タンザニア最大都市ダルエスサラームの路上でさかんに行われる家具作り(撮影:高橋基樹、2006年)

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 鉱物資源が豊富で、未開拓の広大な大地に熱い視線が注がれては、夢は裏切られる。数年に一度やってくるアフリカ投資ブームは、常に一時的なものにすぎず、持続可能な発展を遂げられずにいます。

 しかし、その状況下、ある分野においては一筋の明るい光も垣間見ることができます。アフリカがアフリカらしく経済発展を遂げるために、他国が注目べきアフリカの底力とはどのようなものなのでしょうか? 京都大学大学院および神戸大学大学院教授 高橋基樹さんが解説します。

 前回の第4回では、アフリカ諸国が全体としては「負の脱工業化」という現象に苦しんでおり、その原因として1980年代に始められた大規模企業への保護や補助の削減・撤廃、また、中国など新興国からの安価な工業製品との競争による圧迫があることを指摘した。そのうえで、こうした工業全体、中でも大企業の不振の陰で、インフォーマル事業者にはやや異なる動きがあることに触れておいた。

 この回と次回では、そうしたアフリカのインフォーマル事業者の小規模・零細製造業(ものづくり)を中心とした経済活動について話を進めていくことにしよう。その話を始めるにあたって、不振に陥ったアフリカ経済にまつわる私自身の「思い出」について述べてみたい。

ケニア再訪―ついえた開発の夢の向こうに見つけた生への活力

 このコラムの第1回で、私がまだ学生であった1980年にケニアを訪れ、そこに輝く未来に向かって歩んでいく国の若々しさを見たことを記した。11年後の1991年、開発援助調査の世界で職を得た私は、再びケニアに赴いた。その時の私の目に映ったこの国の姿は、1980年の印象とは大きく異なっていた。

 首都ナイロビの近代的ビル群は汚れでくすみ、調査のために訪ねた官庁のいくつかでは、私的な陳情に来たらしい客が所在なさげに高官との面会を待つかたわらで、手もち無沙汰で新聞を読みふけるしかない様子の職員を何人も見かけた。日本人の援助関係者の間ではケニア人政治家や高官の汚職の蔓延がささやかれていた。

 すでに触れたように1980年代に入り、アフリカの経済は全体として停滞に陥り、政府の財政難や行政の機能不全が深刻化した。そうした状況をよそに政治は多くの国で強権化し、汚職と蓄財に励む為政者や高級官僚の腐敗ぶりが指摘されるようになっていた。ケニアもその例外ではなかったのである。

 1980年にも訪れたことのある国立公園を息抜きの時間に訪れると、観光施設にはひび割れや塗装のはがれなどの老朽化が目につき、11年ぶりにケニアの自然に触れたうれしさも半減してしまった。ケニア経済の不振が、主力の観光を含む民間企業にも及んでいることが私の心を刺した。私が1980年にケニアとアフリカに見た開発の夢は、はかなくついえてしまったように感じられた。

 その後、現在まで数年おきにケニアを訪れているが、2000年代の始めまでの間、訪ねる度にナイロビの印象は「悪く」なっていった。市街を歩く人の数、なかでも職にあぶれたと思われる人びとはどんどん増え、混雑が激しくなり、路上に散乱するごみは訪ねる度に増えるように見えた。人びとはせわしくなく行き交い、中には白昼から酔って目を血走らせ、何かへの怒りと呪いの言葉を吐いているような男もいる。治安の悪化が指摘され、宿泊先から外出する度に、犯罪にあうリスクを思い浮かべて緊張を強いられるようになった。

 こうしたことの背景には、ケニアの複数政党制への移行に伴い、農村部で展開していた政治的紛争や、構造調整による政府公共部門の人員合理化があるのだが、それらのことにはまた後日触れることにしよう。

