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●新たな読書への取組み

ヤフーと新潮社、タクラム・デザイン・エンジニアリング(Takram)は共同で、三島由紀夫賞作家である上田岳弘氏の新作長編「キュー」を、雑誌とウェブで同時連載するプロジェクトをスタートした。「新しい読書体験」の創出を掲げて純文学の新たな境地を模索するプロジェクトだが、果たして「新しい読書体験」は根付くのだろうか。

○ブラウザで読む純文学の姿とは

「キュー」は、もともと上田氏がデビュー前から構想を練っていた長編で、心療内科医が人類の進化を巡る闘争に巻き込まれていくというストーリー。AIの進化などでシンギュラリティを目前とする現在において、人類の進化の意味を根底から問うものになるという。

「キュー」は約600枚(240000字)の長編になる予定で、これを9カ月かけて文芸誌「新潮」に連載する。同時に、「新潮」連載分を分割して、Yahoo! JAPANのスマートフォン版において、毎週火曜日・木曜日の2回更新で、約8パートに分けて掲載する。連載終了後、紙の書籍も発売されるが、Yahoo! JAPANでの連載分はそのまま無料で公開される予定だ(公開終了時期は未定)。ウェブ版のUI/UXのデザインはTakramが担当している。

Yahoo! JAPAN上の連載では、ウェブブラウザー上で縦書きの文字組を再現しつつ、片手で操作しやすい縦スクロールのページ移動、ユーザー操作によって毎回変わる「ジェネレーティブアート」による「動く挿絵」など、従来の紙の誌面では実現できなかった、スマートフォンならではのデザイン性や操作性、読み味を実現しているという。一章を8つ程度にわけて、一度に読める分量を少なめにしているのも、最近の若い読者向けの配慮としては正しいだろう。

一般に、電子書籍は専用のアプリを使って読むものが多い。その方がレイアウトなどに自由度が高まるほか、フォントや文字サイズを変更できるなど、柔軟性が高いためだ。実際、「キュー」では現状、文字サイズが変更できないため、発表会での質疑応答では読みづらいという指摘があった。それではなぜ「キュー」ではブラウザを採用したか。

●新たな読者は開拓できるか

○ブラウザを採用した理由

その答えは、ひとえに利便性の高さ、リーチのしやすさを目指した結果だという。あるコンテンツを見るためにアプリをインストールするというのは、一般ユーザーにとってモチベーションを下げる大きな要因になるため、ブラウザでそのまま読めることを重視した結果、このような仕様になったわけだ。フォントサイズ変更など不足している機能については、今後改良される可能性もある。

また、雑誌掲載分と同じ内容が無料で公開されるため、むしろ紙離れを招くことになるのではないか、という懸念もある。こうした懸念に対してはどのように考えているのか。「新潮」の矢野優編集長は、「一見すると紙離れのリスクがある。二見すると、リスクを乗り越えた可能性があると思っている」と語った。

また、「雑誌の『新潮』に触れていない人が、『新潮』読者のだいたい10000倍くらいいる。ヤフーさんに配信することで、ものすごい数の人に届けられる」。偶然でも広告クリックでも構わないので、雑誌を手に取ったことのない人たちをターゲットにできるメリットのほうが魅力だという。つまり、これまで届けられなかった読者に作品を届けられることで、新たな読者の開拓、新しい商機の発見につながるチャンスに賭けたというわけだ。

○果たして新しい読者を開拓できるのか

紙離れ、活字離れが叫ばれて久しい出版業界、特に純文学界隈にとって、新たな読者層の開拓というのは確かに大きな課題だ。これまでのように単行本が何十万部と売れない以上、作品を新たなかたちで発表・配信していく必要性も高い。そんな中で、日本最大のポータルサイトと、今やPCをはるかに超える数が普及しているスマートフォンという組みあわせを選んだ意義は大きい。量が質に転じる、というわけではないが、やはり母数となる集団が格段に大きな数を持っているというのは大きい。

それでは今回のプロジェクトは、期待通りの結果が得られるのだろうか。実はこのプロジェクトの発表において、数値的な目標は一切発表されていない。正直なところ、未知数すぎて誰も見当がつかない、というのが実情だろう。このため「期待」がどの程度の成功を目安にするべきなのかも難しいところなのだが、筆者としては「面白い試みだが、なかなか難しい」というのが正直な感想だ。

●ヤフーという強力なパートナー

これまで、インターネットの普及以前、商用パソコン通信の時代から、ネットワークを通じて配信される小説、という試みは何度か行われている。読者からのフィードバックでストーリー展開が変わるなどのギミックも採用されたことがある。また、ブラウザを使った読書体験ということであれば、ケータイ小説や青空文庫、または最近流行している、アマチュアからの投稿サイトなども数えられる。今回は本格的純文学の長期連載という点が新しいのだが、要するに、仕掛けとしてはさほど新味はない。

これまでにない要素としては、Yahoo! JAPANという強力なポータルが絡むことだ。前述したように、これまでにない数の読者がコンテンツにリーチしてくれること自体がひとつの目標となり得るからだ。しかし、Yahoo! JAPANのウェブサイトは、ブラウザーでアクセスするとしばしば専用アプリの利用をお勧めしてくる仕様になっており、サイトとしての方針とプロジェクトの目論見が相反しているのではないかと気にかかる。そもそもの話として、トップページからリンクが貼られていないのも気にかかる。

とはいえ、今回のプロジェクトが一度で終わらず、プラットフォーム化されてさまざまな作家のチャレンジとして利用されるようになることは、大いに期待したいところだ。どんなに優れた作品でも、手に取ってもらわなければ真価を発揮できない。音楽などでも、YouTubeなどを使って無料配信していても、気に入ればCDなどの形で手に入れたがる人がいるのと同様に、小説であっても、本編が無料公開されていても、単行本や文庫を買ってくれる人は必ず一定の割合いるはずなのだ。

「新しい読書体験」という標語が強いが、どちらかといえば本質は「新しい出版メソッドの模索」といったほうが正しいように思われる本プロジェクト、すでに誰もがアクセスできる形でスタートしている。ぜひ一度体験して、今後の出版業界や文学界が目指すべき方向性のあり方について思いを馳せていただきたい。出版に限らず、コンテンツビジネス全体が今後向かうべき方向性が見えてくるはずだ。