永山則夫とは誰か?

写真拡大

2017年からさかのぼること20年前、1997年に一人の死刑囚の刑が執行されました。永山則夫、48歳でした。

4人の殺人

永山則夫は、北海道の網走市に生まれ、幼い頃に、母親に捨てられ小さい兄弟だけで一冬を過ごします。その後、青森県で中学卒業までを過ごし、集団就職で上京します。職業を点々とする中で、新宿のジャズ喫茶に勤務し、その店は若き日のビートたけしが働いていたことでも知られます。永山は、横須賀の米軍住宅にしのびこみ拳銃を手に入れ、それをもとに4名の殺人事件を起こします。逮捕後、拘置所の中で文字を覚え、自分の犯罪は貧困から起こったとして数多くの文章、小説を出版します。その一番始まりにあったものが『無知の涙』でした。現在は河出文庫から刊行されています。ノートの余白を埋め尽くすように漢字の練習がなされており、勤勉ぶりがうかがえます。

何を訴えるのか

永山は裁判を経る中で、一時的に死刑から無期懲役へ減刑されます。当時の裁判長は、永山の劣悪な生育環境を考慮し、さらに獄中結婚をしたことも判決に影響したといわれています。しかし、その後1990年に死刑が確定し、1997年に執行されます。永山事件は、高度経済成長期の中でおこったものであり、彼の言葉からは時代のにおいも感じさせます。今、あらためて読み返してみる意義はあるでしょう。