 印象の「悪化」の一方で、私は別のことを強く感じるようになっていった。それは街にあふれる人びとの生きることへ向けられた活力のすさまじさである。路上でものを売り、あるいは、もの乞いをする人びとの必死さを見ているうちに、せわしなく動く人びとの相貌、彼らがつくり出す雑踏、ごみの散乱、犯罪の増加もある意味ではそうした活力の発露であるように感じられ始めた。政府公共部門やフォーマル部門の状況にはたしかに悲観的にならざるを得ないが、それだけでアフリカを語るのは、片面しか見ていないのではないかと思うようになったのである。

インフォーマル部門の広がり、たくましさ、その強み

 そう感じ始めたころ、「インフォーマル部門」をめぐる専門家・研究者の議論に触れる機会を得た。インフォーマル部門とは、一言で言えば、政府・自治体が捕捉していない事業者からなる経済部門のことで、典型的には、都市の路上やスラムなど政府・自治体の手の届かないところで展開する事業ないしその担い手のことを指す。

 「政府の手が届かない」とは具体的には、許認可、課税、規制、行政指導、あるいは補助や保護が及ばないことを意味している。アフリカを訪れたことのない読者の多くは、政府の手が届かないインフォーマル部門というと、社会の裏側の闇の部分といったイメージをいだくかもしれない。

 しかし、実際にアフリカの都会を訪れると、街路上や露天でインフォーマルなもの売りやものづくりにいそしむ多数の人びとを簡単に目にすることができるし、その数の多さや、彼らが時折見せる表情の明るさに驚くだろう。そして、政府の政策措置が届いていないという意味では、都市だけではなく人口の半分を占める農村の小規模農民の多くの経済活動も同じで、それもインフォーマル部門に含めることができるだろう。インフォーマル部門はその性質上数を確かめることが難しいが、アフリカ諸国の人口の半分以上が、インフォーマルな経済活動の担い手となっていると言っても恐らく言い過ぎではない。

 第2回で、アフリカの政府は植民地時代にもともと社会に対する異物として作られたと述べたが、その政府は植民地時代から、都市と農村の両方のインフォーマル部門を何とか捕捉・統制しようと試みてきた。とりわけ、都市の路上やスラムでの人びとの活動は、秩序、衛生、美観を損ね、開発の妨げにもなり、政府の権威をないがしろにするものとして敵視されてきた。そうした見方は現在でも政府関係者の間で多かれ少なかれ続いている。

 ただ、1960年代に多くのアフリカの国が独立すると、インフォーマル部門への見方に変化が生じ始める。その変化を象徴するのが、1972年の国際労働機関(ILO)の「ケニア・レポート」である。これは、ILOがケニアに派遣した調査団の報告に基づくレポートで、「インフォーマル部門」という言葉は、このレポートから生まれたとされる。ケニア・レポートでは、都市インフォーマル部門に属する小規模・零細な事業者たちの活動は効率的・競争的でダイナミックであり、貧しい人びとの雇用・所得機会の創出などで社会経済に貢献するとされている。

 つまり、これらの事業者は、政府の保護や規制がないので、自力で同業他社(者)としのぎを削らなければならず、自己資本がわずかなため極力事業費用を抑えようとし、無駄な投資をせず、小回りを利かせて柔軟に起業と廃業を繰り返すのである。そうした事業が、特に都市の貧困層が生計を立てる上で重要な収入源になっている、ということである。このILOのレポートは、インフォーマル部門及びその肯定的側面を「発見」したものとして、広く世界中の開発研究者や援助機関実務者に影響を与えた。

 ただ、ILO調査団による「発見」という物語は近年になってILO自身により見直されている。むしろ、ケニア・レポートは欧米人の専門家に対してケニア人の研究者らが、インフォーマル部門がケニアの普通の人びとの生活にとってどれだけ重要なものであるかを説いた結果としてできあがったものなのである。つまり、外部の人間が新しい「発見」と思っていたインフォーマル部門は、アフリカ人の多くにとっては日常の状況であり、ILO調査団はそれを教えられてレポートをまとめたと言った方が正確である。

