北海道に生息するエゾシカ(「Wikipedia」より)

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 政府が「ジビエ(野生鳥獣肉)」を普及させるために躍起になっている。今年5月には、来年度に全国で12のモデル地区を指定し、狩猟者の育成や流通体制の確立を目指すなど、利用拡大の方針を決定した。最終的には、2019年度にジビエの消費量を倍増させる考えだという。

 その一方、ジビエを取り巻く現状はかなり“お寒い”と言わざるを得ない。消費者からすると、ジビエが毎日の食材選びや外食の選択肢として根付いている雰囲気は、実感としてゼロに等しい。

 政府が旗振り役を務めているにもかかわらず、なぜジビエの普及が進まないのか。その背景には、ジビエ産業の構造的な問題がある。

●ジビエ振興、裏に鹿やイノシシの深刻な害獣被害

 ジビエとは、狩猟で得た天然の野生鳥獣の食肉を意味するフランス語だ。日本ジビエ振興協会のホームページでは、捕獲数の多い鹿やイノシシをはじめ、野うさぎや真鴨など、狩猟対象となる野生鳥獣はすべてジビエに定義されている。

「ジビエ振興の背景には、野生鳥獣による農作物被害が大きく関係しています。増え続ける鹿やイノシシは森林や田畑を荒らし、樹皮や植物を食べ尽くす。その被害総額は年間約200億円といわれるほど、深刻化しています。このような害獣被害を狩猟によって抑制すると共に食肉にすることで無駄にせず活用するというのが、ジビエ振興の名目です」

 そう語るのは、ジビエ問題に詳しい日本オオカミ協会会長で東京農工大学名誉教授の丸山直樹氏だ。

「被害の多くは、鹿、猿、イノシシによるものです。その現状は想像以上にひどく、農業者の方々の間では『一生懸命やっても荒らされるなら、つくる意味がない』と農作放棄が起こっているほど。また、野生鳥獣が道路に侵入してくることにより、北海道だけで年間2000件前後の交通事故も発生しています」(丸山氏)

 交通事故は自動車との衝突だけではなく、鹿やイノシシが列車と衝突して電車が破壊されたりダイヤが狂ったりするケースもあり、その被害額は年々増加している。こうした被害を減らすために、政府はジビエを普及させようとしているわけだ。

 では、なぜ肝心の普及は進まないのか。その理由のひとつが、ジビエ肉に潜む「寄生虫」というリスクだ。

●厚労省が注意喚起、ジビエの生食で死亡例も

 岐阜大学が13年から15年にかけて岐阜県の長良川と揖斐川水系で捕獲された野生の鹿とイノシシを調査したところ、高い割合で人に感染する寄生虫が検出された。

 鹿の場合、人間の体内に取り込むと食中毒症状を起こす恐れがある住肉胞子虫が、食用部位である背ロースとモモからそれぞれ90%(60頭中54頭)、88%(59頭中52頭)の割合で検出。イノシシも、それぞれ46%(26頭中12頭)、43%(21頭中9頭)となっている。また、鹿の肝臓からは、人間に感染すると肝炎や胆管炎を引き起こす槍形吸虫も検出されたという。

 そのため、厚生労働省もホームページで以下のように注意喚起している。

「生または加熱不十分な野生のシカ肉やイノシシ肉を食べると、E型肝炎ウイルス、腸管出血性大腸菌または寄生虫による食中毒のリスクがあります。ジビエは中心部まで火が通るようしっかり加熱して食べましょう。また、接触した器具の消毒など、取扱いには十分に注意してください」

 もちろん、上記の注意喚起でもわかるように、危険なのはあくまで「ジビエの生食」であり、十分に加熱して食べる分には問題はない。ところが、こうした知識や衛生管理がジビエを提供する側に徹底されているかといえば、決してそうとはいえない現状もある。

 昨年9月27日には、情報番組『あさイチ』(NHK)が沖縄県西表島の郷土料理として「イノシシの刺身」を紹介したところ、視聴者から批判が殺到、炎上する騒動が起きた。

 厚労省が14年11月に発表した「野生鳥獣肉の衛生管理に関する指針(ガイドライン)」には、「生食用として食肉の提供は決して行わないこと」と明記されている。過去には、ジビエの生肉を食した男性がE型肝炎ウイルスに感染し、死亡したケースもある。ジビエの危険性については、まだまだ周知されていないのが実情だ。

●ハンターが高齢化、若手不足で狩猟量が激減か

 もうひとつの問題は、野生鳥獣を捕獲する狩猟者=ハンターたちが年々減少しているという点だ。

 環境省によれば、13年時点で北海道を除く本州以南に305万頭(中央値)の鹿が生息しているという。その繁殖力は非常に高く、現状のまま増え続けると23年には453万頭に達すると考えられている。これを半減させるためには、計算上は現状の倍以上のペースで捕獲を進めなければならない。

 しかし、丸山氏によると「現在のハンターの数は18万人程度で、もっとも多かった時期に比べて4分の1にまで減少している」という。

「加えて、ハンターたちの高齢化という問題もあります。ハンターの平均年齢は68歳で、もはや40代以下のハンターはほとんどいないのが現状。現在活動しているハンターは近い将来に引退するため、狩猟量はガクッと減少します。そのとき、はたしてジビエの安定供給が望めるのか? 私は疑問ですね」(同)

 狩猟免許所持者数の推移を見ると、1975年には全国に50万人以上いたハンターが2013年には20万人を切り、その多くが60歳以上だ。20〜40代のハンターはほとんど育っていない。いくら政府が「ジビエの消費量を倍増させる」と息巻いても、捕獲する人がいなければ実現は厳しい。

 しかも、ハンターが減少して市場に十分に供給できないため、今やジビエは高級品となっている。スーパーマーケットなどでは、鹿肉が100g当たり300〜400円前後で販売されている。ただでさえ「食のリスク」がある上に高額な食材を買い求める人は少ないだろう。

「現在の状況を表すと、まさに『二兎を追う者は一兎をも得ず』。ジビエ普及の当初の目的は、鹿やイノシシを獲って数を減らすことでした。ところが、その鳥獣肉を有効活用すべくジビエを地域振興に利用しようとして、今やそちらにばかり気を取られている。

 今のままでは、いつになっても害獣は減りません。結果的に、害獣を減らすこともジビエの需要供給を増やすことも、どちらも中途半端な状況に陥ってしまっている。それが現在のジビエの実態、というのが率直な印象です」(同)

 ジビエ食の安全性に関する衛生管理の統一ルール、将来を担うハンターの育成や処理施設の確保……ジビエ普及には、さまざまな問題が山積している。

 また、国を挙げてジビエに投資しているものの、補助金で移動式の解体処理車「ジビエカー」を開発するなど、予算の使い道には見当違いと言わざるを得ないケースも見受けられる。

 ジビエが一般家庭に普及する日は、本当に来るのだろうか。
(文=藤野ゆり/清談社)