夢の9秒台をマークした桐生。サッカーを続けていれば、ノイアーばりの守備範囲の広さを誇るGKだった? (C)Getty Images

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 9月9日、短距離陸上界の悲願を成就した桐生祥秀(東洋大学4年)。日本学生対抗選手権の100メートル決勝で9秒98を叩き出し、感涙に浸った。

 もともとはサッカー少年だった桐生。はたしてどんな持ち味の選手で、どんな評価を得ていたのか。そして、陸上へと舵を切る決断はいつ下されたのか──。

 昨年のリオ五輪開幕前、「サッカーダイジェストWeb」で掲載されて好評を博した名ストーリーだ。

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 少年時代から足に関わるエピソードを欠かない選手だった。
 
 リオ五輪の陸上競技・男子100メートルに出場する桐生祥秀(東洋大学)は、彦根南中の陸上部に入ってから素質を開花させたが、じつは小学生時代にはサッカーに打ち込んでいた。どんな選手だったのか。また、「サッカーをする桐生」を知る人たちは、現在の活躍をどのように見ているのだろうか。
 
 桐生が小学生時代に所属していたのは、プライマリーSCという街クラブだ。琵琶湖の東側にあたる滋賀県彦根市、荒神山公園にあるグラウンドでチームは現在も活動を続けている。桐生は小学校の低学年でサッカーを始め、サイドハーフやサイドバックで走力を生かしていた。やはり、足は速かった。
 
 現在、プライマリーで6年生を担当している寺村勇一コーチが当時の記憶を引き出した。
「うちは、ドリブルを主体に教えているチームなんだけど、桐生は細かい技術の部分は得意じゃなかった。今で言うと、永井謙佑選手(名古屋)とか浅野拓磨選手(アーセナル)みたいな直線的なドリブルでしたね。あのスピードだから、フェイントは要らなかったですね。加速するだけで置き去りにできましたから」
 
 常に前方のスペースがあるサイドバックで攻撃参加を得意としていた上、守備面においても、相手に抜かれてもすぐに追いつける、独特の強みを持っていたという。
 
 しかし、桐生は、小学4年生の時に新たなポジションにコンバートされた。快足と言えば攻撃の武器というイメージが強く「桐生がサッカーを辞めなければ、すごい快足FWになったのではないか」という声もある。
 
 だがチームには、前線の選手が豊富にいた。正GKがチームを離れたことをきっかけに、みんなで順番にGKを務めるようになったのだが、桐生は持ち前の瞬発力で好セーブを連発してみせた。
 
 そして、何よりもジュニア年代ではありがちな、DFとGKの間にボールを蹴られてカウンター攻撃を受けるという形になった時、相手FWよりも早くボールに到達して防ぐことができるという特徴があった。
 当時、指導にあたっていた峯浩太郎コーチはGKという意外なポジションで活躍していた桐生の姿を記憶している。
 
「時々、練習試合などではFWで前に張らせてスピードを生かしたカウンター一発で点を取るということもさせたけど、5、6年生の時は、ほぼGK。ドイツ代表GKのノイアーみたいだった。守備範囲が広くて、ボールがペナルティエリアに到達すれば、相手FWより桐生が先にいるという状況だったから。彦根市の選抜セレクションもGKで受けて合格したのですが、選出された理由は、やっぱり出足のスピードでした」
 
 当時は快足と言っても、チームの中で足が速いグループのひとりといった程度の存在感だった。驚異的な存在になっていったのは、小学校の高学年から。陸上競技を行なっていた兄の影響を受けたのか、ぐいぐいとタイムを伸ばすようになり「ジェット桐生」のあだ名がついた。小学校6年生でチームを卒団する頃には、チームで明らかに一番速い選手になっていた。
 
 小学校を卒業し、中学生になる段階で、桐生は運命の決断をしている。サッカーを辞め、陸上競技の道に進んだ。峯コーチは「卒団するときに中学では陸上をやると言っていたので、指導者も仲間もサッカーに引き留めようとはせず、陸上をやれば凄い記録を出すんじゃないかという期待で送り出した」と当時の雰囲気を話した。