 もともと政府が異物として持ち込まれたアフリカでは、それに捕捉されていないインフォーマルさこそが、自然な姿だったと言ってよいだろう。普通の人びとが自らの考えに従って経済活動を繰り広げた場合、それが、異物である政府の規制に従わなくとも無理はないし、課税を避けようとするのは当然だっただろう。そして、補助や保護を受けるためにフォーマル化をすることが大きなコストを伴うのであれば、それも回避されることになる。インフォーマル部門の広がりやたくましさの背景にはこうした「自然さ」があると言ってよいだろう。

インフォーマル部門の可能性と問題点を考える

 このように見ると、アフリカの経済や社会の実態は、フォーマル部門だけを見ていては分からないものだということになる。もちろん、依然として政府から一定の補助や保護を受ける企業群、資源産業やサービス業が含まれ、あるいは貿易や外国からの投資が関わるフォーマル部門の経済規模は大きなものであり、マクロ経済の動きを見る際にはこれらの産業は当然重視されなければならない。しかし、大衆の一人ひとりが関わる経済活動を考える上では、農業・農村も含めたインフォーマル部門の存在を無視することはできないのである。

 そのように考えて、私の関心は次第にアフリカ経済全体やフォーマル部門から、インフォーマル部門へと広がっていった。そこで、21世紀に入ってからは、教育業務や他の研究のかたわら、つとめて都市の路上や店、農村のものづくりを観察したり、実際にそこで働く人びとに話を聞き、簡単な調査なども行なったりしてきた。

 以下では次回にかけて、私自身の見聞や調査に他の人々から教えられたことも加えて、アフリカのインフォーマル部門、とくにそのものづくりの具体的なあり方について、見ていきたいと思う。何故「ものづくり」に注目するかというと、アフリカの「負の脱工業化」、そしてその背後にある中間的な規模の製造業企業の不在を意味する「欠如した中間」状況(あるいは大企業と小規模零細企業との二重構造)を乗り越える可能性を、インフォーマル部門の小規模・零細なものづくり事業者がそなえているのかどうかを探っていこうと思うからである。言い換えれば、そうしたものづくり事業者がアフリカの将来の工業化の担い手になっていけるかどうかを探っていきたいと考える。

 ここで、気を付けなければいけないのは、インフォーマル部門の負の側面であろう。上で述べたように、ILOのケニア・レポートを始めとして多くの意見が、インフォーマル部門の小規模零細事業者についての肯定的な点を指摘している。しかし、インフォーマルであり、小規模・零細であることは、端的に言ってたくさんの問題を伴っている。インフォーマルであるということは、社会に必要な政府の規制(環境、衛生、労働など)に従っていないということであるし、納税をしていないということでもある。それは決して健全な開発の面からは評価されるべきことでない。小回りが利いて起業や廃業を繰り返していることは、事業自体が不安定で、持続的でないことを意味し、長期的な産業の発展・拡大には貢献できない。

 アフリカのインフォーマル事業者のものづくりは、それが人びとの生活ニーズに密接にかかわっているがゆえに、レンガ、建材として使う金属器具(門扉や鉄格子など)、木工家具、縫製(洋裁)、織物、石材、土産物などの手工芸品、各種の建築事業(大工、左官)など極めて多岐にわたる。次回では、洋裁、家具、建築事業と若干のその他の事例を取り上げて、小規模・零細のものづくり事業者がどのようにインフォーマルであることによる困難と向き合い、乗り越えているのかを具体的に見ていきたいと思う。

(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 兼 神戸大学大学院国際協力研究科 教授 高橋基樹)
専門は、アフリカ地域研究、開発経済学。主な著書に『開発と国家―アフリカ政治経済論序説―』(勁草書房)、『現代アフリカ経済論』(共編著、ミネルヴァ書房)など