ドイツ・ドレスデンの高齢者介護施設「アレクサ」内にある1960年代を再現した「メモリールーム」で、旧東独時代のケーキを作る入所者ら(2017年6月14日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News

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【AFP=時事】ドイツ東部ドレスデン(Dresden)の高齢者介護施設に入所しているマルギット・ヒキシュ(Margit Hikisch)さん(88)は、旧東ドイツの共産主義指導者として強硬路線を貫いたエーリッヒ・ホーネッカー(Erich Honecker)はもちろん、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)さえ鮮明に記憶している。だがアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)が誰かについては、どうしても確信が持てない。

 民間介護施設「アレクサ(Alexa)」では認知症治療の一環として、ドイツ史の断片を再現するという斬新な取り組みを行っている。

 1960〜70年代の旧東独時代を模した内装の「メモリールーム」を設置し、当時の食事を提供し、当時の音楽をかけている。古い記憶を呼び起す手助けをし、ひいてはその記憶と共に自己意識を取り戻してもらうことが狙いだ。

 ヒキシュさんはドレスデンで戦争の荒廃を生き延び、共産主義体制下の旧東独で自ら「人生最良の日々」と呼ぶ時代を銀行員として過ごした。「ヒトラーは狂人で、私たちは戦時中もその後も苦しい思いをした。でも東独では少しずつ状況が良くなって、また十分に食べられるようになった」と語るヒキシュさん。他の同年代の人々と同じように、ヒキシュさんも今現在の出来事より何十年も前の記憶の方がしっかりしている。

 ヒキシュさんは他の入所者8人と共に長テーブルを囲んで座り、戦後期によく食べたというチョコレートビスケットケーキを作りながら、施設が特別に作ってくれた「タイムマシーン」であるこの部屋にやって来るのは楽しいと話した。

 40年に及んだドイツ分断を振り返り、「私たちは(共産主義下で)手に入るものにいつも満足していた。分断されていたせいで、自分たちが持ち得なかったものが何かを知らなかったからかもしれないけれど」と語った。

■「劇的な効果」

 昨年1月に開設したこのメモリールームは、平日の朝食から夕食までの間に開放している。かつて東独で、西側のメーカーのコーヒーやチョコレートなどの高級品を扱っていた「インターショップ(Intershop)」という店の看板の小さなレプリカの前に、歩行器や車いすが並ぶ。

 東独では至る所に見られたホーネッカーの写真や、ひげを蓄えたカール・マルクス(Karl Marx)の肖像が描かれた東独マルクの模造紙幣が入っている箱が置かれている。レコードプレーヤーから流れる明るい懐メロを、皆でそろって口ずさむ。

 昔懐かしい品々に浸ることで、入所者たちの気分や動作能力を上向かせる「劇的な効果」がみられると、ギュンター・ボルフラム(Gunter Wolfram)所長(48)は言う。「ある時代の品々が非常に強い感情を呼び起こす。そういう感情が治療の鍵になり得るという意味で、われわれは強い関心を寄せている」

 ボルフラム所長によると、「無気力だった人が突然、自分でロールパンにバターを塗れるようになったり、飲食量が増えたり、自分でトイレに行くようになったり、前よりもフレンドリーで周りに関心を持つようになったりする」という。

 東独時代の古い品物はこれまで、インターネット競売大手イーベイ(eBay)やフリーマーケットで探していたが、取り組みが知られるようになった最近では、寄贈品も届いている。

■取り戻したいのは「日々の生活の喜び」

 独西部ハイデルベルク大学(Heidelberg University)老年学研究所のアンドレアス・クルーズ(Andreas Kruse)所長は、アレクサのプロジェクトには関わっていないものの、同施設のアプローチは認知症やアルツハイマー病の患者と音に関する研究に基づいたものだとみている。

 一方で、ナチス・ドイツ(Nazi)によるユダヤ人虐殺を生き延びた人々や旧ソ連の反体制派など、抑圧的な国家に暮らしていた高齢者のケアを専門にしてきたクルーズ氏は、患者を過去に引き戻すことにより、埋もれていた心の傷が再来する危険もあると危惧する。「認知症のある人たちは非常に傷つきやすく、よみがえってきた記憶から自分を守るすべを持たないことが多い」

 ボルフラム所長も東独出身だが、共産主義体制に対する幻想を抱いているわけではないと強調する。「ここで復活させようとしているのは、ポジティブな連想につながる品々が象徴する、患者さんたちの人生のある時期の感覚。物がなかった時代にあった、社会的一体性もそのうちの一つだ」

 またボルフラム氏には、高齢者介護施設と聞けば大半の人々が思い浮かべる暗いイメージを覆したいという思いもある。「皆いまだに、おむつをした入所者が長い廊下を歩き、毎日3回おかゆを食べていると思っている。われわれはお年寄りを退屈させたくない。日々の生活の中に喜びを取り戻したい」
【翻訳編集】AFPBB News