『ジョジョ論』(杉田俊介/作品社)

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 1987年の連載開始から30年間にわたって絶大な支持を得ているコミック『ジョジョの奇妙な冒険』。今年は山崎賢人(※正しくは「たちさき」)主演の実写映画も公開されるなど、いまだ人気が衰える気配はない。現在も『ウルトラジャンプ』誌上で第八部となる『ジョジョリオン』が好評連載中だ。圧倒的な作画力、重厚なストーリーと「スタンド」使いたちの知力戦など見所満載の『ジョジョ』の世界だが、中でも最大の魅力はキャラクターにあるのではないだろうか。

 音楽、社会学などの分野で鋭い批評を発表してきた著者による『ジョジョ論』(杉田俊介/作品社)は、『ジョジョ』のキャラクターたちを掘り下げていく一冊である。

 著者はNPO法人に携わり、障害者ヘルパーなどの職歴を持っている。「障害」と向き合う著者自身もまた、社会人として求められる事務処理能力に欠陥を抱えているという。そんな著者にとって、己の能力を駆使して敵と戦い、欲望を実現させようとする『ジョジョ』の登場人物たちは特別な存在に映った。

 中でも、主人公たち以上に読者の印象に刻まれたのは、強烈な個性を持つ悪役たちではないだろうか。第一部から登場し、シリーズ全作を通して大きな影響力を放つディオ・ブランドーは人間から転生した吸血鬼である。彼の目的は「人間を超えること」であり、罪もない人々の命を奪って力を蓄えていく。

 第四部での最強の敵、吉良吉影は女性の「手」に執着する連続猟奇殺人犯だ。しかし、本人はあくまでも平和で静かな暮らしを望んでいる。おぞましい犯罪に手を染めつつも、日常生活ではそんな素振りをおくびにも出さない。

 こうした悪役たちの悪行に、読者は嫌悪感を覚えつつも強い魅力を感じずにはいられない。本書はディオや吉良について「欲望の平等性」を説く。世間一般で許されない欲望を背負ったとしても、それを肯定しつくせるディオや吉良は美しい。彼らには欲望に対する葛藤がありつつも、勇気をもって良識を乗り越えた存在だからだ(一方で、第四部に登場するアンジェロのような、葛藤のかけらもない自己中心的な悪党を著者は肯定しない)。著者の言葉を引用するとこうなる。

私たちは、あらゆる他人の欲望には、この自分の欲望と完璧に同じだけの価値がある、そのことを心から信じられるだろうか。

 邪悪で醜い欲望すらも、生きている限りは誰もが「平等に」肯定する権利がある。むしろ、ディオや吉良の抱いた欲望は「邪悪」であるからこそ、読者に欲望が生み出す生命力を知らしめてくれるのだ。

 一方で、第六部の強敵・プッチ神父の欲望については、作中ではっきり「真の悪」と呼ばれ、例外的に登場人物の誰からも全く肯定されていない。プッチの欲望は「全ての人間が自分の運命を知り、覚悟を持って生きる世界を創造する」ことだった。しかし、この論理では人生の「可能性」を閉ざし、確定事実だけに動かされて人々は生きていくのだろう。数多くの哲学者の文章を引用しながら、著者はプッチの思想の見落としを看破する。プッチは最後、見くびっていた少年と死者の能力によって倒される。自らが世界から捨て去ろうとしていた弱者の「可能性」によって葬られるのである。

 「人間賛歌」という『ジョジョ』のテーマは、ともすれば自己啓発のようにも読めるし、事実、『ジョジョ』を参照した自己啓発本も発表されている。しかし、「欠点を克服して成功を掴み取る」という自己啓発の教えと「欠点も人間を強くする一部である」というジョジョの教えは全く別物だと著者は説く。気弱で大人しい少年だった広瀬康一少年(第四部)が家族のためには勇気を振り絞り、スタンド能力を進化させたように。人間の欠点が悪しきもののように扱われてしまう現代社会だからこそ、『ジョジョ』に込められた「人間賛歌」を正しく読み取る必要性が高まっている。

文=石塚就一