先月31日、W杯アジア最終予選のオーストラリア戦で貴重な先制ゴールを挙げた日本代表・浅野拓磨。6大会連続となるW杯出場を決めた立役者・浅野について、9日放送、TBS「バース・デイ」では「浅野拓磨 22歳 7人兄弟 大家族と歩んだサッカー人生」と題し、これまで密着取材を行ってきた様子を伝えた。

三重県菰野町出身の浅野は、7人兄弟の3男で上6人は男の子。長距離トラックの運転手を務めている父と、専業主婦の母に育てられ、幼少より全員がサッカーに打ち込んできた。それは、浅野自身も「兄貴を追い越す競争であったり、逆に弟には絶対負けない競争であったり。『俺の方が先にプロになる』っていう言い合いは毎日のようにしていた」と語るほど、家族の存在が浅野のサッカー人生を語る上で欠かせない。

だが、男兄弟全員がサッカークラブに所属していた浅野家は、用具費や遠征費といった経済的負担も大きく、浅野もまた「6人がサッカーしてたので誰かが行けば誰かが休む。それでサッカーの遠征行けなくて泣いてたことはあります。うち大変やなっていうのは感じていました」と振り返る。

負担のピークは、浅野が中学2年生の時だという。6男も小学生に入り、男兄弟全員が学生に。家計を支えるべく母もパートや内職をしていた。すると、その約1年後、浅野のもとにはサッカーの名門・四日市中央工業高校から入学の誘いが届いた。

全国的にも強豪校として知られる同校だが、遠征費などの負担も大きく、2人の兄も強豪校には進学していなかった。「四中工に行くっていう決断がどれだけ大変なことなのかっていうのは中学生の頃からずっとわかってましたし、最初は四中工なんて絶対行けないっていうのは言ってたので、両親とも」。同番組のカメラに当時の心境をこう語った浅野だったが、サッカー部顧問の説得もあり、最終的には入学を決めた。

それだけ、家族に対する感謝の念が人一倍強い浅野は「僕もずっとプロサッカー選手になりたいって思ってたので、3年間は両親に迷惑をかけるかもしれないけど、その3年間は我慢してもらって。あとは3年後に自分で返していったらいいんじゃないか。(プロに)なりたいっていう気持ちから絶対にならなくちゃいけないっていう気持ちに変わった」と言葉を続けた。

ゴールを決めたオーストラリア戦の翌日も「祝福の連絡とかはすごい。130件弱くらい」と言いながら、番組のカメラには、家族で作ったLINEグループを見せた浅野。父や兄弟達の喜ぶコメントを見て、「喜んでくれるのが一番ですから。次はワールドカップで点を決めれるように。それが最高の恩返しになると思います」と意気込んだ。