場に来た時に、李敬齋さんのことについて知り、感動して李さんに手紙で、「あなたの父親はとても偉大だ」と伝えた。また、微博(ウェイボー)に、「李敬齋さんの墓によく行く。そこには、彼の経歴や農民のためにしたいことなどが書かれており、感動して涙が出た」と綴っている。小劉固村の村民も、川崎さんが自転車で李敬齋さんの墓に行くのを目にしており、お酒を手に墓参りをする時もあるという。

川崎さんと李敬齋さんは3、4歳しか違わないため、李さんは川崎さんのことを親しみを込めて「老川」と呼んでいる。李さんにとって、川崎さんは、ちょっとわがままな先輩で、「ほとんどの人は、彼の考え方が理解できないけど、私はできる。父親も農業に生涯を捧げており、二人の考え方はよく似ている」と話す。

川崎さんの名が広く知られるようになると、色々と言う人も増え、なかには川崎さんを雇いたいと誘いをかける人もいるのだという。この点について李さんは川崎さんの意志を尊重したいと考えており、「もっといい所に行ったほうがいいと思うけど、小劉固に残りたいなら、私も頑張って川崎さんの仕事に協力する。堆肥を使った栽培のPRをサポートし、晩年を楽しく過ごせるよう、ちゃんと世話をしたい」と話す。