エドアルド・キヨッツーネが描いた西郷の肖像画

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 ご存じ西郷隆盛の銅像として最も古く、また西郷のイメージを最も広く全国民に伝えてきた代表的な銅像として、上野公園の銅像がある。この銅像のイメージが全国民の間に定着しているはずだ。短い筒袖の着物と無造作に結んだ兵児帯(へこおび)に短刀を一本さし煙草入れをさげ、草履をはき、兎狩りの補縄(ほじょう)を手にした狩猟姿で、愛犬を引いて立っている。西郷の没後から140年、この本人像は果たして正しいのか? 『西郷どん式 リーダーの流儀』を上梓した人材育成コンサルタントの吉田幸弘氏に聞いてみた。

「この西郷銅像は、明治31年12月18日に除幕式が行われました。当時、鹿児島の西郷屋敷にいた糸子未亡人(三番目の妻)は、遺児たちを連れて、はるばる上京し遺族としてその式に参列しました。その時、糸子未亡人が叫んだ言葉があります。それは、除幕のヒモが引かれ、ぬっと現れた銅像を目にした時のことです。『あれまあ!うちの人はこんなお人ではなかったのに!』。隣にいた西郷の弟・従道が糸子の足を踏んで、『シー!』とたしなめました。しかし、糸子の言葉はどこかに広まってしまったようです」

 これにより、「上野の銅像は実際の西郷に似ていない。本当の西郷はあんな顔ではない」という噂となり、広がっていくことになる。果たして実際のところ、本当に似ていなかったのだろうか?

「実は、『西郷はこんな人ではなかった』という糸子の言葉は、実は『似ていない』という意味ではありませんでした。というのも、『うちの人は、礼儀正しい人で、相手がどんな身分の人であっても、いつもキチンとした服装で応対し、驕り高ぶったりすることもなく言葉づかいも丁寧でした。あの銅像は、たとえ狩りに出た時の姿であったとしても、着流しの姿をみなさまが大勢見るところに建ててしまって……』という抗議をしたかったようなのです。つまり、『うちの人は、こんなにだらしなくなかった、きちんとしていた』ということを伝えたかったのでしょう。

 では、似ている、似ていない問題に関してはどうか? 実は西郷には、写真が一枚も残されていないのだ。つまり証拠となるものが残されていないのである。

「同時代の坂本龍馬ら数多くの著名人は写真を残しており、すでに日本では、写真はさほど珍しいものではなくなっていました。どうやら西郷は写真が嫌いだったようです」

 その風貌を伝える肖像画はいくつかある。なかでももっとも有名なのが、エドアルド・キヨッツーネが描いた肖像画だ。

「キヨッツーネの肖像画は糸子も評価したものの、眼をつり上げた怖い目で描かれていることが気に入らず、『じいさんは、目玉はたしかに大きかったけど、眼差しは何となく慈愛のこもったものだった』と言っていたそうです」

 ところで、西郷は人物に例えると誰に似ていたのか? 吉田氏によると、糸子は西郷を「中村雁治郎に似ていた」とよく言っていたという。

「実は、現在の日本人の西郷に対する強烈な印象の風貌のイメージとはかけ離れていて、西郷は美男子であったという説もあります。西郷の孫の中で、一番似ていると言われた西郷隆治氏を電車で見た人が、『肥満ではなく、引きしまっていた』と言っていたという話しもありますね。なにはともあれ、写真もなく、ミステリアスな存在であることも、西郷の特徴ではないかと感じます」

 人情溢れる仕事をこなし、離れていく部下もほとんどいなかったという西郷。はっきりした写真がないぶん、想像で生き残っていくのだろう。

【吉田幸弘】
リフレッシュコミュニケーションズ代表。コミュニケーションデザイナー・人材育成コンサルタント・上司向けコーチ。全国の企業、商工会議所、法人会などで年間130本以上講演・研修に登壇しており、わかりやすく実践的ですぐに行動に移せる内容と評判を得ている。『リーダーの一流、二流、三流』(明日香出版社)など著書多数。新著『西郷どん式 リーダーの流儀』が9月2日発売