国内全局のテレビ中継と、自衛隊ヘリから即時に送られる現場の映像を一挙に映し出す複数の画面が並んだ作戦室。

 陸上自衛隊帯広駐屯地では東日本大震災の発生直後、情報収集や被害状況の確認が進められていた。当時、その駐屯地にいた陸自隊員の一人がいま、宮城県庁にいる。長谷川敬祐さん(32)。「震災復興のグランドデザイン(全体の構想)を描きたい」と県庁入りした。(岡田美月)

 ■変わり果てた景色

 「どの画面に目を移しても直視できないほどの映像だった」

 駐屯地での震災発生当時を長谷川さんは振り返る。

 防衛大学校出身で海上自衛隊に勤めていた父の勧めで、東北大法学部卒業後の21年4月、陸自に入隊した。1年間の座学や訓練を経て、任地は帯広、会計隊の班長に決まった。それから1年もたたないうちに、震災が起きた。

 「悲しみに暮れる余裕はなく、前を向いている人が多い印象だった」

 北海道東部の防衛・警備を担う陸自第5旅団は震災直後から、船で隊員を被災地へ派遣した。長谷川さんは4月中旬、石巻市に入り、被災者の入浴や食事などの支援活動に参加した。

 岐阜市出身だが、父の転勤で横浜市にも住んだ。学生時代は仙台市で暮らした。各地を転々としたからか、「『地元』として特別に思い入れのある土地はなかった」という。

 1カ月ほどの支援活動後、同旅団は石巻市から撤収した。しかし、学生時代を過ごしたあたりが震災で傷つき、変わり果てた景色になっていた。後ろ髪を引かれる思いだった。

 「派遣が終わった後もこの場所でやらなければならないことが、あるのではないか…」

 1年後には、国連平和維持活動(PKO)での南スーダン派遣の話もあり、「ぜひ行きたい」とも考えていた。

 しかし、気づいた。「ここで支援を続けたい」。その思いはいつしか、「復興のグランドデザインを描きたい」と深化していった。

 ■思い入れのある場所

 「被災地だからこそ、災害に強いまちづくりをゼロから作り上げたい」

 仕事の場を宮城県に求めた。「住民の考えや思いを反映させて、安心して暮らせる場所に変えていければ」との思いで、26年4月に入庁した。

 配属された東部土木事務所では、復興道路(志津川−築館間)の整備に向けた用地買収に取り組んだ。

 「買収するのは商売したり、住んだりしたりしている土地。公益のためとはいえ、個人には関係ないところもある。だけどお願いしなくてはいけない」

 住民の元に通い、事業の重要さを説いた。理解を得られ、協力してもらい、道路が形になってきたころ、心境が変化した。「思い入れのある場所」ができた。

 「今生きる人とこれからの人、両方が満足のいくまちづくり」。長谷川さんの頭にある理想だ。

 「今の人がこうと決めたから、次世代の人が困る、ではだめ。これからの人もつらい思いをしないまちになっていけたらいい」。震災直後に誓った「支援し続ける」ということ。6年半前の震災、その経験を踏まえた現在、そして未来へ。まちづくりも「継続」だと考えている。