「いつかこの詩を作品にしたいと思っていました」

 出会った詩や言葉を自分の“メモ”にしまって、作品の素材にしてきた。

 作品に選んだのが、地元山形県の農民詩人、真壁仁の詩「蕪(かぶ)の道」だった。直感的に「この詩をいつか作品にしたい」と、そのメモにしまっていた。

 わずか1ミリに満たない大きさの蕪の種が、日本に伝わってきた道のり。真壁は「風で運んできたのだとでも思え でなければ 鳥が啄(ついば)んできて 糞(ふん)といっしょに振り落としたのだと考えたまえ」と書いた。

 ケシ粒ほどの蕪の種から壮大な想像を込めたこの詩に直感的に惹(ひ)かれたのだった。

 長文な詩を作品にするにあたり、2つに分かれた詩を上下にしただけ。「流れるように」「余白の生かし方を考えなさい」。書成会の先輩の指摘も取り入れ、自分に足りない字の流れや作品全体の躍動感を意識しながら完成させていった。だが、この詩を選んだ時点で作品はほぼ完成していたのだろう。迷いなく書き進めることができた。

 大学入学後に始めた書だったが、結婚後、山形書道連盟会長も務めた義父、渡辺誠泉から、枠にはめず、自由に書く近代詩文書を学んだ。いつしか自身の書の姿勢が「書を通して自分の思いや世の中に訴えたい」になっていた。

 まさに、それを表現できるのが真壁の詩だった。だからこそ、一字も漏らすことなく、詩全文を作品化した。この詩に自分の思いが重なっているようにも思えたからだ。

 受賞を素直に喜ぶ一方で改めて書に対する自身の思いを再確認した。

 「書という手段で自分の思いを表現していきたい」

 この書に込める思いは今後も変わらない。(柏崎幸三)